第10話 瓦礫の影の休息
職員に促されるまま、あれよあれよという間に二人は避難所へ足を踏み入れる。
紙の匂いが鼻をつき、カナメは思わず足を止める。 見渡せば体育館いっぱいに大小様々な段ボールの区画が広がり、老若男女が肩を寄せ合っていた。
列の先では幼い子どもが「おうちかえる!」と泣き叫び、母親が必死に背を撫でている。
反響が余計に耳を劈き、胸の奥をちくりと刺す。その「おうち」がもう存在しないことは、容易に想像がついた。
すぐ横のジンは耳を塞ごうとしたのかほんの一瞬だけ耳を触り、少しだけ煩わしそうに眉をひそめていた。
カナメとジンは、今日の寝床として二畳ほどの区画を割り当てられた。外部の人間なのだ、毛布と仕切りがあるだけでありがたい。
二人は支給品の飲料水があると聞き補給所に並んでいると、急に背後から見知らぬ女性に声をかけられた。
「あなた達……、初めましてじゃないかしら。どこからいらしたの?」
「え……っ? あ……っ」
カナメは驚き、言葉にならない声が裏返ってしまった。
たまたまそこに、入口で出会った職員さんが通りかかり、会話に混ざる。
「この人達、地元から逃げてきたらしいんです。だいぶ疲れてるようなので、一晩だけでも休んでもらった方がいいと思いまして」
それを聞くと訝しげだった女性の顔がふっと優しくなり、声も柔らかくなった。
「あら、そうだったの? ごめんなさいね、私達、今ちょっと知らない人に敏感になっちゃってね。さぞ怖い思いをしたでしょう。化け物の事は忘れて、今日はゆっくりなさい」
残骸と化した家々を思い返せば、見ず知らずの人間を警戒してしまうのも無理ないだろう。きっと自分だって同じ立場ならそうなる。
それでも女性は信用してくれたようで、親切にも列に並んでいる間、数時間後に始まる夕食の支給や消灯時間、避難所の決まりを一通り教えてくれた。
やがて飲料水を受け取ると、女性は「じゃあ私、あっちだから。ちょっと遠いけど、何かあったら聞いてちょうだいね」と言い残し、軽く手を振って真反対の区画まで戻って行った。
「凄く、良い人だったね」
他人の温かさに触れて、いつの間にかカナメの肩の力は抜けていた。
自分たちの生活スペースに戻ると、それまで強ばっていたジンの体も、ようやく解れたように見えた。
「……ジン、緊張してる?大丈夫?」
「あ、あぁ、悪い。ちょっと疲れてんのかも……」
ジンは床に目を落とす。髪の隙間から僅かに覗く彼の口元が、小さく動いていた。
「……そうだよな。良い人、だよな……」
微かな、しかし辛そうに呟かれたその言葉は、カナメの胸に妙に残った。
──この町に来てから、ジンの様子が少し変だ。
日が登ったら、早々にこの町を出て行こう。
*
──翌朝。
東の空高くに太陽が昇り、爽やかな風が町を駆け抜ける。
避難所を後にしたカナメとジンは、見送りに来ていた職員の男性と、昨夜の親切な女性に深々と頭を下げ、静かに背を向けた。
体育館に満ちていたざわめきも泣き声も、扉を閉めた途端に遠くなる。
代わりに広がったのは、朝の澄んだ匂いと、二人の靴音だけだった。
「皆、本当に優しかったね。朝ご飯のパンまで貰っちゃって」
「あぁ、そうだな……」
ジンはやはり浮かない顔をしていた。心做しか目元に影が落ちている。
「あまり、眠れなかった?」
「まぁ、正直な……。ま、大丈夫だ。俺、環境と枕が変わると寝付き悪いんだ」
そう言うとジンは大きく欠伸をした。その顔には明らかに眠気だけでない、疲労の色が濃く滲み出ていた。
「ねぇ……昨日からどうしたの? なんかあったんでしょ」
カナメの問いに、ジンは目をぱちくりさせる。僅かに目が泳いだものの、そのまま観念したようにため息をついた。
「バレてるよなあ。……俺さ、能力者になってから信じらんないぐらい耳良くなってさ。気配探るには便利なんだけど、近くで騒ぎがあると……ちょっとな」
ジンは自分の耳を指差す。
「……あとさ、避難所入る前から、能力者を“化け物”だって言う声を聞いちまってよ……いや、俺たちの事じゃないのはわかってんだけど……」
ジンの足音が止まる。振り返ると、彼の右手はズボンを強く握りしめていた。
「俺ってさ、魔法だけ使うやつと違うみたいで……どう考えてももう、人間の体してねぇからさ……“化け物”って聞いて……ちょっとだけ参っちまった。仕方ねえんだけどな、実際化け物みたいな耳してるし」
「ジン……」
家に連れ帰って介抱してくれた時も、一緒に逃げようと言ってくれた時も、こんな自分を見捨てずに優しくしてたのは、ジンが強いからだと思っていた。
「……ごめん。ジンがそんなこと思ってたなんて、俺、全然……」
「いや、いいんだ。俺も言ってなかったしさ」
ジンは無理やり笑顔を作り、ひとつ深呼吸してから視線を前に戻した。
「それに、悪いことばっかじゃねぇんだ。例えば、カナメが取り乱したあの日とか、お前の叫び声が聞こえたから助けてやれたんだしな」
「え……そうだったの?」
突然の事実に思わずジンの顔を見つめる。
……もしかしてあの時、叫び声を聞いて、わざわざ駆けつけてくれていたのか。
「ま、普段は大丈夫だから、あんま気にしないでくれ。俺もあんまり気にしないようにするからさ。行く宛もないんだ。とにかく足動かそうぜ」
「あっ、待ってよ!」
足早に歩き出したジンを慌てて追いかける。
頼りがいのある、見慣れた背中。昨日までそう思っていた後ろ姿は、いつもより少しだけ小さく見えた。




