第146話 いつもの席
翌朝、アルスが男子寮の食堂へ入ると、レインが先に座っていた。
まだ人は多くない。窓から朝の光が入り、厨房から焼いたパンの匂いがする。学院生活が再開してから何日か経ち、休暇前の生活リズムもほとんど戻っていた。
「おはよう」
「おはよう、アル」
アルスはレインの向かいへ座る。
しばらくしてシリウスも来た。
「腹減った」
最初の言葉がそれだった。
レインが笑う。
「起きたばかりで?」
「寝てても腹は減るだろ」
三人で朝食を取り、そのまま校舎へ向かう。途中の共有談話室前では、いつものようにアイリスとリリアが待っていた。
いつからそうなったのかは分からない。
誰かが決めたわけでもない。
でも最近は、朝になると自然にここで五人が揃う。
シリウスが言う。
「俺たち毎朝ここ集合になってない?」
アイリスが答える。
「今さら気付いたのですか?」
「決めた記憶ないぞ」
リリアが微笑む。
「決めなくてもそうなることはありますわ」
アルスもそう思った。
最初に出会った頃は、五人でいること自体が新しかった。
今は逆。
誰か一人いない方が気になる。
午前の授業は戦術基礎だった。
教師が黒板へ簡単な地形を書き、いくつかの条件を加える。
前衛二人。
後衛二人。
遊撃一人。
敵は四体。
味方一人が負傷。
退路は二つ。
「最も多く敵を倒す方法ではない。全員を撤退させる方法を考えろ」
教室の空気が少し変わる。
討伐ではなく撤退。
アルスたち五人には馴染みのある考え方だった。
教師が班ごとに話し合わせる。
レインが最初に言った。
「負傷者を誰が支えるかだね」
リリアが答える。
「動ける程度なら、わたくしが回復しながら移動できます」
アイリスが地図を見る。
「ですが、その間は攻撃が減ります」
「だから僕とアルで前を止める」
レインが言う。
シリウスは二本の退路を見る。
「こっち狭いな。敵は通りにくいけど、こっちも詰まる」
アルスも見る。
もう一方。
広い。
移動しやすい。
ただし敵も追いやすい。
「狭い方を使う。でも入口で戦わない」
アルスが言った。
シリウスがすぐ理解する。
「先に全員通して、最後に俺らが抜ける?」
「うん。狭い場所を敵との間に置く」
レインが頷く。
「それなら前衛がずっと戦わなくてもいい」
五人の意見がまとまるまで、それほど時間はかからなかった。
発表。
教師は最後まで聞いてから言う。
「敵を倒すことを目的から外したのはいい。ただし、負傷者が想定より遅ければ?」
レインが答える。
「途中で止まる場所を一つ決めます」
「そこが使えなければ?」
シリウス。
「もう一つ作る」
教師が少し笑う。
「ようやく答えが柔らかくなってきたな」
アルスはその言葉を覚えておく。
答え。
一つ。
ではない。
実際の探索と同じだった。
昼休み。
五人は中庭のいつもの場所へ向かった。
これも、いつからか決まった席になっている。
木陰。
低い石壁。
少し離れたところに噴水。
シリウスが座りながら言う。
「ここも俺たちの場所になってるな」
「学院のものです」
アイリスがすぐ返す。
「分かってるって」
食事を始める。
今日はダンジョンの話をしない。
研究の話もほとんどしない。
シリウスが寮の朝食について文句を言い、レインが十分美味しいと言い、アイリスが食べすぎだと言う。
リリアは小さく笑いながら聞いている。
アルスはパンを食べながら四人を見る。
こういう時間。
以前は、あまり意識していなかった。
友達と昼食を食べる。
前世にも経験はあったはずだ。
でも。
今。
アルスとして過ごしている時間。
それとは別。
比較する必要もない。
リリアがアルスを見る。
「どうしました?」
「何が?」
「ずっとこちらを見ていましたから」
「ちょっと考えてただけ」
シリウスが言う。
「また研究?」
「違う」
「珍しいな」
「僕だって研究以外も考えるよ」
レインが笑う。
午後。
魔法実習。
今日は二人一組だった。
組み合わせは教師が決める。
アルスとリリア。
レインとアイリス。
シリウスは別の生徒と組むことになった。
課題は簡単なものだった。
一人が魔法を発動し、もう一人が補助魔法で安定させる。
アルスが小さな水球を作る。
リリアが魔素を重ねる。
形。
少し安定。
アルスはすぐ分かった。
「今、右側に寄せた?」
「はい。少し揺れていましたので」
「分かった?」
「見ていれば分かりますわ」
アルスはもう一度作る。
今度。
少しだけ意図的に不安定。
リリア。
すぐ補正。
水球。
戻る。
「早い」
「アルス様が分かりやすく崩しましたから」
「分かったんだ」
「もちろんです」
リリアが少し笑う。
付き合い。
長くなる。
魔素の癖。
動き。
そういうものも。
見える。
一方。
少し離れた場所では。
レインの剣へアイリスが火の魔法を合わせる訓練をしていた。
アイリスが言う。
「少し速いです」
「これくらい?」
「もう少しだけ遅く」
レインが合わせる。
今度。
成功。
シリウスが遠くから言った。
「そっち息合いすぎじゃない?」
アイリスが振り返る。
「自分の訓練をしてください!」
レインは少し笑っている。
アルスも笑った。
恋愛。
まだ。
そういう言葉。
必要。
ない。
ただ。
相手の動きを知る。
相手が何をするか。
少し分かる。
それ。
仲間。
として。
十分。
実習が終わり、五人は共有談話室へ戻った。
今日は机の上に何も広げない。
ただ座る。
シリウスが菓子を取り出す。
アイリスが呆れる。
レインは明日の予定を確認する。
リリアは図書館から借りた本を読んでいる。
アルスも何か読もうと思ったが、やめた。
何もしない。
話を聞く。
それでいい。
夕方になり、アイリスとリリアが女子寮へ戻る。
「また明日」
「はい。また明日」
言葉。
普通。
三人も男子寮へ戻った。
廊下でシリウスが言う。
「明日の朝も同じ時間な」
レインが聞く。
「決めるの?」
「いや、なんとなく」
「じゃあいつも通りだね」
アルスも頷く。
自室へ戻る。
机。
ベッド。
本棚。
いつもの部屋。
アルスは制服を掛け、明日の準備をする。
中級ダンジョンへ行ったことで変わったことは多い。
戦い方。
地図の見方。
戻ること。
記録。
でも。
変わったもの。
それだけではない。
五人でいる時間。
増えた。
相談。
増えた。
何も相談しない時間も。
増えた。
特別な出来事が起きなくても。
関係は進む。
アルスは灯りを落とす。
明日の朝も。
男子寮を出ればレインがいて。
少し遅れてシリウスが来る。
共有談話室前には。
たぶん。
アイリスとリリアがいる。
約束していない。
それでも。
そうなる気がした。




