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138/227

第138話 日常に戻るまで

翌朝。


アルスはいつも通りの時間に目を覚ました。


自分の部屋。

自分のベッド。

窓から入る朝の光。


何も変わっていない。


それなのに、目が覚めた瞬間、最初に確認したのは周囲の音だった。


廊下。


庭。


遠くの使用人の声。


魔物の気配。


当然、ない。


アルスは少し笑った。


「まだ抜けてないな」


中級ダンジョンでは、起きたらまず周囲を見る。

天候。

地形。

魔素。

仲間の状態。


それが何日も続いた。


家に戻ったからといって、翌朝すぐ消えるものでもないらしい。


着替えて廊下へ出る。


すぐにマリアンヌと会った。


「おはようございます、アルス坊ちゃま!」


「おはよう」


マリアンヌは一度アルスを見る。


「今日は研究室へ行かれますか?」


アルスは止まった。


昨日までなら、たぶん行っていた。


持ち帰った鉱石。

発光鉱物。

壁面記号。

古い設備。


調べたいことはいくらでもある。


でも。


「今日は行かない」


マリアンヌが少し驚く。


「そうなのですか?」


「うん」


「具合が悪いとかでは?」


「元気だよ」


「では、なぜ……」


アルスも少し考えた。


「休む日だから?」


マリアンヌが笑った。


「それは良いことです!」


言い方が少し強い。


たぶん、普段のアルスを見ているからだろう。


朝食。


家族。


揃っている。


アルベルトはいつも通り落ち着いて食べ、ソフィアはアルスの皿へ食べ物を追加しようとする。


「十分あるよ」


「旅から帰ったばかりでしょう?」


「昨日ちゃんと食べた」


「今日も食べればいいのです」


理屈。


強い。


クラウスが笑う。

「母上には勝てないな」


エリシアも。

「諦めた方がいいわよ」


アルスは少しだけ追加された料理を見る。


中級ダンジョンでは、食料は量を考えながら使った。


収納魔道具の枠。

携帯食。

保存食。

水。


家では。


皿へ勝手に増える。


それも少し面白い。


食後。


アルスは庭へ出た。


特に目的はない。


歩く。


それだけ。


庭師が手入れした道。


草。


木。


池。


全部。


整っている。


シリウスなら「道がある」と言いそうだ。


アルスも少し同じことを思う。


庭の端。


小さな石橋。


何度も見た場所。


でも。


今日は。


橋の下の水。


流れ。


石の位置。


周囲の地面。


自然に見ている。


観測。


止めようとしても止まらない。


でも。


別に止める必要もない。


ただ。


今は危険を探すためではない。


違いを見る。


それだけ。


池の近くでエリシアと会った。


「何してるの?」


「散歩」


「本当に?」


「本当に」


エリシアが少し疑う。


「何か調べてない?」


「今は何も」


「今は、って付けたわね」


アルスが笑う。


エリシアも笑った。


「旅、楽しかった?」


少しだけ考える。


危険。


疲れ。


雨。


魔物。


狭い洞窟。


崩落。


それでも。


「楽しかった」


すぐ答えられた。


エリシアが頷く。


「なら良かった」


「心配した?」


「したわよ」


普通の答え。


アルスは少し申し訳なくなる。


でも。


それ以上は言わない。


エリシアも。


「でも、行くなとは思わない」


アルスが見る。


「なんで?」


「行くでしょ?」


「たぶん」


「なら帰ってくればいいの」


少し。


レインの兄。


エルヴィンの言葉を思い出す。


帰ってこい。


家族。


違う人。


でも。


言うこと。


似ている。


アルスは頷いた。


「うん」


昼。


何もしていない。


それが。


少し不思議。


本。


読める。


研究。


できる。


記録。


整理。


できる。


でも。


今日は。


やらない。


ソフィアと少し話す。


クラウスと庭を歩く。


マリアンヌが出したお茶を飲む。


ガストンが厨房から出てきて、昼食の感想を聞いてくる。


「うまい?」


「うまい」


「ならいい!」


それだけ。


全部。


普通。


でも。


ダンジョンから戻った後だと。


普通。


かなり。


強い。


午後。


アルスは自室へ戻った。


机。


そこに。


持ち帰った資料の写し。


まだ開かない。


代わりに。


収納魔道具。


見る。


今回。


かなり使った。


良かった点。


悪かった点。


明確。


でも。


研究。


始めない。


ただ。


思い出す。


五枠。


足りなかった。


食料。


水。


薬。


素材。


修理用品。


空き。


使い方。


変化。


それ。


頭の中。


もう残っている。


明日。


忘れない。


だから。


今日。


書かなくてもいい。


その感覚。


少し。


新しい。


今までは。


思い付いたら。


すぐ。


残したかった。


逃げる。


気がして。


でも。


今回。


何日も。


見て。


考えて。


仲間と話した。


だから。


一日休んでも。


消えない。


夕方。


アルベルトが帰る。


アルスは玄関近くで会った。


「今日は何をしていた」


「何も」


アルベルトが少し止まる。


「珍しいな」


「みんなそれ言う」


「普段を見ればな」


少し笑う。


アルベルトが続ける。


「何もしない時間も必要だ」


「父上も?」


アルベルトは少し考える。


「昔は分からなかった」


アルスが見る。


「今は?」


「分かる」


それだけ。


でも。


十分。


夜。


家族で食事。


今日はダンジョンの話。


ほとんどしない。


王都。


学院。


家。


使用人。


最近の出来事。


普通の話。


アルスは少し気付く。


冒険。


強い。


刺激。


多い。


でも。


それだけが人生。


ではない。


むしろ。


こういう時間。


戻れる場所。


あるから。


また。


外へ行ける。


食後。


自室。


ベッド。


アルスは天井を見る。


昨日。


同じ。


でも。


今日は。


中級ダンジョンの地図。


頭。


あまり出ない。


代わりに。


家族の声。


ガストンの料理。


マリアンヌの笑い声。


庭。


池。


そういうもの。


残る。


休む。


何もしない。


それも。


世界を見る方法。


なのかもしれない。


アルスは目を閉じる。


明日。


研究。


するかもしれない。


学院。


行くかもしれない。


友達。


会うかもしれない。


でも。


今日は。


日常へ戻る日。


それで。


十分だった。

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