第118話 敵と呼ぶ前に
翌朝、アルスたちは昨日より少しだけ準備に時間を掛けた。
目的がはっきりしている。地下水域ではなく、三叉路の左。その先で見つけた、小型の二足魔物が集まる広間をもう一度見る。
戦うためではない。
観察するためだ。
「今日はどこまで近付く?」
入口へ向かいながら、シリウスが聞いた。
レインは少し考えてから答える。
「昨日見た場所まで。向こうに気付かれそうなら、その前に止まる」
「接触はしない?」
「今日はしない」
アイリスも頷く。
「相手が何をするのか、まだほとんど分かっていませんものね」
アルスも同じ意見だった。
昨日見えたのは、せいぜい数分。
石を割る。
何かを運ぶ。
食べる。
休む。
それだけで、何かを決めるには早すぎる。
中級ダンジョンへ入り、慣れた経路を進む。
最初の頃なら何度も立ち止まっていた分岐も、今では位置を確認するだけで通過できる。ただし、シリウスは足元を見続け、アルスも魔素の確認をやめない。
昨日までなかった反応が、今日はあるかもしれない。
逆もある。
それが、この場所だった。
三叉路から左へ入る。
しばらく歩くと、昨日聞いた音が再び聞こえてきた。
石を打つような音。
低い声。
何かが地面を擦る音。
アルスが手を上げ、全員が止まる。
「昨日より近い位置にいる」
「こっちへ?」
レインが小声で聞く。
「何体かは。でもまだ広間の中だと思う」
五人は速度を落とした。
昨日の観察地点より少し手前。
そこからシリウスが一人だけ数歩進み、壁際から広間を見る。
すぐ戻ってきた。
「いる。昨日より多い」
「どれくらい?」
「十以上。奥まで全部は見えない」
五人は昨日と同じ場所まで進み、身体を隠せる岩陰から広間を覗いた。
いる。
小さな二足の魔物。
昨日見た個体と同じ種類に見える。
ただ、今日は行動がもっとよく見えた。
三体が大きな石の周囲に集まっている。一体が石を押さえ、別の一体が硬い石片を振り下ろす。砕けた欠片を、三体目が横へ運ぶ。
別の場所では、細い棒の先を削っている個体がいた。
シリウスが囁く。
「作ってるよな、あれ」
アルスもそう見える。
棒。
石。
組み合わせるのかは分からない。
でも、偶然持っているだけには見えない。
さらに奥。
小さな個体が二体。
追い掛け合っている。
その近くに、大きめの個体が座っている。
リリアが小声で言った。
「子供……でしょうか」
アルスは答えない。
そう見える。
でも、身体が小さいだけかもしれない。
年齢差なのか。
種類の違いなのか。
まだ分からない。
「記録だけ」
アルスは小さく言った。
小型個体二。
大型個体の近くで行動。
関係不明。
決めない。
見たままだけ残す。
アイリスが広間の右側を指した。
「食べ物でしょうか」
岩のくぼみ。
そこに何かが積まれている。
植物。
小型魔物の肉らしきもの。
形の違う物。
種類ごとに少し分けてあるようにも見える。
レインが言う。
「集めて保管してる?」
「可能性はある」
アルスは答えた。
昨日より。
明らかに情報が増えていく。
ただ集まっているのではない。
何かを作る。
何かを運ぶ。
何かを保管する。
大きさの違う個体が同じ場所にいる。
そして。
その時、一体が転んだ。
運んでいた石を落とす。
近くにいた別の個体がすぐ寄ってくる。
アルスたちは息を潜めた。
襲う。
のではない。
腕を掴む。
起こす。
落とした石を拾う。
二体で運び直す。
シリウスが何も言わなくなった。
レインも。
アイリスも。
リリアも。
ただ見る。
魔物。
その言葉だけなら。
冒険者にとっては単純だった。
危険なもの。
討伐するもの。
素材を得るもの。
でも。
目の前の行動は。
それだけでは説明しにくい。
アルスは前世の記憶を思い出す。
動物にも協力行動はある。
巣も作る。
道具を使うものもいる。
だから、これだけで人と同じだとは言えない。
でも。
だからこそ。
判断を急ぐ理由もない。
「昨日、ここに入って戦ってたらどうなってたかな」
シリウスが小さく言った。
レインはしばらく答えなかった。
「たぶん、向こうは全員で抵抗したと思う」
「だよな」
数。
多い。
奥。
さらにいる。
もし敵対すれば。
一体ずつではない。
広間全体。
相手。
それだけでも危険だった。
しかし今は、危険性より別の疑問の方が大きい。
その時。
広間の奥から一体が出てきた。
他より少し大きい。
手に長い棒。
その先。
石が固定されている。
明らかに。
道具。
いや。
武器に見える。
周囲の個体が少し道を空ける。
レインが小声で言う。
「役割が違う?」
アルスが見る。
大きな個体は広間を一周するように歩く。
入口。
通路。
天井。
時々。
止まる。
外を見る。
シリウスが気付いた。
「見張りじゃない?」
全員が少し固くなる。
もしそうなら。
昨日まで気付かれなかったのは。
運が良かっただけかもしれない。
レインが即座に言う。
「下がろう」
五人は静かに後退した。
急がない。
走らない。
音を立てない。
一つ。
二つ。
曲がり角を越える。
そこでようやく止まる。
アルスが魔素を見る。
追ってくる反応。
なし。
シリウスが息を吐いた。
「危なかった」
アイリスも小さく頷く。
「こちらを探していたのかは分かりませんけれど」
「分からないから戻った」
レインの答えは早かった。
アルスも同意する。
見張り。
かもしれない。
ただ歩いていただけかもしれない。
でも、接触しないと決めているなら、それで十分だった。
今日はここまで。
三叉路へ戻る途中、リリアが言った。
「ギルドでは、こういう魔物について何か教えてもらっていましたか?」
五人。
少し考える。
魔物の危険度。
討伐。
素材。
生息域。
そういう話はある。
でも。
生活。
集団。
道具。
そういう部分。
ほとんど聞いた記憶がない。
アルスが言った。
「帰ったら聞いてみたい」
レインも頷く。
「僕も」
シリウスが笑う。
「倒しました、じゃなくて、生活してましたって報告するの変な感じだな」
「見たことを報告すればいい」
アルスは答えた。
それ以上でも。
それ以下でもない。
野営地へ戻ると、アルスは昨日の記録を開いた。
そして、今日見たものを足していく。
複数個体で物を運ぶ。
石を加工しているように見える。
棒状の物を削る。
食料らしき物を保管。
小型個体と大型個体が同居。
転倒個体を別個体が補助。
長柄の道具を持つ大型個体あり。
周囲を警戒するような行動を確認。
役割分担の可能性。
知性の程度、不明。
最後。
シリウスが横から見て言う。
「魔物って書くの?」
アルスは少し止まった。
分類上は。
魔物。
少なくとも、今持っている知識ではそうなる。
でも。
「今はそれでいいと思う」
「今は?」
「もっと分かれば変わるかもしれない」
名前。
分類。
言葉。
便利。
でも。
便利だから。
見えなくなるものもある。
レインが言った。
「次どうする?」
アルスは記録を見る。
観察。
二回。
まだ。
少ない。
接触。
なし。
敵対。
なし。
「もう一度見たい」
アイリスが聞く。
「同じ場所を?」
「うん。ただ次は、行動だけじゃなくて時間も見る。いつ何をしてるのか」
シリウスが少し笑う。
「ダンジョン攻略してる感じしなくなってきたな」
アルスも笑った。
「でも、これも探索でしょ」
倒して。
先へ行く。
それだけなら。
たぶん。
もっと速い。
でも。
速く進むこと。
それが。
目的ではない。
アルスは記録の最後に一行だけ書いた。
――敵だと決めれば、見る必要はなくなる。
だから。
決める前に。
もう少し。
見る。
五人にとって。
それが今。
一番自然な選択だった。




