第14話 魔法を残す形
数日後。
ティアの授業で、生徒たちの机に薄い金属板が配られた。
表面には何も描かれていない。
アルスは板を持ち上げる。
「今日は魔道具ですか?」
「まだじゃ」
ティアは教壇の上から答えた。
「今日は魔法陣の入口じゃ」
シリウスが金属板を裏返す。
「何もないですけど」
「これから描くんじゃろうが」
「俺たちが?」
「嫌なら白紙で提出してもよいぞ」
「やります」
返事が早い。
隣でレインが笑った。
ティアは教壇の上に大きな板を置く。
そこには単純な円と数本の線、いくつかの記号が描かれていた。
アルスには、それだけなら以前にも見覚えがある。
屋敷の魔道具。
照明。
冷却箱。
研究室にあった失敗作。
ただし、完成品の中に組み込まれたものを見るのと、線だけを見るのでは印象が違った。
「魔法陣とは何じゃと思う?」
ティアが聞く。
何人かが手を上げる。
「魔法を発動させるもの」
「魔石の力を魔法へ変えるもの」
「魔力を流す道」
答えが続く。
ティアは否定しない。
「どれも間違いではない。じゃが、それだけでもない」
教壇の魔法陣を指す。
「人間が魔法を使う時、無意識にやっとることが山ほどある」
アルスは少し前のめりになる。
「魔素を集める。流す。量を変える。形を決める。止める。対象を選ぶ。距離を取る」
ティアは指を折っていく。
「慣れた者ほど、それを考えずにやる」
レインが小さく頷く。
剣と同じだ。
反復した動きは、いちいち考えなくなる。
「魔法陣は、その一部を外へ出す」
ティアが言った。
アルスの目が止まる。
「外へ?」
「頭の中や感覚だけでやっとる処理を、形として残すんじゃ」
ティアが金属板を叩く。
「誰が使っても同じように動かしたいなら、人間側へ任せる部分を減らす必要がある」
アルスは以前見た浄水魔道具を思い出した。
用途が限定されている。
だから使いやすい。
「人間の代わりに判断させる?」
アルスが聞く。
ティアは少し考えた。
「判断という言葉は広すぎるのう。条件を固定する、くらいに考えろ」
「固定」
「そうじゃ」
ティアは板へ魔素を流した。
円の一部が淡く光る。
「ここは入力」
別の線が光る。
「ここで流量を整える」
さらに先。
「ここで効果へ変換する」
最後に円の端。
「ここで止める」
シリウスが手を上げる。
「止めるのも必要なんですか?」
「必要じゃ」
「流さなくなったら止まるんじゃないんですか?」
「そういう設計もある」
ティアは笑う。
「止まらん設計もある」
教室が少し静かになった。
シリウスが金属板を見る。
「怖いな」
「だから基礎を覚えろと言っとる」
アイリスが教壇の魔法陣を見つめる。
「魔法を発動させる部分だけじゃなくて、安全に終わらせる部分も必要なんですね」
ティアが頷いた。
「道具は使われ続ける。作った本人以外にもな」
アルスはその言葉を記録した。
自分で魔法を使うなら、失敗した瞬間に止められる。
魔道具は違う。
作った人間がその場にいなくても動く。
「だから再現性だけじゃ駄目なのか」
アルスが呟く。
レインが横を見る。
「何が?」
「安全性」
「昨日の失敗作?」
「うん」
動いたから成功ではない。
使えるから完成でもない。
誰が使うのか。
何回使うのか。
壊れた時どうなるのか。
考えるものが増えていく。
「よし。では描け」
ティアの一言で教室がざわついた。
「いきなり?」
シリウスが言う。
「今見せたじゃろ」
「一回ですよ?」
「見るだけなら一回で十分じゃ」
「描けるとは言ってません」
「なら失敗せい」
ティアは平然としている。
机には専用の筆記具が置かれていた。
魔素を通しやすい素材で線を描くらしい。
アルスは見本を見る。
完全に写す。
それだけなら難しくなさそうに見える。
描き始める。
円。
線。
接続部。
記号。
途中で手が止まった。
「これ、線の太さ意味あります?」
ティアがこちらを見る。
「ある」
「どのくらい?」
「自分で確かめろ」
「今ですか?」
「今じゃ」
またそれだ。
アルスは細い線と少し太い線を意識して描く。
隣ではレインが慎重に進めている。
シリウスは速い。
アイリスは何度も見本を確認している。
リリアは最初からゆっくりだった。
しばらくして、全員が描き終わった。
ティアが机を回る。
最初にシリウスの板を持ち上げた。
「速い」
「ありがとうございます」
「褒めとらん」
「知ってます」
少し成長している。
ティアは線を見る。
「こことここ。接続が甘い」
「動きません?」
「流してみろ」
シリウスが魔素を流す。
一瞬だけ光った。
消える。
「おお」
「感心するな。失敗じゃ」
「でもちょっと動いた」
「それが一番危ない場合もある」
シリウスの顔が真面目になる。
次はレイン。
魔素を流すと、光は最後まで進んだ。
ただし弱い。
「安定はしとる」
ティアが言う。
「じゃが細すぎる」
レインが線を見る。
「慎重にやりすぎた?」
「そうじゃな。流せる量まで絞っとる」
アルスが横から見る。
性格が出る。
昨日の測定と同じだ。
アイリスの板は強く光った。
途中で一か所だけ明るくなる。
ティアがそこを指す。
「ここへ負荷が集中しとる」
アイリスが眉を寄せる。
「線は見本通りです」
「ほぼ、じゃ」
「ほぼ?」
「そこが少し狭い」
アイリスは顔を近づける。
「……本当だ」
悔しそうだった。
リリアは最後まで安定して光った。
ティアが頷く。
「丁寧じゃな」
リリアが笑う。
「今度は褒めてますか?」
「半分な」
「半分なんですね」
そしてアルス。
ティアが板を持ち上げる。
少し長く見る。
「お主、途中で変えたな」
「はい」
「なぜじゃ」
「線の太さで流れ方が変わるなら、同じ太さじゃなくてもいいのかなと思って」
「見本を写せと言ったはずじゃが?」
アルスが止まる。
「……言われましたね」
シリウスが吹き出す。
「アル、普通に怒られてる」
「まだ怒っとらん」
ティアは板を机へ戻した。
「流せ」
アルスが魔素を入れる。
光が進む。
途中で少し弱まり、その先でまた強くなる。
最後まで到達した。
「動いた」
アルスが言う。
「動いたな」
「成功?」
「違う」
即答だった。
アルスがティアを見る。
「なぜそうなったか説明できるか?」
「途中を細くしたから流量が落ちて、その後太くしたから……」
言いながら止まる。
太くしただけで、流量が戻るのか?
途中で減ったものが勝手に増えるわけではない。
「分からない」
「なら成功かどうかも分からん」
アルスは板を見る。
確かに動いた。
だが、予想した理由とは一致しない。
「偶然動いた可能性もある」
「そうじゃ」
「同じものを作って、もう一回?」
ティアが笑った。
「ようやく入口じゃな」
アルスも少し笑った。
再現性。
一回動いた。
それだけでは足りない。
同じものを作って同じ結果になるか。
条件を変えたらどうなるか。
どこまで変えても動くのか。
調べたいことが一気に増えた。
授業が終わった後も、アルスは板を見ていた。
「持って帰ったら駄目ですよ」
アイリスが言う。
「分かってる」
「顔が持って帰りそうです」
「そんな顔ある?」
「あります」
レインが頷いた。
「あるね」
シリウスも頷く。
「ある」
リリアまで笑っている。
「私も少し分かります」
「四対一だ」
アルスは諦めて板を机へ置いた。
教壇ではティアが片付けをしている。
アルスは最後に聞いた。
「先生」
「なんじゃ」
「魔法陣って、どこまで複雑にできるんですか?」
ティアの手が止まった。
「どこまで、とは?」
「条件を固定できるなら、組み合わせればかなり複雑なこともできますよね」
ティアはしばらくアルスを見る。
「できる」
短く答えた。
「じゃが複雑にするほど、失敗する場所も増える」
「それでも?」
「それでも作る奴がおるから、今の魔道具がある」
ティアは研究棟の方向へ目を向けた。
「そして昔の連中は、ワシらよりずっと面倒なものを作っとる」
アルスの耳が止まった。
「昔?」
「古代の魔道具じゃ」
「見られます?」
「まだ早い」
「またそれですか」
「基礎も終わっとらんじゃろ」
正論だった。
アルスは何も言えない。
ティアが楽しそうに笑う。
「急ぐな。逃げはせん」
アルスは頷いた。
机の上には、初めて自分で描いた魔法陣が残っている。
たった数本の線と記号。
それでも、そこには人間が普段感覚で行っている操作の一部が形として残されていた。
魔法を残す。
誰かがいなくても、同じことを繰り返せるようにする。
その考え方が、アルスには妙に面白かった。
そしてまだ知らない。
いつか自分が、この単純な円とは比べものにならないほど複雑な空間魔法陣と向き合うことになる。




