第90話 決意の中の綻び
寂れた道の片隅で、カナメは膝を抱えていた。
もう、どれくらい歩いて、どれくらいここで座っているのか、自分でも分からない。
ただ、ホテルからはだいぶ離れてしまったようだ。
その代わり、だいぶ頭も冷えてきた。
警報のように体を急かした鼓動も、既になりを潜めている。
それでも、一度抱いてしまったモヤモヤとした気持ちは、砂時計のように、胸に落ちて溜まり続けていた。
カナメは右腕を見つめる。
盾で衝撃を受け止めるたびに、血の匂いを嗅ぐたびに、腕を伝って、人の命を奪った記憶が蘇ってくる。
けれど誰も失いたくなくて、自分も戦うと決めた時から、その記憶はだんだんと足枷ではなくなっていった
もちろん、今だって怖い。
だがそのぐらい、みんなを守りたい、守らなきゃと思う力が強かった。
──しかし、その強い気持ちは、「自分の盾は全員を守れる」という前提のもとに成り立っていただけの、思い上がりだった。
今日の、ジンとマリアがボロボロに傷付き、自分だけが立っていた有様を思い出す。
挙句の果てに、鎌鼬の追撃はジンに庇われ続け、「自分が守る」という役目すらも全うできなかった。
エルナスの言う通り、力の限界を思い知ってしまった。
今回は運良くキサラギが見つけてくれたから助かっただけだ。
次こそ自分の力不足のせいで、誰かが死ぬかもしれない。
これはただの不安なんかじゃない。
紛れもなく、誤魔化しようのない事実。
それが分かってしまったからこそ、この恐怖を拭えなかった。押し殺せずにいた。
「いた! カナメ!」
「……え?」
急に遠くから聞こえた叫び声に、カナメは顔を上げた。
街灯だけが頼りの暗がりで、僅かに人影が見えた。だが、顔が見えなくたって声でわかる。
ジンだ。
ジンは、ほとんど力の入っていないような脚で走ってきた。
やがて顔が見えるほどの距離まで近づいた時には、ジンの脚はよろけ、息も絶え絶えで、カナメの隣に並ぶなりすぐに座り込んでしまった。
「だ……大丈夫……?」
「はぁ……はぁ……っ。良かった……追いつけて……」
ジンの呼吸の荒らさが少し心配で、落ち着くまでしばらく待った。
やがてジンが汗を拭い、肩の上下も収まった頃、カナメはふと、あることに気づいた。
「あれ、ジン一人? サツキは……?」
「サツキ……? あぁ、カナメを追いかけるって言ったら、"二人の方がいいだろ?"って部屋に残ったよ」
ジンは脚を揉みながら答える。
「ねぇ……脚、痛いの?」
カナメはジンの脚を指差した。
数時間前は立ち上がれないほどに、鎌鼬でズタズタに斬られ、血まみれだった脚。
守りきれなかった脚だ。
「いや、痛みはねえよ。疲れが酷くて力が入んねえってだけだ。ま、歩けるだけ御の字だよな。キサラギに感謝しねえと」
「そ……そうなんだ……良かった……」
痛みはないという返事にほっとはしたものの、やはり戦いの時の傷がチラついてしまう。
カナメは落ち込みを隠せず、深く息をついてしまった。
「……なぁ、何があったんだ? 魔物に何か言われでもしたか?」
ジンの問いに、カナメは思わず唾を飲み込んでしまった。
実際その通りだ。
ただ、魔物のせいってわけじゃない。
急に迫ってきた恐怖に耐えられなくて、飛び出してしまっただけ。自分が情けなかっただけ。
答えられずにいると、ジンが優しい声色で話しかけてきた。
「……あのさ。もし魔物から変なこと言われても、あんま気にするなよ。お前は魔物に唆されてとかじゃなくて、自分の意思で俺たちのために戦ってくれてんだから。何言われたって関係ないって」
ジンのその言葉に、胸を鷲掴みされそうになった。
"俺たちのため"……その言葉が、頭を殴りつけた。
ここにいるのは、"ジンたちの力になれなかった自分"だ。
「……違う……違うんだよ……」
口から、苦い気持ちが勝手に漏れた。
「今日さ、俺は二人を守れなかった……。それでエルナスに、これが俺の限界だって言われたんだ。俺もそうだと思ったよ。次同じことが起きたら、今度こそ守れないかもしれないって……!」
次第に声が大きくなり、気づけば、ジンの両肩を掴んでいた。
きっと手には、物凄く力が入っている。
「……お、おい、どうしたんだよカナメ……落ち着けって……」
「今日だって、キサラギが来てくれなかったら、二人は死んでたんだ……! 守ることでしか力になれないって思ってたのに、それすらも満足にできないって分かっちゃって……!」
「落ち着けって! 今日は相手が悪すぎただけだ、お前が悪いわけじゃないだろ!」
ジンの力強い声に気圧されて、カナメはジンの肩を掴むのを止めた。
震える指先の行き場がなくて、腕を下ろしたまま、ただ拳を握りしめた。
「わかってる……わかってるけど……!」
瞼の裏には、血だらけのジンとマリアの姿。
「……けど、いつか本当にみんなを失う未来が見えちゃって……それが急に怖くなって、飛び出してきちゃった……」
「……カナメ……」
カナメは息を吐いて、拳を開く。
──……怖いからなんだ。
怖いからと言ってエルナスの言う通り、戦いから身を引くなんて癪だ。そう思うぐらいのプライドはある。
もう後戻りはできない。普通の生活になんて戻れるわけがない。
そのつもりで、戦うと選んだはずだ。
前に進んだと思ったら、ふとした事で後ろを向いてしまう。
そんな自分の弱さに嫌気を抱きながら、ジンにはそう見せないように笑って見せた。
「……ごめん。自分で、戦いに足を踏み入れておいて言う話じゃなかったよね。なんか、色々考えちゃって、勢いで吐き出しちゃっただけ。……もう大丈夫だから」
カナメは腰を持ち上げた。
続けてジンも立ち上がろうとしたが、体が重いのか体勢を崩してしまった。
カナメは慌てて手を伸ばし、ジンの体を引き上げる。
ジンは、支えにするようにカナメの肩に手を置くと、そのまま真っ直ぐな目で、カナメを見据えた。
「……カナメ。俺は、お前が俺を守ってくれるから一緒にいるわけじゃないからな」
「……え……」
「え、じゃねえよ。友達だから一緒にいるに決まってんだろ。守るだけがお前じゃねえよ、そんなことで怖がんな」
ジンの言葉に、頭が一瞬固まった。
当たり前のことを言っているだけ、そんなジンの声色が、恐怖で埋め尽くされていた肺に隙間を作ったような気がした。
カナメは大きく息を吸う。
「……ごめん……そうだよね、俺たち……」
友達だよね。
そう口にしようとした瞬間、ジンの小さく、しかし鋭く重い呟きで、言葉が遮られた。
「……グルザが……起きた……」
そして、その言葉と同時にジンが急に頭を抑え、膝を折って呻き出した。
「ジ、ジン……!?」
急いで顔を覗き込む。
冷や汗が凄い。目を見開いて苦しそうだ。
「あ、頭……いて……」
息が荒い。何が起きたか分からないが、とにかく休ませなければ。
カナメはジンの肩に手をかける。
自信はないが、背中におぶろうと思った。
だが、ジンは咄嗟にカナメの腕を掴み、息を荒くしたまま引き止めた。
「……今、知らない能力者の気配がして、グルザが起きたんだ……。一気に音が聞こえすぎて……頭が……」
ジンはすぐに頭を振って、震える足でどうにか立ち上がった。
「そんなことより、能力者が四人、力を溜めながら真っ直ぐこっちに向かってきてる……多分敵だ……!」
「……て、敵……? よ、四人!?」
突然の情報に混乱する。
今から戦うということなのか。
満身創痍のジンと、盾しか使えない自分。
どうしたらいい。
「……い、急いで帰って、マリアたちを呼んで来なきゃ……」
「……そんな猶予は、ない……。すまねえな、気づくのが遅れて……」
ジンは奥歯を噛み締めながら足をさすっている。
「……くそ……。迎え撃つにしても、今力を使ったら……地面蹴った瞬間足が砕けそうだ……。俺が前に出なきゃいけねえのに……」
ジンの告白に、鼓動がドッ、ドッと、重い音を響かせた。
助けを求められず四対二の戦い。
ジンはほぼ戦闘不能。
盾だって一方向しか守れない。しかも視界の邪魔までする。多人数を相手にするには不利すぎる。
これって、手詰まりなのか……?
「……さっきまで自信なくしてたお前に頼むのも酷だとは思うけどよ……」
ジンが、悔しさを噛み潰したような声で呟いた。
「……この距離なら多分、戦いが起きればマリアが気づくと思うんだ。それ頼りで、マリアが来てくれるまでカナメに耐え続けてもらう……それが一番だと思う」
「お、俺が……耐え続ける……」
出来るのか?
いや、やらない選択肢なんてない。
でなければ二人とも死んでしまう。
しかし、本当に持ちこたえられるのか……。
「戦えない代わりに……俺が、盾の位置を指示する……。頼めるか……?」
──やるしかない。
「……わかった。絶対、守るから……」
カナメは自分に言い聞かせるように答える。
そして、僅かな迷うすら振り払うように、すぐさま両腕に熱を込めた。




