第115話 五人だけの判断
翌朝、アルスたちは野営地を片付けながら、その日の探索記録を確認していた。
中級ダンジョンまで案内してくれた人物は、すでにいない。入口を教え、帰還用ポータルの登録まで確認したところで役目を終え、来た道を一人で戻っている。
ここから先、判断するのは五人だけだった。
アルスは二枚の紙を地面へ広げる。一枚は地図。もう一枚は探索記録だ。
「昨日までで分かった道はここまで」
入口から最初の広間。分岐。戦闘した広場。地下水。水路。その先の三叉路と、大型魔物の死体があった広間。
シリウスが地図を覗き込む。
「結構進んだように見えるけど、実際どれくらいなんだ?」
「分からない」
アルスはすぐ答えた。
距離そのものは測っていない。通路は曲がり、上下にも動いている。地図上で長く見える線が、実際の地下ではすぐ近くを通っている可能性もある。
レインが言った。
「今日から距離も少し記録しよう。正確じゃなくても、歩いた時間があれば目安になる」
「それならできる」
シリウスが笑う。
「また記録増えたな」
「必要だからね」
五人は装備を確認し、中級ダンジョンへ入った。
ここ数日で何度も通った入口付近は、もう見慣れ始めている。それでもシリウスは先頭で足元を確認し、アルスは魔素を探り、レインは全体を見る。
慣れたから省く。
それはしない。
昨日見た大型魔物の死体があった広間へ着いた時、最初の変化が見つかった。
「ない」
シリウスが言った。
昨日、広間の中央近くに倒れていた大きな死体が消えている。
血の跡は残っていた。地面には引きずったような跡もある。ただし死体そのものは見当たらない。
アイリスが周囲を見る。
「誰かが持っていったんでしょうか?」
アルスは魔素を探るが、近くに大きな反応はない。
「冒険者かもしれないし、別の魔物かもしれない」
リリアが昨日の記録を見る。
「やっぱり地図に入れなくて正解でしたね」
「うん。状態は変わる」
昨日あったものが、今日はない。
当たり前のことだが、このダンジョンではその変化が探索そのものに関わる。
広間の奥には二本の道がある。
昨日はそこで引き返した。
右は緩やかに上り、左は水平に近い。魔素を探ると、右には今のところ大きな反応がなく、左にはかなり遠くに複数の反応がある。
レインが五人を見る。
「今日はどっちにする?」
シリウスが右を指した。
「俺は右。敵が少なそうってだけじゃなくて、戻る時も分かりやすそう」
アイリスも通路を見る。
「幅もありますね。戦闘になっても昨日の水路よりは動けそうです」
アルスも頷いた。
「右にしよう」
進む。
通路は予想通り緩やかな上りだった。横幅も十分あり、レインとアルスが並んでも余裕がある。
十数分ほど進んだところで、シリウスが足を止めた。
「跡がある」
壁際。
石。
一部だけ不自然に削れている。
アルスも近付く。
人工的な傷に見える。
一つ。
少し先にも、もう一つ。
レインが言う。
「冒険者が付けた目印かな」
「たぶん。でも使わない方がいいと思う」
アルスは答えた。
誰が付けたものか分からない。どの方向を示しているのかも分からない。古いのか、新しいのか、それすら判断できない。
シリウスが壁を見る。
「自分達の印じゃないから信用できないってことか」
「そう」
他人の記録は情報になる。
でも、答えにはしない。
五人は傷の位置だけ探索記録へ残し、そのまま進んだ。
さらに先で通路が急に広がった。
天井も高い。
昨日三体と戦った場所より、さらに大きい。
アルスが魔素を見る。
「待って」
全員が止まる。
一つ。
かなり大きい。
広間の奥。
ゆっくり動いている。
シリウスが小声で聞いた。
「オーガくらい?」
「魔素の量だけなら近い。でも同じ魔物じゃないと思う」
岩陰から姿が見える。
四足。
大きい。
肩の高さだけでもアルスたちの胸近くまである。背中には岩のように硬そうな板状の皮膚が並んでいた。
知らない魔物。
五人は武器を構えたが、レインはすぐには前へ出なかった。
「向こうは気付いてる?」
アルスが魔素の動きを見る。
「たぶんまだ」
広間は広い。
逃げ道もある。
入口へ戻る通路も確保できている。
戦える。
でも。
戦う必要があるか。
それは別だった。
シリウスが小声で言う。
「通り道塞いでるな」
魔物は広間の奥をゆっくり歩いている。その向こうにも通路があるらしい。
アイリスが言った。
「迂回はできなさそうですね」
レインは少し考え、アルスを見る。
「観察できる?」
「もう少しなら」
五人は広間へ完全には入らず、入口近くで魔物を見る。
歩き方。
視線。
魔素。
速度。
アルスは気付いた。
「右の前脚、少し変」
レインも見る。
「怪我してる?」
「たぶん」
魔物は右前脚を着く時間が短い。
戦闘で負った傷なのか、生まれつきなのかは分からない。
シリウスが言う。
「なら戦いやすい?」
アルスは首を振った。
「弱点かもしれない。でも、痛くて余計に暴れる可能性もある」
一つの情報。
解釈。
複数。
前世の知識でも、観察でも、答えが一つになるとは限らない。
レインが言った。
「今日は戦わない」
シリウスが意外そうに見る。
「通れないぞ?」
「だから今日はここまで」
少し沈黙した後、シリウスが笑った。
「なるほど」
昨日までなら、進むために倒すことを考えたかもしれない。
でも今日は違う。
知らない大型魔物。
初見。
さらに、倒した先に何があるかも分からない。
戦えば勝てるかもしれない。
それでも今、戦う必要はない。
アイリスも杖を下ろした。
「次は対策を考えて来られますね」
リリアが頷く。
「怪我をしているなら、その状態が明日も同じとは限りませんけれど」
「そこも確認できる」
アルスは探索記録へ書く。
大型四足魔物。
板状の背部。
右前脚に異常の可能性。
現在、広間奥の通路を塞ぐ位置。
戦闘せず撤退。
シリウスが覗き込む。
「名前は?」
「付けない」
「まだ?」
「一回見ただけだから」
昨日の小型魔物も、まだ名前は分からない。
見た目だけで勝手に分類する必要もない。
帰り道。
五人は今までより少し意識的に時間を測った。
大型魔物の広間から、死体があった広間まで。
そこから三叉路。
地下水。
最初の広場。
入口。
途中でレインが言う。
「行きより帰りの方が早いね」
シリウスが答える。
「道知ってるからだろ」
アルスもそう思う。
迷わない。
立ち止まらない。
確認する場所が決まっている。
知っていること。
それ自体が移動時間を変える。
入口から外へ出る。
当然、待っている者はいない。
五人だけ。
そこが今までと違う。
シリウスが周囲を見た。
「誰もいないと、本当に俺達だけって感じするな」
レインが笑う。
「最初からそのつもりで来たんだけどね」
「分かってる。でも案内されてきたからさ」
アルスも少し分かった。
王都からここまで。
道を知っている人物が前にいた。
でも今は。
前にいる人はいない。
探索する方向も。
戻る時間も。
戦うかどうかも。
全部。
五人で決める。
野営地へ戻り、アルスは地図へ今日の道を加えた。
その横へ探索記録を置く。
道。
変わりにくいもの。
状態。
変わるもの。
そして今日から、移動時間も加わった。
レインが記録を見ながら言う。
「明日はあの魔物をもう一度確認しよう」
「いなかったら?」
シリウスが聞く。
アルスが答える。
「そのまま先を見る」
「いたら?」
今度はレインが答えた。
「観察してから決める」
倒す。
逃げる。
待つ。
戻る。
選択肢は一つではない。
アルスは今日の記録の最後に書いた。
――進めないことと、進まないことは違う。
今日は。
進めなかったわけではない。
五人で。
進まないと決めた。
それもまた。
誰かに教えられた答えではなく。
五人だけで選んだ。
最初の判断だった。




