第103話 持っていく味
出発の前日。
アルスは朝から厨房にいた。
正確には。
厨房へ呼ばれた。
「坊ちゃん、こっちだ!」
大きな声が飛ぶ。
振り向くと、白い料理長服を着た大柄な男が、腕を組んで立っていた。
ガストン。
アークライト侯爵家の料理長。
アルスが物心ついた頃から、この屋敷の食事を作っている。
「久しぶり、ガストン」
「久しぶりじゃねぇよ。帰ってきてから厨房に顔出してねぇだろ」
「昨日帰ったばかりだけど」
「一日あれば十分だ」
豪快。
昔から変わらない。
ガストンは大きく笑うと、作業台を指した。
そこにはいくつもの料理が並んでいた。
乾燥肉。
固めに焼いたパン。
干した果物。
塩漬け。
焼いた肉。
野菜を煮込んだ料理。
アルスが見る。
「多くない?」
「五人だろ?」
「五人だけど」
「しかも一週間近く歩くんだろ?」
「入口までね」
「なら食う」
断言。
アルスは少し笑った。
「収納魔道具に入るのは五枠だよ」
「聞いた」
ガストンはすぐ答える。
「だから全部入れろとは言ってねぇ」
作業台の端。
小分けされた袋。
普通の携帯食。
「こっちは各自の荷物に入れる分だ。乾燥肉、パン、果物。火が使えなくても食える」
別の容器。
「こっちは魔道具へ入れる」
アルスが蓋を開ける。
湯気。
肉と野菜の煮込み。
できたて。
「これ、今作った?」
「当たり前だ」
「でも出発は明日だよ」
ガストンが笑った。
「だから試すんだろ?」
アルスが止まる。
「保存できるんだろ、その魔道具」
「できる」
「なら今日入れて、明日出して食え」
アルスは少し笑う。
研究者。
ではない。
料理人。
でも。
考えていることは同じだった。
本当に使えるか。
実際に試す。
「ガストンも研究向きかも」
「嫌だね。紙に数字書くより包丁持ってる方がいい」
即答だった。
アルスは収納魔道具を出す。
現在。
五枠。
出発用に中身はまだ確定させていない。
ガストンが聞く。
「何入れる予定だ?」
「薬、水、予備魔石、食料。空きを一つ」
「食料一枠?」
「まとめられるから」
「何日分?」
アルスが止まる。
「そこ、まだ計算中」
ガストンが大きく息を吐く。
「坊ちゃん」
「何?」
「食い物を最後に考えるな」
真顔。
アルスも少し姿勢を正す。
「はい」
「腹減ったら判断鈍る。歩けなくなる。戦えなくなる。飯は残った場所に入れるもんじゃねぇ」
言われてみれば。
その通り。
薬。
水。
魔石。
どれも大事。
でも。
食事も同じ。
今まで初心者ダンジョンでは。
日帰り。
だから。
食料は軽かった。
今回は。
違う。
数日。
歩く。
野営。
さらに探索。
「一枠で足りると思う?」
ガストンが聞く。
アルスは考える。
五人分。
数日。
量。
大きさ。
収納魔道具の一枠は、単純な重量ではなく固定位置へ収まる範囲。
詰め方にも限界がある。
「……足りないかも」
「だろ?」
ガストンが笑った。
「だから普通の保存食を持つ。魔道具は温かい飯と、傷みやすいものに使え」
アルスは納得した。
収納魔道具。
何でも入る。
ではない。
限られた容量。
だから。
何を入れるか。
選ぶ。
ガストンは次の料理を見せる。
焼いた肉。
少し濃い味付け。
「これは?」
「旅用」
「保存食?」
「違う。今日食っても旨い飯だ」
アルスが見る。
「保存魔道具に入れるなら、保存のために味を犠牲にする必要がねぇだろ」
そこで。
アルスは止まった。
その発想。
分かっていた。
暖かい食事を運べる。
既に試した。
でも。
旅の食料。
となると。
無意識に保存食を考えていた。
「そっか」
「何だ?」
「保存食を保存しなくていいんだ」
ガストンが眉を上げる。
「当たり前だろ?」
「いや、当たり前じゃなかった」
アルスは収納魔道具を見る。
時間停止。
なら。
焼きたて。
煮たて。
出来たて。
そのまま。
持っていける。
出発して。
数日後でも。
今と同じ。
「これ、かなり違うな」
ガストンが笑う。
「やっと料理人に追いついたか」
「研究者なんだけど」
「飯のことなら俺の方が上だ」
「それはそう」
そこへ。
マリアンヌが籠を持って入ってきた。
「ガストンさん、布袋を持ってきました!」
「遅い!」
「す、すみません!」
急いで作業台へ置こうとして。
籠の端が引っ掛かる。
傾く。
アルスが手を伸ばす。
ガストンも。
二人で支える。
中身。
無事。
マリアンヌが固まる。
「申し訳ありません!」
ガストンが笑った。
「食い物落としてねぇならいい!」
「はい!」
アルスも笑う。
厨房。
匂い。
声。
昔から。
変わらない。
マリアンヌが保存食を小分けし始める。
ガストンが横から見る。
「それ多い」
「え?」
「一袋に入れすぎだ。濡れたら全部駄目になる」
「あっ」
「分けろ。二回分くらいずつ」
「はい!」
アルスが横で聞いている。
また。
同じ。
一つへまとめすぎない。
水も。
薬も。
食料も。
収納魔道具も。
一つに頼らない。
リスクを分ける。
冒険者ギルドで教わったことが。
厨房にもある。
「料理も冒険と似てるね」
ガストンが止まる。
「どこが?」
「失敗した時に全部駄目にならないようにする」
「坊ちゃん」
「うん?」
「料理中に冒険の話するな」
「はい」
マリアンヌが笑いを堪えている。
ガストンが見る。
「マリー」
「はい!」
「笑ってる暇あったら手動かせ」
「はい!」
今度はアルスが笑った。
昼頃。
収納魔道具の中身が一度決まった。
一枠。
水。
一枠。
薬と緊急用の医療品。
一枠。
予備魔石と小さな修理用品。
一枠。
ガストンの出来たて料理。
一枠。
空き。
普通の背負い袋には。
各自が水。
携帯食。
非常食。
最低限の薬。
これなら。
収納魔道具がなくても。
すぐ困らない。
そして。
収納魔道具があれば。
旅の途中でも。
温かい食事ができる。
ガストンが腕を組んだ。
「出発前の飯もちゃんと食えよ」
「食べる」
「朝だぞ」
「分かってる」
「研究始めて忘れるなよ」
アルスが黙る。
ガストンが見る。
「返事」
「はい」
「よし」
夕方。
アルスは一度、収納した煮込み料理を取り出してみた。
湯気。
温度。
匂い。
変化。
なし。
ガストンが横から味見する。
少し考える。
もう一口。
「変わってねぇ」
アルスも食べる。
出来たて。
そのまま。
「成功」
「なら持ってけ」
ガストンが容器を閉じる。
「五人で食え」
「うん」
「旨かったら帰ってきて言え」
アルスが笑う。
「不味かったら?」
「ありえねぇ」
即答。
厨房に大きな笑い声が響いた。
その夜。
アルスは荷物を最後に確認した。
剣。
短剣。
水。
薬。
魔石。
保存食。
修理用品。
雨具。
収納魔道具。
そして。
中には。
ガストンが作った料理。
研究成果。
でも。
それだけではない。
家の味。
明日。
アルスは家を出る。
数日歩く。
まだ知らない場所へ。
中級ダンジョンへ。
でも。
食事の時間になれば。
一度だけ。
この家の厨房が。
そのまま旅先へついてくる。
それは。
今まで考えたことのなかった。
収納魔道具の使い方だった。




