第12話 既にあるもの
翌日。
アルスは朝から少しだけ楽しみにしていた。
授業ではなく、放課後の方を。
昨日、ティアに言われた言葉が頭に残っている。
――魔道具に興味があるなら、まず既にあるものを見ろ。
考えてみれば当たり前だった。
魔道具は昔から身の回りにある。
照明。
保温。
冷却。
通信。
記録。
珍しいものではない。
だからこそ、今まで深く見ていなかった。
「アル」
隣からレインに呼ばれる。
「何?」
「今、先生の話聞いてた?」
「聞いてたよ」
「本当に?」
「今日は歴史。王国成立後の交易路の変化」
「聞いてるね」
前の席からシリウスが振り返る。
「考え事しながら聞けるの?」
「できる時もある」
「俺は無理」
「シリウスは一つでも危ないでしょう」
アイリスが言った。
「朝から厳しいな」
リリアが小さく笑う。
「でも昨日よりみんな普通に話してますね」
アルスも気付いた。
まだ二日目。
それなのに、昨日より会話が早い。
名前を呼ぶのにも迷わない。
人間はこうやって距離を縮めるのかもしれない。
授業が終わる。
昼食を挟み、午後の実技も終わった。
放課後。
アルスは荷物をまとめながら言う。
「僕、魔道具見に行ってくる」
シリウスが顔を上げる。
「買うの?」
「見るだけ」
「どこで?」
「学園の設備」
一瞬、四人が黙った。
アイリスが聞く。
「設備?」
「昨日ティア先生に言われたから。既にあるものを見ろって」
レインが頷く。
「ああ、あれか」
「何を見るの?」
リリアが聞く。
「まだ決めてない」
「決めてないの?」
「近くにあるものから」
シリウスが笑う。
「本当に見るだけなんだな」
「うん」
「じゃあ俺も行く」
「興味ある?」
「アルが何をそんなに見るのかに興味ある」
理由が違う。
レインも立ち上がった。
「僕も行こうかな」
リリアも続く。
「私も」
最後にアイリスを見る。
「……また全員で見るんですか?」
「嫌ならいいよ」
アルスが言う。
「嫌とは言ってません」
結局、五人で行くことになった。
最初に止まったのは、廊下だった。
天井近くに照明用の魔道具が並んでいる。
アルスが見上げる。
「これ」
シリウスも見上げた。
「照明?」
「うん」
「毎日見るやつじゃん」
「だから見る」
近くの壁には、点灯を調整する操作板がある。
アルスは触らず、まず周囲を見る。
魔石。
魔法陣。
発光部分。
壁の中へ伸びている配線のような魔力伝達路。
「学校のは家のより大きいな」
レインが言った。
「家にもある?」
「あるよ」
「うちにもあります」
アイリスも答える。
リリアも頷く。
シリウスだけが首を傾げる。
「違いなんてある?」
アルスはしばらく見てから答える。
「あると思う」
「どこ?」
「まだ分からない」
「分からないのにあるの?」
「同じなら大きさを変える必要ないでしょ」
レインが少し考える。
「照らす範囲?」
「それもありそう」
アルスは観測体へ記録を頼む。
「学園廊下照明。家庭用より大型。光量、範囲、魔石容量、消費量は未確認」
『記録しました』
シリウスが笑う。
「本当に記録するんだ」
「後で忘れるから」
「十二歳でそれ言う?」
「忘れるものは忘れるよ」
次に見たのは、水飲み場だった。
浄水用の魔道具。
水を入れ、魔石から供給された魔力で浄化する。
これも見慣れている。
アルスは流れている水を見る。
「これ便利だよね」
「急に普通の感想」
シリウスが言う。
「便利だから普及したんじゃない?」
「まあ、それはそう」
アイリスが魔道具を見る。
「水魔法が使える人がいれば必要ないんじゃないですか?」
アルスが首を振る。
「全員使えるわけじゃないし、毎回人がやる必要もない」
レインが続ける。
「魔力も使うからね」
「そう」
アルスは頷いた。
「人ができることを、道具に任せられる」
昨日考えたことと同じだ。
でも、実物を見ると少し違う。
魔道具は魔法をそのまま閉じ込めているわけではない。
人間が毎回判断している部分を削り、用途を限定している。
水を浄化する。
ただそれだけ。
だから誰でも使える。
「魔法より不自由だけど、その分使いやすいのかな」
リリアが言った。
アルスが振り向く。
「それ、いいね」
「何がですか?」
「言い方」
リリアは少し戸惑う。
アルスは観測体へ向く。
「記録。魔道具は、人が使う魔法より用途を限定することで、使用者側の判断や技能を減らしている可能性」
『記録しました』
アイリスが感心したように見る。
「リリアの一言が研究メモになりましたね」
「そんなつもりじゃなかったんですが」
「こういうのが面白いんだよ」
アルスは普通に答えた。
リリアが少し笑う。
「じゃあ、役に立ったなら良かったです」
その後も五人は学園内を歩いた。
保温棚。
冷却箱。
扉の認証装置。
教室の立体表示。
記録板。
見慣れたものばかりだった。
ただ、一つずつ見ていくと全部違う。
同じ魔石を使っていても、魔法陣の形が違う。
同じ情報を扱っていても、記録装置と認証装置では構造が違う。
アルスは途中から黙る時間が増えた。
シリウスが気付く。
「もう俺らいらなくない?」
「いるよ」
「全然しゃべらないけど」
「見てるから」
「そういう時のアル、ちょっと怖い」
レインが笑う。
「放っておけば戻ってくるよ」
「もう扱い分かってきたの?」
「少し」
「早いな」
アルスは聞いていたが、口を挟まなかった。
今は冷却箱を見ている。
扉を開ける。
中は冷たい。
閉める。
もう一度開ける。
「何してるんですか?」
アイリスが聞く。
「場所で温度違うかなと思って」
「手で分かります?」
「大きく違えば」
「違います?」
アルスは奥と手前へ手を入れる。
「少し違う気がする」
シリウスも手を入れた。
「分からん」
レインも試す。
「僕も微妙」
リリアまで手を入れる。
五人で冷却箱に手を突っ込んでいる。
通りかかった生徒が不思議そうに見ていった。
アイリスが先に気付いた。
「私たち、何してるんでしょう」
全員が止まった。
シリウスが吹き出す。
「確かに」
アルスも笑った。
「研究?」
「まだ観察でしょ」
レインが言う。
「そうだった」
そこへ声がした。
「何をしとる」
五人が一斉に振り向く。
ティアがいた。
シリウスが小さく言う。
「本当に出てきた」
「聞こえとるぞ」
「すみません」
昨日と同じだった。
ティアは五人の前まで来る。
「で、何をしとる」
アルスが答える。
「既にあるものを見てます」
ティアは一度だけ目を細めた。
「ほう」
「冷却箱の中で場所によって温度が違う気がして」
「気がする?」
「測ってないので」
「なら気のせいかもしれんな」
「はい」
即答したアルスを見て、ティアが笑う。
「それでよい」
アイリスが聞く。
「いいんですか?」
「何がじゃ」
「分からないままで」
ティアは冷却箱を指す。
「分からんものを分かったことにするより百倍ましじゃ」
アルスは頷く。
ティアは箱を開ける。
「ちなみにこれは場所で温度差が出る」
五人が一斉に箱を見る。
「本当に?」
アルスが聞く。
「古い型じゃからな。冷却部に近いほど冷える」
「じゃあ今のは合ってた?」
「結果はな」
ティアはすぐに続けた。
「じゃが、手を入れて『違う気がした』だけでは証明にならん」
「測る必要がある」
「そうじゃ」
「温度計あります?」
ティアがニヤリとする。
「研究室にある」
アルスの顔が明るくなった。
シリウスが横で笑う。
「行く顔してる」
「行っていいですか?」
「今日は駄目じゃ」
「なんでですか」
「もう遅い」
窓の外を見る。
確かに日が傾いている。
「明日」
「授業がある」
「放課後」
「予定がある」
「明後日」
ティアが笑い始めた。
「食いつきすぎじゃ、小僧」
「気になるので」
「分かった分かった」
ティアは少し考える。
「時間がある時に研究室へ来い。ただし勝手に触るな」
「はい」
「絶対じゃぞ」
「はい」
「返事が軽いのう」
「ちゃんと守ります」
レインが横から言う。
「僕たちも行っていいですか?」
ティアは五人を見る。
「邪魔せんならな」
シリウスがアルスを見る。
「俺らも行くことになったぞ」
「嫌?」
「いや。ちょっと面白くなってきた」
アイリスも冷却箱を見る。
「温度差があるなら、置く場所で保存状態も変わるんでしょうか」
アルスがすぐに振り向く。
「それも見たい」
「あ」
アイリスが少し後悔した顔をする。
リリアが笑う。
「アイリスも始まりましたね」
「違います」
「何が?」
「私は普通に疑問を言っただけです」
アルスが笑った。
「僕も最初はそれだよ」
「一緒にしないでください」
帰る時間になった。
五人は校門へ向かう。
今日見たものは、どれも新しい魔道具ではなかった。
何年も前から存在しているもの。
毎日誰かが使っているもの。
それでも、見方を変えるだけで疑問はいくらでも出てきた。
アルスは歩きながら思う。
新しいものを作る前に。
この世界がすでに何を作っているのか。
まず、それを知る必要がある。
そしてたぶん。
自分は今まで思っていた以上に、この世界の技術を知らない。
それが分かっただけでも、今日は十分だった。




