第92話 防衛戦
戦闘は唐突に始まった。
カナメは不自然なほどに濃すぎる煙幕に視界を奪われながらも、あらゆる方向から飛んでくる燃える拳を、氷柱を、諸刃のブーメランを防ぎ続けていた。
気配の察知ができないカナメは、自分の感覚を放棄して、背後のジンの指示だけに意識を向ける。
とにかくジンの右手の指差しを注視し、左手で肩を叩かれると同時に盾を召喚する。
生き延びるために、二人で考えた方法だった。
最初はエルナスもいつものように盾のタイミングを指示しようとしてきたが、今回ばかりは引っ込ませた。
自分の命だけが惜しいエルナスの指示で、ジンも守りきれるとは思えない。ジンの指示がある限り、エルナスを頼る理由がなかった。
数え切れないほどの重い衝撃が腕を通るたびに、心臓を鷲掴みしてへし折ろうとしてくる。それでもカナメは「間違いなくジンを守れている」という実感だけでどうにか踏ん張っていた。
「──!マリアが動いた。サツキたちもいる……!」
耳元でジンが呟いた。
その言葉に心がフッと軽くなり喜びたかったが、すぐに肩を叩かれ咄嗟に盾を出す。他のことに気を取られている場合ではない。
「おいお前ら、一旦下がれ!」
真正面の煙の奥で、野太い男の声が響いた。
ザザっと地面をする音がしたと思うと、絶え間なく続いていた攻撃が止み、代わりに口喧嘩が始まった。
「全部、ふ、防がれてますよ! 雑魚って聞いたから譲ってもらったんじゃないんですか!?」
「ほんとよ! 翼部隊の報告じゃ、瀕死の雑魚三人が逃げたから手柄やるって話だったわよね! 話が違うじゃない!」
「しかもみんな、俺たちがこいつらの首取りに行ったって知ってるんだ! 帰るにも帰れねえぞ!」
大声で文句が飛び交う。
三人が口々に、野太い声の男を責め立てているようだ。仲が悪いのか言い合いが止まらない。
だがそれよりも。
翼部隊。
その言葉が胸に引っかかった。
「ねぇジン……今の聞いた……?」
カナメの言葉に、ジンも頷く。
「あぁ。あいつら、俺たちを殺しかけた奴の仲間かもな。なるほど、奴らが追ってこなかったのは、トドメを譲るためか……狩りかよ」
ジンは続けて、掠れそうなほど小さな声で耳打ちをした。
「……奴ら、口喧嘩で俺たちの気を反らせておいて、ちゃっかりとり囲もうと動いてる。悟られないように、静かに移動するぞ」
カナメは返事をしそうになる口をギュッとつぐんだ。飲み込んだ言葉が喉を鳴らしている。冷や汗が頬を伝うのがハッキリわかった。
カナメはジンに誘導されながら、煙の中をゆっくり横に移動していく。敵自身のカモフラージュの口喧嘩で、足音はほぼ掻き消えていた。
「っ!?」
ジンが勢いよく振り向く。
同時に煙が一層濃くなり、視界がほとんど無くなった。
ジンは足を止め、一瞬真横に視線を止める。
そのまま視線と同じ方向へ腕が伸ばすと、即座にカナメの肩を叩いた。
カナメは咄嗟に盾で衝撃を受け止めた。
氷が砕け散る音が響く。
さらに息付く暇もなく、ジンがカナメの体を地面に押し付けた。
「!?」
刹那、体のすぐ真上の煙を、重たい刃が切り裂いていったのが見えた。
諸刃のブーメランだった。
「……ま、また避けて……ッ!」
四人組で唯一の女性が声を上げた。
カナメはすかさず立ち上がり、ジンの腕を掴んで無理矢理体を引き上げた。
そのまま迷わずに声の方向に向けて盾を準備する。
「こっちだ」
後ろからジンがカナメの両腕を掴み、反対方向に体を回した。息をつく間もなく肩が叩かれ、ほとんど反射で盾を呼び出した。
ゴォンと鈍い音がする。拳を弾いた音だ。
「……やべ、同時……っ!」
耳元でジンの焦燥を感じ取るや否や、カナメの体は急に、宙へと乱暴に持ち上げられた。
「……う……っく!」
「え……っ、ジン!?」
気づくとジンがカナメを抱え、煙から飛び出していた。ジンの着地と同時に、カナメも地面に下ろしてもらう。
顔をあげると、煙の中からは金属と氷が空気を裂き、互いに弾けた音が響いた。
それは轟音のはずなのに、背後から聞こえたドサッという音が、全てを押し退けて耳に届いた。
ジンが、倒れた。
「……ジンっ、大丈夫!?」
「悪い……防げないと思って、つい走っちまった……」
ジンはうつ伏せのまま、腕で上体だけを起こした。
「……ダメだ、もう脚に力が入らねぇ……それより後ろ……」
カナメは急いで振り返った。
野太い声の男は拳に炎を纏わせ、女は肘と腕の一部をブーメランに変形させている。
その前でチンピラのような男が、弱々しそうな男へと怒鳴り散らしていた。
「おい、アイツ煙から逃げてるぞ! 早くもう一回煙幕撒け!!」
「い、意味ないですよ! 煙あっても当たらないなら、使うだけ僕たちが損です!」
なるほど。今のやり取りで、ようやくそれぞれの役割は見えた。
しかしそれがわかったところで、ジンはもう動けなさそうだ。ここからは合図無しで、自力で防がないといけない。
胸の底が震えた。
「てめぇら、何言い合ってんだ! 一人倒れた今がチャンスだろうが! さっさと行け!」
野太い声の男が、燃え盛る手でカナメとジンを指差す。それを合図に女とチンピラが両手を構えた。
「ぐ、ぅ……、カナメ……攻撃が……」
「う、うん……!」
カナメは泳いで揺れそうな視線を無理矢理二人に合わせ、敵の動きを凝視した。
女が両肘の一部を射出し、二本のブーメランが弧を描くように左右に広がっていく。
さらにタイミングをずらして、チンピラが両手を上げた。掌が青く光っている。
時差攻撃。
しかも最初の攻撃は左右別々。
どう防いだら……。
《前方に広い盾だ!》
「!!」
エルナスの声に突き動かされ、目一杯横に広げた盾を召喚した。ざっと、畳二畳分の広さと高さ。
横に広げ過ぎて縦は胴体しか隠れなかったが、肘の大きさほどのブーメランを弾くには十分だった。
ジンが倒れた今、エルナスの指示を聞くしかない。抵抗はある。だが迷ってはいられない。
カナメは胸の声に耳を傾けた。
《すぐ上だ!》
続けて両手を上に突き出す。
横長の盾の消失と入れ替わりに、頭上にカナメとジンを隠せるほどの盾が出現した。
雨のように降る氷柱を盾の屋根で受け止め、氷の破片が四方八方へ飛び散っていく。
「!! カナメ、後ろ向け!!」
「えっ、後ろ!?」
ジンの声に慌てて振り向くと、視界の両端にギラリと光るブーメランの軌道が見えた。
《おい、前方からも拳が来るぞ!》
「えっ、ど、どっち……!?」
「後ろに盾でいい!!」
ジンが叫んだ。
それを信じて、背後からくるブーメランを横長の盾で弾き返す。
金属音が二つ鳴り響くのを確認し、火拳が来る方向へ視線を戻──。
燃える拳が振り抜かれる寸前、ジンの背中が滑り込むように、視界に割り込んだ
「……ジ、ジン……?」
鈍い音と、重い物が地面を滑っていく音がした。
「……悪いな。やっぱ、お前が死ぬかもって思ったら……簡単にこうなっちまうみたいだわ……」
いつの間にか、少し離れた場所で、火拳の男が倒れている。
そしてカナメの目の前では、脚が獣となったジンが、振り抜いたであろう右脚を軽く浮かせていた。
助かった。
そう思うよりも先に、胸の内側が急激に冷えていくのを感じた。
翼を持つ黒タトゥー三人組と戦った時も、最終的にジンの脚は魔物化してしまっているのだ。
ジンがどんどん魔物に侵食されているんじゃないかという恐怖が、体のあちこちを震わせた。
「……ねえ、ジン……今日……二回目だよ……」
そんなカナメの恐怖を他所に、ジンの声は嫌に落ち着いていた。
「関係ねぇよ、お前が生きてるなら。……それより前見ろ」
ジンの重く鋭い言葉に、歯を食いしばって敵の方を見やる。
生き延びることを優先するのであれば、ジンの事ばかり見ている場合じゃない。
頭でわかっていても、感情が追いつかなかった。
敵は動いてこない。
皆、蹴り飛ばされた火拳の男とジンの脚を見比べ、警戒しているようだった。
「……死なない程度で、奴らに礼でもしてやろうか? 他のお仲間に対しても、もう追ってくんなよって見せしめになんだろ」
背筋が凍った。
──これがジンの……魔物と混ざりあった意識……。
「や……やめてよ……。そんなの……そのうち本当にジンが魔物になっちゃいそうで嫌だよ……」
「仕方ねえだろ、四対二なんだから。やっと攻撃できるようになったんだ、戦うべきだろ」
カナメは、こちらの様子を伺ってジリジリと寄ってくる四人の敵へ目を向けたまま、ジンの腕をグッと掴んだ。
「戦うのはわかってる! でも見せしめは違うよ!」
「奴らを退けるならそれが一番……っ、上だ!」
ジンが突然真上を指差した。
カナメはその意図を理解し、迷わず頭上に盾を生み出す。
先程と同じように氷柱の雨が盾に降り注いだ。
だが、砕けた氷の音が一向に終わらない。
むしろ周りの音を掻き消す嵐のように、氷柱の雨音は勢いを増した。
「チッ……最悪だ、耳が……。追撃が分からねえ……」
ジンが一瞬だけ片手で耳を抑え、眉をしかめながら姿勢を落とした。鋭く正面を見て、今にも飛び出しそうだ。
《カナメ! 左右からブーメラン、正面から拳も来るぞ!》
「……そんな……っ!」
今も続く氷柱のせいで盾を下ろせない。
両手をあげた自分は今無防備だ。
大量の氷の破片を潜り抜けて男が迫り、燃える拳を振りぬこうとしている。
一瞬だったかもしれない。けれど、全てがスローモーションになり、一挙一動すべてを目が捉えた。
頭が凍りつき、足が動かなくなった。
だが。
──バキュンッ
鋭く、乾いた破裂音が轟いた。
「ぐぉぉッッ! 誰だ!!!」
チンピラが短い叫びと同時に腕を押さえ、氷柱の雨が突然止んだ。
《今だ! 正面に広い盾を!》
「!!」
ゆっくりだった世界が動き出し、カナメは再び盾を出した。直後に、ブーメランも拳も受け止めた手応えが腕を伝う。
「なっ、増援か!? おい、貴様ら戻ってこい!!」
火拳の男の号令で、四人が一気に下がって固まった。入れ替わりで背後から、聞き覚えのある声が飛んできた。
「おい無事だったか!?」
チラリと後ろに目をやると、銃身を構えたままの男が、こちらにダッシュで向かって来た。
サツキだった。
「姉ちゃんから、お前ら本当はまだ戦える体じゃねえはずだって聞いて焦ったぜ! よく生きてたな!」
サツキはジンの肩を軽く叩いた。
ジンはやりにくそうに目を逸らす。
「……見ての通りだ」
「なんだ、元気そうで良かったよ。姉ちゃんもすぐ追いつく。マリアもゆっくりだけど向かってきてるぜ」
助かった……。
カナメは胸を撫で下ろし、衝撃に耐え続けた自分の右腕を少しだけさすった。




