第120話 繋がっていた道
翌朝、アルスたちは三叉路の左へは向かわなかった。
昨日、小型の二足魔物たちに存在を知られたばかりだ。敵対したわけではないが、すぐに同じ場所へ戻る必要もない。今日はこれまで残してきた未探索の道を一つ確認することにした。
入口から進み、最初の広間を越える。途中の分岐まで来ると、レインが地図を開いた。
「今日はここだね」
以前、水の流れる道を選んだ時に残していたもう一方。狭いため後回しにした通路だった。
シリウスが中を覗く。
「前は狭いからやめたんだよな」
「今も狭いことは変わらないよ」
アルスは魔素を確認する。近くに大きな反応はない。
レインが言った。
「戦闘になったら戻る。それで少しだけ見よう」
五人は一列になって進んだ。先頭はシリウス、その後ろにレイン、アルス、リリア、アイリス。通路は二人が並べないほど狭いが、昨日までの経験で、こういう場所で無理に戦わないことは全員が分かっている。
しばらく進むと、通路は少しずつ下り始めた。
「結構下がってるな」
シリウスが足元を見る。
アルスも地図へ高低差を書き加えた。これまでは曲がり道を中心に記録していたが、上下の移動も無視できない。同じ平面に線を引くだけでは、実際の位置関係が分からなくなる。
さらに進む。通路は右へ大きく曲がり、その先で急に広くなった。
全員が止まる。
小さな広場。戦えるだけの幅はある。天井も高い。
ただし、中央に穴があった。
シリウスがすぐ近付こうとして、途中で止まる。
「深そう」
レインが小石を拾って落とした。
一秒。
二秒。
かなり下で音がする。
アイリスが穴を覗き込む。
「落ちたら戻れませんね」
「たぶんね」
アルスは穴の周囲を見る。向こう側へ渡るだけなら難しくない。広場の端を歩けば通れる。ただ、戦闘中に足を取られれば危険だ。
シリウスが言った。
「罠じゃないけど、罠より怖いな」
誰かが作ったものではない。ただそこにある。
だから消えない。
誰かが解除してくれることもない。
五人は穴を避けて広場の反対側へ移動した。そこから、また二本の通路が伸びている。
「増えた」
シリウスが苦笑する。
アルスは地図を見る。一本道を奥へ進んでいる感覚は、もうほとんどなかった。分岐して、戻って、別の道へ入り、また分かれる。
レインが右を見る。
「どっちにする?」
アルスは魔素を探る。左はほとんど反応なし。右には遠くに小さな反応がいくつかある。
シリウスが地面を見る。
「左の方が足跡少ない。右は何か通ってる」
「じゃあ左を少しだけ見よう」
レインの判断で決まった。
左の通路は、意外なほど歩きやすかった。幅も少しずつ広がり、足元も乾いている。魔物も出ない。
ただ、アルスは途中から違和感を覚えていた。
「これ……」
レインが振り返る。
「どうしたの?」
「方向」
地図を見る。
今まで歩いた角度。
下った距離。
曲がった回数。
正確ではない。それでも、この方向へ進み続けると、見覚えのある場所へ近付くように思える。
シリウスが言う。
「どこ?」
「地下水の方かもしれない」
全員が少し驚いた。
以前、水沿いに進んだ場所。増水や足場の悪さを考えて途中で戻った道だ。
「繋がってる?」
「まだ分からない」
さらに進む。
少し先。
水音。
全員が止まった。
シリウスが笑う。
「本当に水だ」
通路の先が開ける。
見覚えのある岩壁。
細い流れ。
そして、以前確認した地下水。
ただし、前に来た時とは反対側から出てきた。
アイリスが周囲を見渡した。
「ここ……前に引き返した場所ですね」
アルスは地図を重ねるように確認する。
間違いない。
以前、水沿いに来た時は、この先の水深が増していたため引き返した。その時は奥へしか続いていないと思っていた。
でも今。
別の道から回り込み、同じ場所へ出た。
シリウスが嬉しそうに言う。
「道、繋がったな」
アルスも少し興奮していた。
「うん」
今まで別々に描いていた線。
その二本が。
初めて繋がった。
レインが地図を見る。
「じゃあ入口へ戻る道も二つある?」
「そうなる」
今来た穴のある道。
以前の地下水側。
ただし、水の状態次第では片方は使えない。
それでも大きい。
一本道ではない。
経路。
複数。
選べる。
リリアが言った。
「もし片方が魔物で塞がれていても、別の道を使えるかもしれませんね」
アイリスも頷く。
「帰路が増えるのは安心です」
シリウスが水路を見る。
「だったら前に行かなかった水の中、無理して進まなくてよかったな」
アルスもそう思った。
あの時、水へ入っていたら。
危険を冒して。
同じ場所へ来ていた可能性もある。
進むこと。
最短。
とは限らない。
安全な道を探した結果、遠回りでも同じ場所へ辿り着ける。
それが分かった。
五人はその場で少し休み、二つの経路を確認した。
今来た道は乾いているが、途中に深い穴がある。地下水側は穴がない代わりに、濡れた足場と水位変化の危険がある。
どちらが優れている。
ではない。
条件。
違う。
レインが言う。
「帰る時、その日の状態を見て選べるね」
アルスは地図へ二つの線を繋いだ。
それだけで。
今までの地図の見え方が変わった。
奥へ伸びる線。
ではない。
網。
まだ小さい。
でも。
少しずつ形が見え始めている。
「今日はこれだけでも大きいね」
アルスが言うと、シリウスが笑った。
「魔物一匹も倒してないけどな」
「最近それ多いですね」
アイリスも笑う。
その時、アルスが魔素を感じた。
近い。
一つ。
「待って」
全員が動きを止める。
水路側。
小さな反応。
近付く。
姿が見えた。
以前戦った細長い四足魔物。
一体。
向こうもこちらに気付く。
ただし、すぐには襲ってこない。
五人。
動かない。
魔物も止まる。
数秒。
そして。
魔物は水際で方向を変え、そのまま別の隙間へ消えた。
シリウスが言う。
「行った」
レインも武器へ伸ばしかけていた手を離す。
「道が多いのは僕達だけじゃないんだね」
その一言で、アルスはまた地図を見る。
自分たちが通れる道。
魔物が通れる道。
同じとは限らない。
小さな穴。
裂け目。
水中。
自分たちには道でなくても。
別の生き物には道になる。
「地図、まだ全然足りないね」
アルスが言った。
シリウスが笑う。
「終わりなくない?」
「たぶん」
でも。
嫌ではない。
五人は今日はそれ以上奥へ進まず、今来た経路を使って戻ることにした。
穴の広場。
狭い通路。
分岐。
入口。
帰路に掛かった時間も記録する。
野営地へ戻ると、アルスはすぐに地図を書き直した。
今まで別々だった線が。
一つになる。
レインが横で見ていた。
「地図らしくなってきた」
「うん。でも平面だけじゃ足りなくなりそう」
上下。
水。
穴。
別経路。
さらに。
魔物だけが使えるかもしれない道。
記録するもの。
増える。
シリウスが言う。
「そのうち紙一枚じゃ足りなくなるな」
アルスは地図を見る。
「それなら増やせばいい」
簡単な答え。
でも。
たぶん本当にそうなる。
中級ダンジョンは、奥へ奥へと進めば終わる場所ではないのかもしれない。
道が分かれ。
また繋がり。
状態が変わり。
生き物が動く。
今日。
新しい場所へはほとんど進んでいない。
それでも。
世界の形は昨日より少しだけ分かった。
アルスは探索記録の最後に書いた。
――遠回りに見える道が、別の帰り道になることがある。
そして、その下にもう一行。
――地図は、進んだ距離ではなく、分かった世界の形を残すもの。
まだ小さな地図だった。
でも。
初めて。
一本の線ではなくなっていた。




