第134話 持ち帰るもの
翌朝、アルスたちはいつものように地図を広げた。
最初に中級ダンジョンへ入った日の地図は、入口から数本の線が伸びているだけだった。それが今では何枚にも分かれ、上下の位置関係まで書き込まれている。地下水路、二足魔物たちの広間、大型四足魔物のいた場所、採掘区域、加熱・加工区域、大集積区域。そして昨日確認した、地表へ続いていた可能性の高い旧搬出路。
シリウスが地図を眺めて言った。
「まだ見てない道、いっぱいあるな」
「あるね」
アルスは答えた。
「でも、全部見る必要はないと思う」
レインも同じことを考えていたらしい。
「僕も今日はそう思ってた。ここから先は、僕たちだけで見続けるより、一度持ち帰った方がいい」
アイリスが記録の束を見る。
「崩落した通路もありますし、閉鎖された区画もあります。古い設備についても、わたしたちだけでは判断できませんね」
リリアも頷いた。
「採取した鉱物や金属片も、王都なら調べてもらえますわ」
シリウスは少しだけ残念そうに地図を見る。
「終わり?」
「今回の探索はね」
アルスが答えると、シリウスはすぐ笑った。
「ならいいか。また来ればいい」
その言葉で、アルスも自然に頷いた。
ここを攻略し切るために来たわけではない。そもそも、どこまで行けば攻略なのかも分からない。ボスがいるのか、最深部があるのか、階層という概念があるのかさえ、まだ確かではない。
ならば、今回分かったところまでを持ち帰る。
それも探索だった。
五人は最後に一度だけ中級ダンジョンへ入った。新しい道へ進むためではない。自分たちが作った地図を使い、主要な地点を確認しながら入口へ戻れることを確かめるためだ。
最初の広間から分岐を進み、地下水の地点へ向かう。水量は以前と大きく変わっていない。そこから穴の広場へ回り、細い足場の状態も確認する。
シリウスが足場の手前で笑った。
「最初はここ渡るだけでも結構緊張したよな」
アイリスが答える。
「今でも落ちたくはありませんよ」
「それはそう」
渡らない。
今日はその先へ行く必要がない。
代わりにアルスは地図へ、足場の状態に変化なしと記録した。
採掘区域へも入らない。ただ、そこへ続く道の入口を確認する。閉鎖を示す可能性のある記号。運搬を示す可能性が高い記号。採掘地点に繰り返し現れた記号。
最初は何の意味もなかった形が、今ではある程度の予測に使える。
シリウスが壁の丸と二本線を見る。
「これ見たら、もう荷物運んでた場所って思うな」
アルスが言う。
「そう思ってから、違う例がないかを見る」
「はいはい、確定しない」
「大事だからね」
「分かってるって」
五人は笑った。
さらに戻り、三叉路まで来たところでレインが左の通路を見る。
その先には、小型の二足魔物たちが生活しているらしい広間がある。
今回、もう一度見に行くことはしなかった。
こちらの存在はすでに知られている。向こうは警戒したが、襲ってこなかった。そして五人も攻撃しなかった。
それで終わらせる。
少なくとも今回は。
リリアが通路を見ながら言った。
「次に来た時も、同じ場所にいるでしょうか」
アルスは首を振る。
「分からない。でも、いなくなってても記録は残る」
「いたことは消えませんものね」
「うん」
大型四足魔物と小さな二体のことも同じだった。次に来た時、まだあの広場にいる保証はない。
ダンジョンそのものは残っても、中で生きるものは動く。
だから地図と探索記録を分けた。
今なら、その理由がはっきり分かる。
入口へ戻ったのは昼前だった。
外へ出ると、久しぶりに広い空が見える。
シリウスが大きく伸びをした。
「明るい!」
アイリスが笑う。
「毎日外には出ていましたよ」
「でも探索の後の外は違うだろ」
野営地へ戻り、五人は荷物をまとめ始めた。
最初にここへ着いた時より、荷物そのものは減っている。食料は消費した。薬も少し使った。その代わりに、鉱物片、金属片、魔石、素材、そして何枚もの記録が増えている。
アルスは収納魔道具を確認した。
容量の問題も、今回かなりはっきりした。
戦闘用品。
水。
薬。
修理用品。
食料。
素材。
五枠では、長期探索になるほど選択が必要になる。
それ自体も持ち帰るべき情報だった。
レインが聞く。
「忘れ物ない?」
シリウスが即答する。
「ない」
アイリスが見る。
「確認してから答えてください」
「確認した」
「今?」
「昨日から」
「そういう意味ではありません」
いつもの会話に戻っていた。
五人で野営跡を確認し、火を完全に消す。残した物はない。
そして、ダンジョン入口の奥にある帰還用の結晶へ向かった。
初日に登録した結晶。
ここまで戻れば王都へ帰れる。
六日かけて歩いてきた道を、帰りもすべて歩く必要はない。
シリウスが結晶を見る。
「これ、やっぱりすごいよな」
アルスもそう思う。
「入口を見つけるまでが一番大変なんだと思う」
ダンジョン内で何日探索しても、最後にここへ戻れば王都へ帰れる。
だからこそ、入口までの道が重要だった。
そして、入口そのものを見つけられなければ使えない。
レインが言った。
「帰ろう」
一人ずつ結晶へ触れる。
アルスが魔素を流すと、周囲の光景が一瞬で変わった。
岩。
空。
風。
消える。
次の瞬間。
石造りの部屋。
壁。
灯り。
人の気配。
王都の冒険者ギルド。
アルスは一歩動いて、足元を確かめた。
間違いなく戻っている。
続いてレイン、シリウス、アイリス、リリア。
五人。
全員。
揃った。
「本当に一瞬だな」
シリウスが言う。
六日かけて進んだ距離。
一瞬。
アルスは不思議な感覚になる。
移動技術だけ見れば、この世界は前世よりはるかに進んでいる部分がある。
でも、その結晶へ辿り着くまでには、自分の足で六日歩いた。
便利なものが存在することと、すべてが便利になることは違う。
部屋を出ると、見覚えのある猫獣人の受付責任者がこちらへ気付いた。
ミーニャだった。
五人を見る。
人数を数えるように目を動かす。
アルス。
レイン。
シリウス。
アイリス。
リリア。
全員いる。
それを確認してから、ミーニャは笑った。
「おかえりにゃ」
シリウスが真っ先に返す。
「ただいま!」
レインも笑う。
「戻りました」
ミーニャは五人の装備を見る。それから、アルスが抱えている地図と記録の束へ視線を移した。
「ずいぶん増えたにゃ」
アルスが答える。
「たぶん、報告することがかなりあります」
「たぶん?」
ミーニャが地図の枚数を見る。
「それはもう『かなり』でいいにゃ」
五人が少し笑った。
アルスも記録を見る。
魔物。
地形。
水路。
人工区域。
採掘。
加工設備。
記号。
崩落。
旧搬出口の可能性。
出発した時には、どれ一つ知らなかった。
倒した魔物の数は多くない。
深さも、どこまで進んだのか正確には分からない。
それでも。
持ち帰ったものは多かった。
アルスはようやく理解する。
冒険者が持ち帰るものは、魔石や素材だけではない。
地図。
記録。
失敗。
危険だった場所。
進まなかった道。
戦わなかった相手。
分からなかったこと。
それも全部。
次にそこへ行く誰かが使える。
五人はミーニャの後について、報告用の部屋へ向かった。
中級ダンジョンへの最初の探索。
それは。
奥へ到達したことで終わったのではなく。
見たものを。
外の世界へ持ち帰ったところで。
ようやく一つの区切りを迎えた。




