第9話 烙印を背負う耳
カナメは、ジンの落ち着いた呼吸を見て安心していた。彼の靴もしっかり地面を踏み締め、背中がようやく伸びる。
路地裏の空気は重く、生ぬるい。服にまとわりついた湿気が、いたずらに気力を削いでくる。
ジンさえ回復すればこんな所に長居する必要は無い。
二人は新しい空気を求め、開けた通りまで出ることにした。
建物の影を抜け表通りに出た瞬間、澄んだ陽の匂いが肺にいっぱいに広がった。
もう追手もいない。
ようやく一息つけると確信し、二人は歩を進めた。
「──え?」
すぐに違和感。
最初に目に飛び込んできたのは、瓦礫の山だった。視線を吸い寄せるそれは、かつて家だったものと認識するのに、さして時間はかからなかった。
「なんだ……これ……」
潰れた屋根の下で、ちぎれたぬいぐるみが転がっている。指先が冷えていくのを感じ、慌てて目を逸らす。
しかし、その視線の先にはまた新たな瓦礫が積み上がっていた。
「……まるで……大地震の跡だな……」
巨大な何かの足跡かと見まごうほど、そこだけ建物が押し潰され、形を成していなかった。
先程まで身体を満たしていた安堵の息は既に凍りつき、声すらも塞いでいた。
《これは争いの跡だな》
脳内で魔物の声が響く。能力者の力について全く知識のないカナメも、流石にこの光景には頷かざるを得なかった。
「ひっでぇな……こんな町中で」
ジンも戦いを避け続けてたから、このような光景は初めて見るのだろう。
カナメはこれらの残骸から、目を離すことが出来なくなっていた。
その場に足を縛り付けられ動けなくなっていると、不意にジンに腕を引かれ、瓦礫が視界からなくなった。
驚き、足早にその場を離れようとする彼の横顔を見上げると、額の冷や汗が、食いしばり固まった頬を伝っていた。
*
──ジンは夢中で走り、残骸が一切見えない路地までたどり着いた。
そこまで来て、ようやくカナメの手を放す。
強く握ってしまったからか、指先は手汗で湿っていた。
「ジン、どうしたの……?」
カナメは腕を振って痺れを抜きながら、不思議そうな眼差しで返事を待っていた。答えようとしても喉が詰まり、言葉にならない。少し悩んだ末、「いや、ちょっとな」と濁すしか出来なかった。
能力者になってから、嫌になるぐらい耳が敏感になった。お陰でさっきも、少し離れた井戸端会議の「ご近所さんも化け物だったみたい……嫌ねぇ」という言葉を拾ってしまった。
"化け物"という言葉が耳にこびりつく。
自分に向けられたものではないのに、とにかくその場を離れたくて仕方なかった。
望んで能力者になったんじゃない。
強く唇を噛み、言葉を飲み込んだ。
口に鉄の味が広がった瞬間、カナメに肩を叩かれ、はっと顎の力が緩む。
気づくとカナメの人差し指は正面を向いていた。
「ジン、あそこ見て」
釣られて顔を上げると、視線の先には『臨時避難所』と書かれた看板。 まるで災害を相手にするかのような場所だ。
──能力者は、もはや災害と同列ということか。
その事実に、背後で息を潜める魔物を一瞬だけ恨んだ。
「君たち、こんなところで立ち尽くしてどうしたんだ?」
「えっ?」
驚き横を見やると、すぐ近くに職員さんのような男性が立っていた。要らない声ばかりが耳に入って、肝心の目の前の足音には気づけなかった。
彼の言葉は間違いなく善意からだったのだろう。それでも、身構えてしまったジンの口は、考えるより先に動いていた。
「いや、なんでもないんで」
きっと糾弾されるのではないかと、嫌な予感がよぎってしまったのだ。
しかし、そんな不安は、カナメの声に上書きされた。
「あ、あの、俺たち……命からがら、地元から逃げてきたんです。それで、気づいたらここに来ちゃってて……!」
「そうか……気の毒に。町の人じゃないなら長居はさせてあげられないが、一泊ぐらいなら大丈夫だとも。休んでいくといい。ついておいで」
そう言うと男性は目の前の建物へ歩き始めた。 やり取りに驚いて横目でカナメを伺う。
「あ…っ、あ…っ」とか慌ててはいるが、今一番冷静だったのは紛れもなくカナメだった。
───意外と、やる時は肝が据わっているのかもしれない。
カナメはキョロキョロと目を泳がせながらも、男性のあとを追うため走り出す寸前だった。
急いでカナメの腕を掴み止める。
驚き振り向くカナメに、ジンは先程言い出せなかった忠告を告げた。
「カナメ。この町では……能力者は"化け物"と言われるらしい。絶対に悟られるなよ」
声の掠れが自分でもわかる。
自分たちのための忠告なのに、"化け物"という烙印を、自ら刻んでいるかのようだった。




