第81話 リセット
太陽が登った。
日に当たって空気に滲んだコンクリートの匂いに鼻をくすぐられる。
日差しが瞼の間をすり抜け、カナメは朝日に叩き起された。眠たい目を擦りながら、アルミの寝袋から這い出てみる。
──ここ、どこだろう……。
それが最初の感想だった。
辺りを見渡すと、柵に囲まれているだだっ広い土地の中に、カナメたちはいた。
辺りには壊れた資材が点々と転がっており、柵の外では横長の建物がボロボロに崩れている。
「工場か何かの資材置き場のようだな」
突然の声に驚き振り向くと、既に寝袋を片付け終わったマリアが、髪や身体をシートで拭いていた。その隣ではまだ、ジンがぐっすり眠っている。
「お、おはようマリア……。俺たち、こんな所で寝てたんだね……」
昨夜は長い時間、マリアが持っていた懐中電灯とジンの聴覚だけを頼りに、暗く見えない道を歩き続けていた。その先でたまたま開けた土地を見つけ、すぐさま寝床として決めたのだった。
だから、どこで寝ているのかまでは分かっていなかった。
「ふぁぁ……今日こそはお風呂入りたいね」
「ジンの道案内が正確なら、そう遅くならない内に着くだろう。とりあえず起こしておけ」
マリアはそうカナメに指示をすると──なんと髪を後ろで束ね、そのままくくり出した。
「えっ、髪結ぶの!?」
予想外の仕草に、カナメはマリアを凝視してしまう。
後頭部には大きめのお団子が現れ、長髪で隠れていたうなじが初めて姿を見せた。
普段は黒が似合うようなクールな女性のイメージだが、髪型が違うだけでスポーティというか、いつもと違う軽やかな雰囲気に様変わりしていた。
「さすがに汚れが目立つからな。……なんだ、ジロジロ見るな」
「……あ、ああ、ごめんっ! ふ、雰囲気が違いすぎてつい、び、びっくりしちゃって……!」
カナメは慌てて両手をブンブン振り弁明した。
確かにちょっと見すぎていた気がする。邪な気持ちはこれっぽちもない。珍しかったから。本当にそれだけだ。
カナメは気恥しさを誤魔化すように、マリアの横を通り抜け、爆睡中のジンの肩を叩いた。
「ジン、朝だよー。お風呂連れてって」
「……あ? ふろ……?」
ジンはアルミの寝袋から顔を出したまま、のそのそと重そうに体を起こした。
「……あぁ、朝か。おはよ」
「おはようジン。早く片付けて先進んじゃお」
「あいよ……って、うわっ!? えっ!? マリアが、髪結んでる!?」
ジンはマリアを見た途端に目をまん丸にして、寝袋を脱ぎ捨てた。この一瞬で目が覚めたらしい。
「……二人してなんだ。いいから早く片せ、すぐ行くぞ」
「はーい」
カナメもジンは各々の寝具を手に取ると、何の苦労なくあっという間にリュックに収めた。もう何度か野宿をしてきた賜物か、だいぶ慣れたものだ。
「ジン、道分かりそう?」
「大丈夫だろ。昨日も案内された通りに歩いてきたはずだし、もうそんなに遠くないと思う」
そう言ってジンはリュックを背負うと、一回だけぐるりと周囲を見渡し、すぐに歩き始めた。
案内された道順は相当分かりやすかったようで、ジンは街で貰ったメモを片手にすいすいと歩を進めている。
そんな彼の背中を追いながらしばらく歩いていると、急にジンが立ち止まり、道の先を指差した。
「お、あれじゃないか?」
カナメはその指の先を目を薄めながら辿って見る。よく見ると建物の影から、風呂桶のオブジェが乗っている、見るからに銭湯の屋根が見えた。
「絶対そうだよ! お昼前に着いてよかった! ゆっくりお風呂浸かってご飯食べよ!」
「もう大賛成。さすがに疲れたぜ……」
カナメたちは一切の迷いもなく、目的の建物へと向かった。
*
建物を見つけてから辿り着くまで、さほど時間はかからなかった。
入浴料の支払いを済ませ、すぐに男女別れて行動することになった。
マリアは、いつもよりも入浴に時間をかけたいらしい。髪を乾かすのと合わせたら結構遅くなると言っていた。
カナメとジンは風呂から出次第、先に昼食を取ろうという話になった。食べ終わったら、施設内の休憩スペースで彼女を待つつもりだ。
カナメは早く風呂に向かいたくて、更衣室の扉に手をかける。
だが、同じタイミングで、ジンがピタリと足を止めた。
「……?」
「ジン、どうしたの?何かあった?」
しかしジンは首を捻って、「いや」と苦笑いした。
「一瞬何か感じたような気がしてさ。でも今はなんもないし、多分気のせいだわ。……ほら、揺れてねえのに地震来たみたいに感じる的なやつ」
「あー、わかる。あるよね」
二人は日常の顔に戻り、更衣室の中に入っていった。
室内を包む檜の香りと、扉越しに聞こえてくるお湯の流れる音だけで、少し癒されるような気さえした。
それでもう癒されるだなんておかしな話だ。
それほど、この五日間の疲れが全身を埋め尽くしているのだと思う。
普段は長風呂なんてしないが、今日ばかりは、いつもよりもゆっくりと汗を流したくなった。




