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魔蝕のレゾンデートル  作者: 古里古
第三章
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第82話 湯冷め


「おい、いつまで寝てるんだ。行くぞ」


 その一言に叩き起され、ぼやけた目で声の方を見ると、マリアが呆れた顔で見下ろしてきていた。今朝結んでいた髪は既に、見慣れた綺麗な長髪に戻っている。

  

 カナメは体を捻って時計を見る。


「……えぇ!?」


 ひっくり返るかと思った。 

 気づけばもう、すっかり午後を回っている。

 

 昼寝を始めて、二時間が経っていた。


「嘘……ちょっと昼寝するだけのつもりだったのに…」


 カナメはいそいそと起き始め、その横ではジンが猫のように四つん這いで体を伸ばしながら、マリアに顔を向けた。


「っていうか、マリアこそ今飯食い終わったのか。だいぶ遅かったな」


「時間をかけると言っただろう」


 そういえばマリアは、普段も一時間近く風呂に入るし、ご飯を食べるのもゆっくりだった。

 

 そんなことを思っていると、彼女はさっさと会計のカウンターに向かって歩き出してしまった。カナメとジンは慌てて荷物を回収し、彼女の後ろを追いかける。


 会計を終え建物の外に出ると、すっかり太陽は大きくなり、眩しいほどの日差しを地面に向けていた。快晴だ。

 温かい空気を身に浴びながら、カナメは全身を伸ばした。


「んー! すっかり晴れてるね。そろそろちゃんとした宿で眠りたいけど、泊まれるところあるかなあ」


「じゃあ適当に、それっぽい気配の音でも辿ってみるわ」


 ジンはそう言うとおもむろに歩き出し、マリアもそれに続いた。


 今日からまた、宛のない旅が始まるんだな。


 そんな久しぶりの感覚に少しだけソワソワしながら、カナメもジンの背中を追いかけた。

 

 *


 人の流れとジンの耳を頼りに歩いていると、だんだんと道を行く人が増えてきた。

 街が近そうな予感がする。時間もまだ、夕方になるまで余裕がありそうだ。

 少し早いが、カナメは胸を撫で下ろす。


「疲れたね! 早く宿探そう」


「ああ、そうだ……な……?」


 ジンの言葉と同時に、足が止まった。

 

 急な動きの停止に胸がざわつき、カナメは口をギュッと閉じてしまった。


「おい、何かあったか?」


 ジンはマリアの問いかけにも答えず、耳を澄まして周囲を見渡し始めた。

 間違いなく何かあるのだろうと確信し、カナメは息を呑む。


 ジンは辺りの道に、空に、視線をグルグルと移しながら、人差し指を唇の前に立て、カナメとマリアに息を潜めるようジェスチャーした。

 

 ジンの顔がだんだん険しくなっていく。

 いつもなら、敵の気配を見つけた時すぐに「敵がいる」と報告して、逃げるなりしているはずだ。

 しかし、今回はそんな様子はない。ただ表情だけが曇り、目を向ける方角もまだ定まらない。


「……簡潔に報告しろ」


 マリアが、息のような声でジンに問いかける。ジンは周囲を警戒しながら、やはり小さい声で答えた。


「能力者の気配を感じるのに、地面を歩く音がしないんだ。場所を探ろうとはしてんだけど、どこを向いても気配を感じる気がして……」


 そこまで言って、ジンはヒュッと息を詰まらせた。眉間に皺を寄せ、奥歯を噛み締め、ジンの顔はみるみるうちに青ざめていく。


「さん……にん……?」


「さ、三人…っ!?敵が……?」


 ジンの言葉に、カナメはできるだけ抑えた声で驚きの声を上げた。


「……囲まれてるかも……」


 不穏な報告は止まらない。


「……三人とも……空……飛んでんのか……? 気配が、ずっと上に……」


「……こんな人通りの多いところでは戦えない。気配の特定は後だ。悪いが、私たちを抱えて走れ」


 ジンのたどたどしい報告を、マリアがすぐに切り捨てた。その指示にジンはハッとし、カナメを背に、マリアを腕に抱えて走り出す準備をする。


「逃げ切ろうと思うな。あくまで、人気の無さそうな場所を目指すだけでいい。また足が限界を迎えたらマズイ」


「……ああ、わかった」


 ジンは一瞬だけ姿勢をかがめると、人目も憚らず地面を蹴り、人の流れを飛び越えた。


 以前同じ体勢で全力疾走した時は、ジンの足がボロボロになってしまっていた。その教訓からなのだろうか、スピードは相変わらず速いものの、ジンにしては少し抑え気味だ。


 とはいえ、また倒れてしまわないか心配になり、カナメはジンに声をかけた。


「ジン、大丈夫?」


「…………」


 ジンは答えない。代わりに奥歯の軋みが聞こえた。その音が、胸の中に燻る嫌な予感を余計に掻き立てた。


 そして、次にジンの発した言葉は、カナメへの返事ではなかった。


「……めちゃくちゃ強い能力者の気配がする。やばい戦いになるかも……。覚悟決めといた方がいいぞ」


「え……っ、そ、そんなに……?」


 突然の警告に思わず、カナメの声は裏返った。

 胸の奥から熱が抜け、指先まで冷えたのが分かる。ジンからこんな警告を聞いたのは初めてだったからだ。

 

 その気持ちはマリアも同じだったようで、すぐに言葉を挟んだ。


「逃げ切るのは無理か? ゴウとユウジの時ですらそんな忠告は聞いていない。もし奴ら強いと言うなら、迎え撃つのは得策じゃない」


 マリアの言葉に、ジンは首を振る。


「それは無理だ。奴ら三人とも空飛んでる上に速すぎる。今だって距離は縮んでんだ」


「……戦うしかないか……」

 

 二人の緊迫さに、カナメは以前遭遇した二人組の能力者、ユウジとゴウとの戦いを思い出していた。

 

 あの時だって、ジンが魔物化していなければみんな死んでいた。もしかしたら同じことが起こるのではないか。

  

 ──嫌だ。

 

 もしまたジンがおかしくなってしまったら、昔から知っているジンとは、どんどん別人になってしまうんじゃないか。そう思った。


 けれど、口には出せなかった。

 ジンの代わりに戦うことができない自分は、結局彼の力に頼るしかなかったからだ。


 カナメはジンから離れてしまわないよう、せめて力強くしがみついた。


 

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