第89話 守る対象
カナメとサツキは、ジンが起きるのを待ってから夕食に行っていた。
空がすっかり暗くなり、腹の虫が合唱を始めた頃、カナメは何度かサツキに「先にご飯行ってきていいよ」と伝えていたのだが、結局サツキは最後まで付き合ってくれた。
その辺のチェーン店の夕食に深夜料金を支払い、三人はとぼとぼと部屋の前まで戻ってくると、カナメとジンがマリアに呼び止められた。
今キサラギが売店に行っているから、帰ってくる前に話したかったらしい。
サツキは空気を読んで先に部屋に入ってくれた。
本題の前に、マリアからサツキの様子を聞かれた。
彼は結構気さくで、普通に仲良くやっている。
特にジンとはウマが合いそうだった。
二人とも軽口を叩くタイプだから、なんだかんだすぐに打ち解けられる気がする。ジン自身もそんな風に思っているらしい。
逆にキサラギの様子を聞いてみると、マリアの方はどうもそうではないらしい。それどころか、彼女を危険視していると言い出した。
「何か危険って思うようなこと、あったの? 俺は正直、そんな悪い人じゃないと思うんだけど……」
「善悪で判断するならば、恐らく善人だろうな。だが、自分が死ぬことを何とも思っていないように見える。いずれ、あの危機感の無さに巻き込まれるかもしれない。気をつけた方がいい」
カナメとジンは目を見合わせた。
そういえば、サツキが「キサラギは危機管理能力がバグっている」と言っていた。その事だろうか。
「いいか。あいつがどれだけ命を投げ出そうとしても、私たちまで巻き込まれる必要はない。万が一があれば無理に助けようとするな。……あいつはきっと、自分の命が役立つなら喜んで死ねる」
「……えっ……?」
どういうことか詳しく聞こうと思ったが、タイミングよくキサラギが帰ってきてしまい、マリアは彼女と一緒に部屋に戻ってしまった。
だが、このままなあなあにしていい話でもない気がする。カナメはジンに耳打ちした。
「今の話……ちょっとサツキにも聞いてみていいかな?」
ジンもどうやら同じことを思っていたようで、悩むことなくすぐに返事を返してきた。
「そうした方がいいと思う。てか、姉弟だし性格ぐらいわかってんだろ? 言わないでおく意味もねえよ」
それもそうかと思い、扉を開ける。
室内ではサツキが、ベッドの上でのんびりとくつろいでいた。
「お、思ったより早かったじゃん?」
「待たせてごめんね。それより、サツキに聞きたいことがあるんだけど……」
カナメの言葉を皮切りに、三人は各々のベッドに腰掛けた。
マリアの言葉をしっかりと思い出してから、カナメはサツキの顔を見る。そして、一つ息を吐いてから、話を始めた。
「……さっきマリアがさ、キサラギのことを"自分が死ぬことをなんとも思ってない"って言ってて……それが本当かなのか、ちょっと聞きたくて」
サツキが一瞬びっくりしたように目を開いた。
それを見て、ジンも言葉を続ける。
「危機管理能力がバグってるって話してたろ。あれ、詳しく聞かせて貰えないか? 一緒に旅をするなら、あまり無視したくない部分でさ」
サツキは目を細めた。
あまり話したくないことなのかとも思ったが、彼はやがて困ったように苦笑いした。
特に躊躇いがあるわけでは無さそうだった。
「正直驚いたわ……。話したお前たち二人が気づくならともかく、まさか事前情報のない人がこの短時間で見抜くなんて思わなくて」
サツキはため息をついた。
そこにあるのは躊躇いではなかったが、悲しみややるせなさ、そんなどうしようもない後悔が混じっているように聞こえた。
「……そうなんだよ。姉ちゃん、マジで命大事にしてくんなくてさ……」
それは、先程までの気さくな声とは違う、疲れの滲んだ重い声だった。
「傷付いてパニックになった能力者を癒しては反撃貰いそうになったり、戦ってる時に隠れろっつってんのに、前に出て俺を回復しようともすんだよ。何度危ねえって言っても、本気で"大丈夫"って返してくるし。全然大丈夫じゃねえよ」
「うわ……」
ジンが心の底から怪訝な声を漏らした。
「何それ……いつ死んでもおかしくねえじゃん」
「実際、マジでいつか死ぬから止めてくれって言ってんだよ。でも見過ごせないの一点張り。そりゃ目の前の人間を助けたいって気持ちを否定しねえけどさ、さすがにパニックの能力者は放っといて欲しいっつーか……」
そのサツキの顔には、明らかに苦労が浮かんでいる。多分、一度や二度どころではないのだろう。嫌悪感や苛立ちは感じないものの、これまでずっとキサラギの行動を飲み込み続けてきたいうことは、容易に想像がついた。
「……なんならさ、今日も勝手にいなくなったんだよ。会えたのがカナメたちだったから良かったものを、これが悪い能力者だったらどうすんだって話だよな。五歳児じゃねえんだから」
「えっ。勝手にいなくなったの……?」
カナメは不思議に思って、キサラギと出会った時のことを思い返した。「別行動中」と言っていたから、普通に信じて疑っていなかった。
だが、サツキは大きく息を吐き、首を縦に振った。
「俺さ、気配感じ取るの苦手で、結構近くの気配しか分かんねえんだよ。なのに、普通に腹痛くてトイレ篭もってたら急に姉ちゃんの気配が遠のいてさ、マジで肝冷えたんだよ。トイレごときで姉ちゃん失ったら、死んでも死にきれねえって……」
……それは……気の毒に……。
口には出さなかったが、情けない顔で額を押さえるサツキに正直ちょっと同情した。
「……それ、ずっとそんな感じなのか? それか魔物の影響で性格変わったとか?」
「あ、なるほど……」
ジンの質問に、カナメは唸った。
魔物の影響についてすぐに失念してしまう。
だが、サツキは考える間もなく首を振った。
「……元々そういう性格なんだ。ガキの頃から、長女ってだけでずっと体張ってきてくれた。それが回復能力なんか持っちまったせいで、余計に見境なくなっちまっただけだ」
──そう聞くと、なんか痛々しいな。
最初は、「自分にできることは何でもしたくなる」って気持ちに共感していたけれど、実際はもっと根が深くて息の詰まりそうな、とにかく、簡単に共感していい話ではなかったようだ。
「……なんか、難儀だね……」
カナメはそう答えるのが精一杯だった。
「ま、もう慣れてるけどな」
サツキの答えは軽い。
たった一言だが、色々抱えてきたんだろうな、ということは何となく感じ取れてしまった。
カナメはそれ以上の言葉を絞り出すことができずに口をつぐんでいると、不意にジンの声が気まずい沈黙を破った。
「けどよ、これから一緒に行くってのに、本当に戦ってる最中に前に出られたら、さすがに考えもんだよな? 多分マリアはマジで助けねえし、カナメだって、守るにも限度があるだろ?」
「あ……確かに……」
ジンの言う通り、マリアは自分たちの生存を優先するだろう。それは容易に想像がつく。
だが、できるならそういう事態は避けたい。
自分は守ることしかできないのだから、目の前で誰も死なせたくはない。
自分が最後まで守り通さなければ。
「……せめて……俺より前には出ないで貰えれば……」
──後ろにいてくれたら守れるから……。
そう思った瞬間、胸の奥がざらついた。
──本当に?
唐突に脳裏によぎった疑問の意味がわからなくて、無意識に右腕を見下ろす。
「……姉ちゃんには言っとくわ。俺だけじゃなくて他の人にも迷惑掛けるってなりゃ、さすがに無茶はしねえと思う」
「そうしてくれると助かるわ」
意識の外で、ジンとサツキの会話が進んでいる。
だが、カナメには自信がなかった。
──だって……今日は……二人すら守れなかった……。
カナメは、いつの間にか自分の指先が震えていることに気がついた。
何かが胸の中でモヤモヤして、脈が落ち着きなく音を上げ始めた。次第にジンたちの声も、遠のいていく。
……本当に俺は……人を、守れるのか……?
ざらついた心が疑問となり言葉となり、自分の心に問いかけた瞬間、脳裏が真っ赤に染まった。息が浅くなって、吸ってるのに、入ってこない。
そして畳み掛けるように、傷だらけのジンと、マリアと。
──そして、かつて自分が命を奪った、血だらけの肉塊の記憶が蘇ってきた。
「ぁ……」
指先が凍りそうだった。
慣れたと思ったのに。
なんで今になって、あの時の記憶が。
自分の胸を押し上げる感情が恐怖だと理解した時、それに呼応したかのように耳の奥で呆れと怒りの混じったエルナスの声が響いた。
《──ようやく理解したか。お前には、他の人間まで守れるような、大層な力なんてない。いい加減弁えて、戦う意志など捨てろ。俺も、お前が死なないための助言しか出来ないんだ。今見えた光景こそが、力の限界だ》
ぞわり。
右腕が疼いた。
今の傷だらけの光景は……エルナスが見せたのか……?
突然の出来事に、頭の処理が追いつかず、何をしていいのかわからなくなった。
「カナメ、大丈夫か? 顔色悪いぞ」
視界の端から、覗き込むようなジンの顔が飛び込んできた。
けれど、その顔を見て「落ち着かなきゃ」という焦燥がさらに心を掻き乱し、鼓動が警笛を鳴らした。
「……ご、ごめん! 空気吸ってくる!」
声の裏側で、心臓が自分を急かしているようだった。
何がどうなっているのか、何をどうしたらいいのか、一切の正解がわからないまま、カナメは衝動のままに部屋を飛び出してしまった。




