第101話 兄の帰る日
最初の長期休暇が始まった。
学園へ入ってから初めての、まとまった休み。
アルスたち五人にとっては、中級ダンジョンへ向かうための時間でもある。案内人の手配は王都冒険者ギルドへ依頼済み。出発までは数日あるため、それぞれ一度家へ戻り、装備や衣類を整えることになっていた。
「じゃあ三日後、ギルドで」
学園の門前でレインが言う。
シリウスが手を上げた。
「遅刻するなよ」
「それはシリに言う言葉じゃない?」
アイリスが笑う。
「俺、冒険の日は遅れないから」
「普段も遅れないでください」
その横で、リリアも笑っている。
数日離れるだけ。
それでも。
毎日のように一緒にいた五人が別々の方向へ帰るのは、少し変な感じがした。
アルスはアークライト家へ。
レインはヴォルフガング家へ。
シリウス、アイリス、リリアもそれぞれの家へ戻る。
そして三日後。
また。
五人で旅に出る。
レインがヴォルフガング侯爵家へ戻ったのは、その日の昼過ぎだった。
門を抜けると、使用人たちが迎える。
久しぶり。
といっても。
王都の学園から家へ帰れない距離ではない。
それでも学園生活が始まってからは、以前ほど顔を出していなかった。
荷物を預け、屋敷へ入る。
その時。
玄関奥から声がした。
「レイン」
レインが顔を上げる。
そこに立っていたのは、レインより少し年上の青年だった。
騎士団の制服。
鍛えられた身体。
レインと似た雰囲気。
でも。
立ち方が違う。
無駄が少ない。
「兄さん」
エルヴィン・フォン・ヴォルフガング。
ヴォルフガング侯爵家長男。
王国騎士団所属。
レインの兄。
エルヴィンは弟を上から下まで見て、それから少し笑った。
「少し変わったな」
レインも笑う。
「どこが?」
「立ち方」
「立ち方?」
「前より周りを見るようになった」
レインは自分では分からない。
でも。
言われてみれば。
門を入った時。
庭。
人。
通路。
無意識に見ていた。
ダンジョンで。
ずっと。
そうしていたから。
「冒険者ギルドに登録したんだ」
エルヴィンの眉が少し上がる。
「聞いてる」
「もう知ってるの?」
「父上からな。それに、王都で侯爵家の子息五人が初心者ダンジョン三十階層を攻略したら、騎士団にも多少は話が回る」
レインが少し困ったように笑う。
「五人全員が侯爵家じゃないよ」
「そうだったな」
二人はそのまま屋敷の奥へ歩く。
エルヴィンはレインの荷物を見る。
剣。
野営道具。
普通の帰省にしては多い。
「休暇中にどこかへ行くのか?」
「中級ダンジョン」
エルヴィンが止まった。
「中級?」
「うん。三日後に出る」
少し。
間。
レインは兄の表情を見る。
反対されるか。
そう思った。
でも。
エルヴィンは聞いた。
「誰と?」
「いつもの五人。アル、シリウス、アイリス、リリア」
「案内は?」
「ギルドが手配してくれる」
「日数は?」
「入口まで片道一週間以内。そこから探索するから、全部でどれくらいになるかはまだ分からない」
エルヴィンは頷く。
質問。
一つずつ。
感情より先に。
条件を確認する。
その感じが。
どこかレイン自身にも似ていた。
「初心者ダンジョンとは違うぞ」
「分かってる」
「分かってる、で終わる奴ほど危ない」
レインが少し笑う。
「ギルドマスターにも似たようなこと言われた」
「ボルドか」
レインが見る。
「知ってるの?」
「騎士団で知らない奴の方が少ない。元Sランクだぞ」
また。
レインの知らないところで。
色々繋がっている。
エルヴィンは歩き始める。
「装備を見せろ」
「今?」
「三日後だろ?」
「そうだけど」
「なら今だ」
レインは苦笑した。
昔から。
こういう兄だった。
必要だと思えば。
すぐやる。
二人は屋敷の訓練場近くにある小部屋へ移動した。
レインが荷物を広げる。
剣。
予備の留め具。
水。
非常食。
簡単な修理用品。
雨具。
着替え。
薬。
収納魔道具はアルスが共用品として持つ予定なので、レインの手元にはない。
エルヴィンは一つずつ見る。
「食料、少なくないか?」
「共用品は収納魔道具に入れる」
「収納魔道具?」
レインが説明する。
アルスとティアが作った試作品。
内部時間停止。
五枠。
水。
食料。
薬。
予備魔石。
空き。
エルヴィンは少し黙った。
「アルスって、アークライト家の?」
「うん」
「例の研究好きな三男か」
レインが笑う。
「研究好きで説明するとだいたい合ってる」
「それを実戦に持って行ってる?」
「もう何度も使ってる」
エルヴィンは少し考える。
「便利だな」
「かなり」
「だからこそ、壊れた時を考えてるか?」
レインはすぐ頷いた。
「各自、最低限の水と食料は普通に持つ。薬も分散。収納魔道具だけには頼らない」
エルヴィンがレインを見る。
そして。
少し笑った。
「ならいい」
それだけ。
褒めすぎない。
でも。
納得したのは分かる。
次。
剣。
エルヴィンが抜く。
刃を見る。
「手入れは悪くない」
「最近ずっと使ってるから」
「だからこそ悪くなりやすい」
剣を返す。
「予備武器は?」
レインが止まる。
「短剣一本」
「見せろ」
出す。
エルヴィンは確認する。
「これは?」
「ほとんど使ってない」
「なら使え」
レインが聞く。
「今?」
「今」
また。
訓練場へ。
レインは短剣を持つ。
普段。
一 handed sword.
前衛。
長さ。
間合い。
それに慣れている。
短剣。
短い。
軽い。
「構えてみろ」
レインが構える。
エルヴィンは木剣を取る。
「行くぞ」
「ちょっと待って、兄さん騎士団だろ」
「だから何だ」
来る。
速い。
レインは反応する。
短剣。
受けない。
避ける。
反撃。
届かない。
「短い」
「当たり前だ」
もう一度。
エルヴィン。
踏み込み。
レイン。
横。
短剣。
腕へ。
今度は近い。
木剣。
止まる。
「そこ」
エルヴィンが言う。
「剣がなくなった時、いつもの間合いで戦うな」
レインは息を整える。
ダンジョンで。
役割を入れ替えた時と同じ。
得意な形。
それが使えない時。
どうするか。
「もう一回」
今度はレインから言った。
エルヴィンが少し笑う。
「そう言うと思った」
数回。
短い攻防。
レインは少しずつ間合いを変える。
一 handed sword.
短剣。
同じ前衛でも。
全く違う。
訓練を終える頃には、レインの額に汗が浮かんでいた。
エルヴィンが木剣を戻す。
「悪くない」
「全然当たらなかったけど」
「騎士団員相手に三回目で当てられたら、俺が困る」
レインが笑う。
兄。
昔から。
強かった。
レインにとって。
最初に見た剣士。
最初に。
追いかけた相手。
「兄さん」
「ん?」
「僕、前より強くなった?」
エルヴィンはすぐには答えなかった。
少し考える。
そして。
「強くなった」
レインの表情が少し変わる。
「でも」
続く。
「剣だけじゃない」
「どういう意味?」
「昔のお前なら、俺に短剣を使えと言われたら、剣ならもっと出来るって顔をしてた」
レインは否定できない。
「今は?」
「とりあえず試した」
少し。
笑う。
「仲間が出来た影響か?」
レインは考える。
アルス。
シリウス。
アイリス。
リリア。
それぞれ。
違う。
得意なことも。
考え方も。
戦い方も。
全部。
違う。
その中で。
自分のやり方だけを通していたら。
五人では戦えない。
「たぶん」
エルヴィンが頷いた。
「良い仲間みたいだな」
「うん」
レインの返事は早かった。
その夜。
夕食を終えた後。
レインは自室で荷物をもう一度確認した。
短剣。
少し手入れをする。
普段は予備。
使わない前提。
でも。
使わないとは限らない。
中級ダンジョン。
分からない場所。
何が起きるか。
まだ。
知らない。
だから。
準備する。
その時。
扉が軽く叩かれた。
「レイン」
兄。
「入って」
エルヴィンが小さな包みを持って入ってくる。
机へ置く。
中。
予備の革紐。
金具。
砥石。
簡単な修理道具。
「持っていけ」
レインが見る。
「これ、騎士団の?」
「俺の予備だ」
「いいの?」
「また買える」
短い。
レインは少し笑った。
「ありがとう」
エルヴィンは扉へ向かう。
そこで。
一度だけ止まった。
「レイン」
「何?」
「帰ってこい」
それだけ。
レインも。
それだけで分かった。
「うん」
兄は部屋を出る。
レインは机の上の道具を見る。
三日後。
五人。
初めての長い旅。
中級ダンジョン。
でも。
その前に。
帰る場所がある。
待っている人がいる。
だから。
帰ってくる。
冒険者ギルドで何度も聞いたこと。
今度は。
兄から聞いた。
レインは修理道具を荷物へ入れた。
そして。
出発の日を待った。




