第83話 敗走
──決着は、すぐに着いた。
開けた空き地の中。
両脚を血だらけにして、膝を着いたマリア。脚を魔物化したのに、全身傷だらけでふらつくジン。
しっかり立っているのは、右腕を強く押さえているカナメだけだった。
カナメは空を見上げた。
翼の生えた男が三人並んで、こちらを見下している。
両端の男が放つ攻撃は、直線で向かってくる飛び道具だった。
それだけなら、問題なく盾で防げた。
しかし、真ん中の男が脅威だった。
風を操り、どこから来るのか予測できない鎌鼬で、肌を切り刻んでくる。
精一杯の広さの盾を出しても、広範囲の視界が塞がってしまうのが仇になった。
その弱点を突かれ、一撃防いだ直後に追撃をされるようにもなってしまった。
そして、ジンとマリアも、空中を自在に飛び回る強敵に、手も足も出せなかった。
「……くそ、趣味わりぃぜ。楽しんでんのかよ……」
ジンは血だらけの左腕を押さえながら、歯を食いしばる力も残っていないような、力のない声で呟いた。
カナメも、それは感じていた。
いくらでも殺せそうなぐらい力の差が歴然なのに、敢えて急所でもない部位にばかり傷をつけ、観察するようにこちらの様子を伺っている。
だというのに、攻撃自体には迷いがないのだ。
殺そうともせず、ただ的確に傷つけるだけ。
それがどうしても不気味だった。
「……ジン、足はまだ動くか?」
マリアが息を荒くしながら、微かな声で問いかける。
鎌鼬が直撃した彼女の脚は、もうずっと血溜まりに着いたままだ。身体を支える力はとっくに失い、顔も青ざめている。
危険な状況なのは、一目でわかった。
そんな彼女の必死な問いかけに、ジンは悔しさを滲ませながら首を振る。
「この脚の内はまだな。ただ……出来ることは何もねえぞ。どうやっても届かねえ」
既に、ジンは何度も跳び、攻撃を試みている。
最初こそ接近出来ていたものの、次第に敵が間合いを把握し始め、今となっては完全に距離を取られてしまい、近寄る手段がない。
だが、マリアの言葉の意図には、そんな懸念はもう含まれていなかった。
「勝ち筋が無い……生き延びるなら、その脚を保っていられる内に撤退するしかない。……やれるか?」
「……チッ」
マリアの提案に、ジンは舌打ちを打つ。
そして一瞬だけ歯噛みし前を睨みつけ、渋々マリアの元に寄った。カナメも撤退の為に、そっとジンに近づく。
その動きが、引き金になった。
《カナメ、また鎌鼬が来るぞ!》
「また……っ!」
カナメは前に向かって盾を出した。
右腕に鈍い衝撃がのしかかる。毎回攻撃を弾いてはいるのだ。問題はその後だ。
何度盾で防いでも、必ずどこからか飛んでくる一撃。それから全員を守ることができない。
結局、追撃に合わせジンがカナメとマリアを抱え、敵に背を向け跳ぶ。この繰り返しが、唯一の対応策だった。
「い……ッ!」
「ジン!」
ジンの背中から血が舞い、着地と同時に地面に膝を着いた。
「ジン、死んじゃうよ……早く逃げよう……」
ジンの顔は青く、大きく肩で息をしている。
身体のあちこちから血を流し、誰が見てもこれ以上戦うなんて無理だった。
「……仕方ねえな、落ちんなよ」
ジンはカナメを背中、マリアを左腕に抱いて走り出し、陰に隠していた全員のリュックを掠め取る。
そしてすぐさまカナメに二つ持たせ、再び全力で地面を蹴った。
「うわっ!」
全身に重力を感じ、慌ててジンにしがみつく。
何者の追随を許さない、風すらも追い抜くようなスピードだった。
ジンを掴む手に力が入った。
ジンとマリアに頼ってばかりで、唯一の取り柄のはずの盾ですら大した役に立てず、挙句の果てに二人をここまでボロボロにさせてしまった。
盾で守るどころか二人の視界を奪い、足を引っ張ってしまった。
そんな自分への嫌悪が止まらない。
戦いのさなか、血の臭いに、盾の衝撃に、右手がずっと疼いていた。
初めて命を奪った時の記憶と、目の前の血塗れの姿が重なり、本当は何度か息が止まりそうになった。
しかし、そんなことは関係なかった。
どんなに記憶に押しつぶされそうになったって、仲間の命の方が、何百倍も大事だった。
その気持ちだけで、嫌な記憶を全部上書きできた。頭から振り払っていられた。
それくらい必死に戦っていたのに。
「……ごめん……俺が、全然、守れなかったから……」
カナメは、肺の奥から絞り出すように呟いた。
悔しかった。何も出来ない自分が。
ジンに庇われ続け、一番傷ついていない自分が。
震えるマリアの言葉が、その懺悔を切り伏せた。
「反省会なら後だ。とにかく、できるだけ遠くへ……」
言葉の鋭さとは裏腹に、声には一切の力がない。
真っ赤に染まった足はだらりと垂れ、僅かに開いた唇の隙間から乱れた呼吸が漏れている。
二人とも、見るからに出血量が凄い。
それでも、ギリギリまで役目を全うしようとしている。
そんな二人の強さを見せつけられ、カナメは自分の情けなさを思い知った。
しかし、反省会は後だと言われたばかりだ。
カナメは、ここまでの思考を全て振り落とすように首を振った。
「そうだね、ごめん。……ジン、逃げ切れそう?」
「……ああ。奴ら、何考えてるかわかんねえけど、追ってきてはいないみたいだ」
ジンは答えながら走り続けた。
やがて、気がついた時には街に入っていたようで、ジンは人通りの少なそうな暗い路地へと向かい、そしてだんだんと速度を落とした。
もう安全なのかと思って安心していると、マリアを抱きしめているジンの腕の力が、少し弱っていることに気づいた。彼女の位置が、少しずつずり落ちていた。
「ジン? 大丈夫……?」
「……わ、悪い……目が……」
……目?
そう聞こうと思った瞬間ジンは足を止め、咄嗟に二人を手放したかと思うと一人で転んだ。
カナメはともかく、動けないマリアは投げ出され、ジンも地面に突っ伏したまま立ち上がれなくなっていた。
「ふ、二人とも大丈夫!?」
マリアは痛みを飲み込むように、一瞬だけ息を止めた。しかしすぐに、彼女の声に理性が戻る。
「……くっ、あいつは……?」
マリアは倒れたまま顔だけジンの方に向けた。
ジンの背中が大きく上下し、獣の脚を隠すように、両脚に黒い靄が纏い始めている。
カナメは急いでジンの元に走った。
「ジン!?」
地面に膝を下ろし、上体を支え起こす。
同時に両足を隠していた靄が晴れ、元の人間の──刃物でズタズタに切られたような足が姿を現した。
ジンの血でカナメの膝も赤く染まる。息は一つ一つが数えられそうなほど、深くて荒い。
その身体の弱々しさに、測ってもいない脈が減っていく感覚すら覚えた。
「悪い……目が霞んで、力が入んねえんだ……」
背筋が冷えた。
「……それ……マズいんじゃ……」
呑んだ息が詰まる。
どうしたらいいか分からなくなり、ジンを支える腕が震えた。
マリアもボロボロだ。自分一人でどうにかしなければ。でも、打つ手が分からない。術を知らない。
周りを見渡す。
暗いシャッター街。人の気配なんて全くない。
「……ひ、ひと……、誰か、人呼ばなきゃ……」
ジンを地面に寝かせ、立ち上がろうとする。
すると、ジンの手がカナメの腕を掴んだ。
「ど、どうしたの……?」
「……向かってきてるんだ……さっきの奴らとは別の能力者の気配が、一人……」
──え……。
ジンの言葉に、体が固まった。
そして次第に、胸から熱がすぅっと引いていった。
「悪い……能力者に気付いた時には……もう、力、入らなくなっちまって……」
ジンも、マリアも地面に縛り付けられたように動かない。
──そんな中襲われたら……。
自分一人じゃ……勝てない……。
二人を連れて、逃げ切れない……。
「……ヤバい……カナメ……前……」
ジンの指示に、急いで彼の視線の先を辿った。ほぼ反射だった。
建物の影から、線の細い女性が、一人。
「あの人が……能力者……?」
大人しそうに見えたその女性は、こちらを確認すると、急に走って向かってきた。
カナメは咄嗟に二人の前に立つ。
せめて、これ以上傷を負わせたくなかった。
だが彼女は、構えるカナメを見た瞬間、ピタリと近づくのを止め、大きく両手を振り出した。
そして、信じられない一言を叫んだ。
「動かないでください! 戦うつもりはありません!」
──戦う……つもりはない……?
突然の宣言にカナメは動揺し、つい構えを解く。しかし、マリアが背後から、掠れつつも力強く言葉を投げられた。
「信用するな……!」
カナメはハッとし、再び女性を見る。
けれど彼女の声は怯むことなく、更に言葉を続けた。
「消え入りそうな気配を感じてここに来ました! 私は傷を癒せます! 手遅れになる前に、治療させてください!」
それは、希望の申し出だった。
カナメは拳を握りしめる。
究極の二択が脳内を駆け巡った。
信用して、ジンたちを助けてもらうか。
警戒して、ジンたちを助けられないまま、死ぬかもしれない恐怖と隣り合わせになるか。
迷ってなんかいられなかった。
「ごめんマリア……もし二人が助かりそうなら、俺はそれに賭けたい……」
「私たちは今無防備なんだぞ……全滅するよりマシだ、お前一人だけでも逃げ……」
「そんなのできないよ!!」
カナメは、マリアの指示を遮った。
「……お願い、そうさせて……俺なんかじゃ、二人を助けられないんだよ……」
──今、自分がどんな顔をしているのかは分からない。
ただ、ひっくり返しようもない無力さと、どちらに転んでも全員が死ぬかもしれないという重圧に打ちのめされ、喉からは悔しさを上塗りするほどの熱を帯びた、怒りの声が溢れていた。
怒りの矛先は、女性でも、マリアでもなく、役立たずの自分だった。




