第102話 帰る場所
アルスがアークライト侯爵家へ戻ると、玄関にはいつものようにセバスが立っていた。
「お帰りなさいませ、アルス様」
「ただいま、セバス」
荷物を受け取ろうとするセバスに、アルスは背負い袋だけ渡す。剣と収納魔道具は自分で持ったままにした。
セバスはそれを見ても何も言わない。ただ、以前より荷物の扱い方が自然になったアルスを一度だけ見てから、いつもの落ち着いた声で告げた。
「皆様、お待ちでございます」
「みんな?」
「はい」
嫌な予感ではない。
でも、何となく予想はついた。
食堂へ入ると、アルベルトとソフィアがいた。さらにクラウスとエリシアまで揃っている。
アルスが立ち止まる。
「全員いる」
エリシアがすぐ立ち上がった。
「アル!」
近付いてきて、顔を見る。次に腕。肩。なぜか一周するように確認された。
「怪我してない?」
「してないよ」
「本当に?」
「本当に」
ソフィアが柔らかく笑う。
「エリシア。帰ってきたばかりなのですから、座らせてあげなさい」
「だって初心者ダンジョンでオーガと戦ったって聞いたのよ」
アルスが椅子へ座る。
「もう何回も戦ってるよ」
「それを安心材料みたいに言わないで」
クラウスが向かいから笑った。
「相変わらずだな」
「兄さんも帰ってたんだ」
「休みが合っただけだ。魔法師団もずっと働いているわけじゃない」
アルベルトが紅茶を置く。
「まず座れ。話はそれからだ」
全員が席につく。
少しだけ静かになる。
アルスはこの空気を知っている。
怒られる。
ではない。
説明を求められている。
「中級ダンジョンへ行くそうだな」
父の言葉にアルスが頷く。
「うん。三日後」
ソフィアの表情が少し曇る。
「何日くらいなのです?」
「まだ決まってない。入口まで片道一週間以内。それから探索して、帰ってくる」
「一週間以内……入口まで?」
「うん」
エリシアが思った以上に長かったらしく、目を丸くする。
「ダンジョンに着くまでにそんなに掛かるの?」
「初心者ダンジョンとは違うんだ。入口の場所を知ってる案内人が必要で、帰り道は自分達で覚える」
クラウスが興味を持ったように聞く。
「案内人はギルドか?」
「そう。ボルドさんのところ」
アルベルトが頷く。
「なら手配そのものは問題ないだろう」
ソフィアが夫を見る。
「あなたまで簡単に言わないでくださいな」
「簡単とは言っていない」
それからアルベルトはアルスへ視線を戻した。
「行くことは止めない」
ソフィアが今度はアルベルトを見る。
「あなた?」
「止めても行くだろう」
アルスは少し考える。
「たぶん」
「ほらな」
「そこで納得しないでください」
ソフィアの声は穏やかだが、少しだけ強い。
クラウスが笑いを堪えている。
エリシアは全く堪えていない。
「お母様が一番強い」
「エリシア?」
「何でもないです」
アルスも少し笑った。
家へ帰った。
そんな感じがした。
アルベルトが話を戻す。
「誰と行く」
「レイン、シリウス、アイリス、リリア。いつもの五人」
「初心者ダンジョンを攻略した五人か」
「うん」
「なら、その五人で行け」
即答だった。
アルスが少し驚く。
アルベルトは続ける。
「慣れない場所で、さらに慣れない仲間を増やす必要はない。案内人を除けば、今まで通りの方がいい」
クラウスも頷いた。
「それはそうだな」
エリシアが聞く。
「アルは何するの?」
「何するって?」
「役割」
アルスは少し考える。
前衛支援。
魔素察知。
観察。
状況によっては正面。
収納魔道具の管理。
「いっぱいある」
「答えになってない」
クラウスが笑う。
アルスも笑った。
「決まった一つじゃないんだ。レインが指揮。シリウスが斥候。アイリスが攻撃魔法。リリアが補助と回復。僕は、その間を埋める感じ」
クラウスの表情が少し変わった。
「なるほど」
「変?」
「いや。アルらしい」
「そう?」
「昔なら、自分が何をするかを先に決めていただろう」
アルスは考える。
確かに。
五歳の頃。
魔法を調べ始めた頃。
自分が見たい。
自分が試したい。
それが中心だった。
今も研究は好きだ。
でも。
戦闘では。
自分だけを見ていられない。
「パーティーだからね」
クラウスが笑った。
「良い仲間なんだな」
「うん」
レインが兄へ同じように答えたことを、アルスは知らない。
でも。
返事は同じだった。
ソフィアが少し安心したように息を吐く。
「一人ではないのですね」
「最初から一人では行かないよ」
「アルは研究対象を見つけると、一人でも追いかけそうですもの」
「そこまでしないよ」
全員がアルスを見る。
アルスも止まる。
「……たぶん」
エリシアが笑い出した。
「ほら!」
ソフィアまで笑う。
アルベルトだけは小さく息を吐いた。
「無理はするな」
「うん」
短い。
いつもの父の言葉。
でも。
今回は少し重く聞こえた。
その後、話は装備へ移った。
アルスが持っていく物を机の上へ並べる。
剣。
短剣。
薬。
水。
非常食。
雨具。
修理用品。
予備魔石。
そして。
収納魔道具。
クラウスがそれを手に取らず、近くから見る。
「これが例の収納魔道具か」
「うん。試作一号」
「本当に時間が止まる?」
「今のところはね。食料の状態変化は確認できてない」
「五枠だったか」
「そう」
アルスは今の使い方を説明する。
薬。
水。
予備魔石。
食料。
そして空き枠。
エリシアが聞く。
「空けておくの?」
「ダンジョンで何か持ち帰るかもしれないから」
「でも一個しか入らない」
「そこが今の問題」
クラウスが笑う。
「もう改良のこと考えてるな」
「考えるだけ」
「本当に?」
「中級から帰るまでは触らない」
それを聞いてソフィアがすぐ頷いた。
「それがいいです」
「お母さん、魔道具のこと分からないでしょ」
「分からなくても、出発前にアルが夜更かししそうなのは分かります」
何も言えなかった。
セバスがちょうど紅茶を補充しに来る。
ソフィアが尋ねた。
「セバス。アルが研究室へ行こうとしたら止めてくださいね」
「かしこまりました」
「セバスまで」
「アルス様。睡眠も準備の一つでございます」
完全に正しい。
アルスは諦めた。
食事の後。
自室へ戻る。
久しぶりの部屋。
大きく変わってはいない。
机。
本棚。
小さな研究道具。
昔なら。
帰ればすぐ何かを広げていた。
今日は。
荷物を広げる。
冒険の準備。
そこへ。
軽い音。
扉が開く。
「アル様、お帰りなさいませ!」
マリアンヌだった。
アルスが振り返る。
「ただいま、マリー」
専属メイドのマリアンヌは、机の上に広がった荷物を見て目を丸くした。
「本当に旅へ行かれるんですね」
「三日後」
「何日も?」
「たぶん」
少し不安そうな顔。
でも。
止めるとは言わない。
代わりに荷物を見る。
「お着替え、これだけですか?」
「足りると思う」
「足りません」
即答。
「でも重くなる」
「収納魔道具がありますよね?」
「食料と水を優先する」
マリアンヌが止まる。
「じゃあ……」
少し考える。
それから。
「薄いものにします」
「増えるの確定なんだ」
「当然です」
そこだけ妙に強かった。
アルスは笑う。
マリアンヌが着替えを確認している間に、アルスは修理用品を見る。
紐。
針。
留め具。
砥石。
最低限。
そこへセバスも入ってきた。
「失礼いたします」
「どうしたの?」
「アルス様の旅装について、確認を」
マリアンヌが少し緊張する。
「わ、私も確認しております!」
セバスが荷物を見る。
「そのようですね」
それだけで。
マリアンヌの動きが少し慎重になった。
セバスは荷物を一つずつ確認する。
余計なものを増やさない。
でも。
必要なものは抜けていないか。
アルスはそこで気付いた。
ギルド。
レイン。
家族。
みんな。
同じことをしている。
何を持つか。
何を持たないか。
何がなくても帰れるか。
冒険へ行く準備とは。
武器を揃えることだけではない。
帰れる形を作ること。
それなのかもしれない。
マリアンヌが最後に小さな布袋を置いた。
「これは?」
「予備の布です。汚れを拭いたり、傷口を押さえたり、何か包んだりできます」
アルスが見る。
軽い。
小さい。
「これは持っていく」
マリアンヌが嬉しそうに笑った。
セバスも静かに頷く。
準備が終わった頃。
もう外は暗くなっていた。
アルスは窓の外を見る。
三日後。
五人で集まる。
案内人と合流する。
歩く。
何日も。
そして。
まだ見たことのないダンジョンへ入る。
楽しみ。
少し怖い。
どちらもある。
その時。
アルスはふと思った。
前の人生にも。
旅へ出る前は。
こんな感じだっただろうか。
記憶はある。
でも。
今。
この家から出る感覚とは違う。
ここで生まれて。
ここで育って。
帰ってきて。
また出ていく。
だから。
意味が違う。
アルスは荷物を閉じる。
研究道具には。
触らなかった。
今日は。
眠る。
それも。
準備だった。




