第104話 五人で王都を出る
出発の日。
アルスが目を覚ました時、まだ屋敷の中は静かだった。
いつも通りに着替え、昨夜閉じた荷物をもう一度確認する。剣、短剣、雨具、修理用品、水、携帯食、薬。収納魔道具の中には水、医療品、予備魔石と修理用品、そしてガストンが作った料理が入っている。最後の一枠だけは空けたまま。
何度確認しても、中身は変わらない。
それでも確認する。
初心者ダンジョンで覚えた習慣だった。
扉を開けると、マリアンヌがちょうど廊下を歩いてきた。
「アルス坊ちゃま、おはようございます!」
「おはよう、マリー」
「もう準備されたんですか?」
「昨日終わってるよ」
マリアンヌは少し疑うように荷物を見る。
「忘れ物は?」
「ない……と思う」
「思う、なんですね」
「三回確認した」
「では大丈夫です!」
基準がよく分からない。
二人で階段を下りると、食堂からいつもより強い料理の匂いが漂ってきた。
アルスが足を止める。
「これ、朝から?」
マリアンヌが笑う。
「ガストンさん、かなり早くから厨房にいますよ」
食堂へ入る。
アルベルト、ソフィア、クラウス、エリシアが既に揃っていた。
そして卓上には、普段の朝食より明らかに量の多い料理が並んでいる。
アルスが座りながら言った。
「多くない?」
厨房側から声が飛んだ。
「旅に出る日に腹空かせてどうする!」
ガストンだった。
大きな皿を片手に持ち、そのまま卓へ置く。
焼いた肉。
卵。
野菜。
パン。
朝食としては十分どころではない。
「ガストン、僕一人で全部食べるわけじゃないよね?」
「家族全員分だ!」
「ならよかった」
「坊ちゃんは多めだ」
「結局多いんだ」
クラウスが笑う。
「諦めて食べろ」
エリシアもすでに普通に食べている。
「美味しいからいいじゃない」
ソフィアがアルスを見る。
「今日はきちんと食べて行きなさい」
父まで頷いている。
逃げ場なし。
アルスも食べ始めた。
美味しい。
いつもの家の食事。
昨日、収納魔道具へ入れた料理とは別のものなのに、食べていると少し安心する。
旅へ出る。
何日も帰らない。
でも。
特別な最後の食事ではない。
帰ってくれば。
また食べられる。
そういう食卓だった。
食事が終わる頃、ガストンが小さな袋をアルスへ渡した。
「これは普通の荷物に入れろ」
「何?」
「昼飯」
アルスが開けようとすると止められる。
「今開けるな」
「何が入ってるの?」
「昼になったら分かる」
エリシアが笑う。
「お弁当ね」
「言うな!」
「もう言ってるじゃない」
ガストンが大きく笑った。
アルスも笑って袋を荷物へ入れる。
収納魔道具ではない。
普通の昼食。
つまり。
昼までに食べる前提。
それでいい。
すべてを魔道具へ入れる必要はない。
玄関へ向かう時間になる。
セバスが荷物を最後に確認する。
紐。
留め具。
剣。
背負い方。
問題なし。
「アルス様」
「うん」
「お気を付けて」
「行ってきます」
マリアンヌも少し後ろから言う。
「絶対帰ってきてくださいね!」
「帰ってくるよ」
「怪我もしないでください!」
「それは約束できないかも」
「じゃあ小さい怪我だけにしてください!」
アルスが笑う。
「努力する」
ソフィアが近付く。
何か言うのかと思った。
でも。
少しだけアルスの服を整えた。
「無理をしてはいけませんよ」
「うん」
アルベルトは短く言った。
「よく見て、判断しろ」
それは。
冒険にも。
研究にも。
どちらにも使える言葉だった。
「分かった」
クラウスが言う。
「焦る必要はない。分からない場所なら、なおさらだ」
エリシアは最後まで少し心配そうだった。
「本当に帰ってくるのよ?」
「みんな同じこと言うな」
「言いたくなるの」
アルスは少しだけ考え。
頷いた。
「帰ってくる」
今度は。
はっきり言った。
門を出る。
振り返る。
家族。
セバス。
マリアンヌ。
ガストンまで玄関近くへ出てきている。
アルスは手を上げた。
そして。
王都へ向かった。
冒険者ギルドへ着くと、最初に見えたのはシリウスだった。
大きな背負い袋。
アルスが近付く。
「多くない?」
「家で増やされた」
「僕も」
二人で笑う。
シリウスがアルスの荷物を見る。
「お前は少ないな」
「収納魔道具があるから」
「ずるい」
「共用品が入ってるから、シリも使うんだけど」
「あ、そうだった」
少し遅れてアイリスとリリアが来る。
二人とも普段の学園制服ではない。
長く歩くための服。
丈夫な靴。
杖。
旅用の荷物。
シリウスがアイリスを見る。
「なんか冒険者っぽいな」
アイリスが返す。
「今まで何だったんですか?」
「学生」
「冒険者登録もしています」
「両方だろ」
リリアが笑う。
最後。
レインが来る。
背負い袋。
剣。
そして腰には、普段の一振りとは別に短剣。
アルスが気付く。
「短剣?」
レインが触れる。
「兄さんに使えるようにしておけって言われた」
「エルヴィンさん?」
「うん」
シリウスがすぐ反応する。
「騎士団の兄貴だろ? 強い?」
「強い」
「今度会わせて」
レインが苦笑する。
「何で?」
「戦ってみたい」
アイリスが呆れたように言う。
「会う目的がおかしいです」
五人。
揃った。
いつもと同じ。
でも。
今日は違う。
学園へ行くのではない。
初心者ダンジョンへ行くのでもない。
何日も。
王都から離れる。
ギルドへ入ると、ミーニャが受付から五人を見つけた。
「揃ったにゃ」
レインが全員を見る。
「はい」
ミーニャは一人ずつ冒険者証と装備を確認する。
アルス。
レイン。
シリウス。
アイリス。
リリア。
そして。
いつものように。
一。
二。
三。
四。
五。
数える。
シリウスが笑う。
「まだ出発してないよ?」
「だから数えるにゃ」
「帰ってきた時だけじゃないんだ」
「出る人数が分からなかったら、帰ってきた人数も分からないにゃ」
シリウスが納得する。
「確かに」
受付の横には、旅装を整えた人物が一人待っていた。
冒険者ギルドが手配した案内役。
派手な装備ではない。
荷物も五人より少ない。
ただ。
靴。
外套。
腰回り。
どれも使い込まれている。
長距離移動に慣れていることだけは、アルスにも分かった。
案内役は五人を一度確認し、ミーニャへ軽く頷く。
今日から。
この人物の後を歩く。
入口まで。
ただし。
帰りは。
自分達で覚えた道を戻らなければならない。
アルスは少し緊張した。
今までの冒険では。
帰る道があった。
地図。
街道。
ダンジョンのポータル。
今回は。
歩きながら。
帰る道そのものを覚える。
ミーニャが地図を出す。
「最初の二日くらいは街道を使うにゃ。その先から道が細くなるにゃ」
レインが地図を見る。
「ここまでは記録してありますね」
「そこから先は、案内役を見失わないこと。それと」
ミーニャは五人を見る。
「ただ付いていくだけじゃ駄目にゃ」
シリウスが聞く。
「帰れなくなるから?」
「それもあるにゃ。地形、川、山、太陽、目印。何を使って帰るか、自分達で決めながら行くにゃ」
アルスは地図を見る。
観測。
記録。
比較。
また。
同じ。
知らない場所でも。
やることは変わらない。
レインが言う。
「シリ。先頭を案内役に任せるとして、後ろから経路を見て」
「了解」
「アルは地図と方角」
「分かった」
「僕も地形を見る。アイリスとリリアも気付いた目印があったら言って」
二人が頷く。
もう。
始まっている。
まだ。
王都の中なのに。
冒険は。
ダンジョンへ入ってからではない。
ギルドの扉を出る。
朝の王都。
人。
荷車。
店。
いつもの景色。
五人は案内役の後ろを歩く。
大通り。
門。
王都の外へ続く道。
アルスは一度だけ振り返る。
巨大な城壁。
見慣れた王都。
まだ近い。
歩けば戻れる。
それでも。
一歩ずつ。
離れていく。
シリウスが前を見たまま言う。
「なんか、やっと冒険って感じするな」
アイリスが笑う。
「今まで何度も冒険しているでしょう」
「ダンジョンって入口から始まるだろ。でも今回は入口まで何日も歩く」
リリアが言う。
「わたしも少し分かります」
レインが振り返る。
「浮かれすぎないでね」
「分かってるって」
アルスも笑った。
道はまだ広い。
人もいる。
畑。
家。
荷馬車。
危険な場所には見えない。
でも。
この道の先。
知っている景色が終わる。
そのさらに先に。
中級ダンジョンの入口がある。
アルスは前を見る。
五人。
案内役。
六つの影が。
王都から伸びる街道を。
ゆっくり進んでいった。




