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魔蝕のレゾンデートル  作者: 古里古
第三章
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第79話 轍 〜続・マリアの四日目夜〜


 シオリは鼻を啜りながら、ようやくマリアの質問に答え終えた。

 

 恐怖に身を支配され、全身を震わせている。声にならない嗚咽が残響し、ボロボロと大粒の涙がとめどなく溢れている。

 

 しかしこの場には、同情も哀れみも見せないマリアしかいない。彼女を慰めようとするのは、たまに駆け抜ける風の音だけだった。

 

 彼女の話をまとめると、実際にマリアが能力を使う場面を見たところから、彼女の錯乱は始まったらしい。さらに夜にテントを抜け出していることに気づき、今日も来るだろうと見込んで、盗み聞きする為にずっと身を潜めていたという。


 場所を変えた日に見つかっていたのも運が悪かったし、能力者でない以上気配の探知はしようがない。さらに音を出さずに潜んでいたのであれば、ジンでもわからない。

 それに、能力者であることがバレていた以上、こうなるのは仕方がなかったのだろう。そう割り切ることにした。


「……で、私たちが危険だと思ったから、刺してでも止めようと思った、と?」


 シオリは黙ったまま頷いた。

 

 錯乱中の犯行なんて、後先考えずにやっていることぐらい分かっている。

 犯行の理由なんて、本当にそれ以上でも以下でもないのだろう。

 

 だからこそ、マリアは畳み掛けることにした。

 彼女を逃がさないことにした。


「いいか? "やられる前にやる"という思考を持つようになれば、一生恐怖に付き纏われ、ありもしない早とちりをした挙句、本当に手を汚すことになる。今回のようにな」


「……は、早とちりなんかじゃ……ないです……! あ、あなたは、本当に、その……化け物だったじゃないですか……! 私はちゃんと、それを確かめたから……!」


 マリアはため息をついた。

 確かにそこを見られたことについては落ち度だ。

 

「……私たち能力者を疑う気持ちは理解しよう。力を使うところも見たようだしな。あれはまぁ、喧嘩のようなものだが、それで怖がらせたことだけは詫びよう。……しかしだ」


 マリアは再び、強い眼光をシオリに浴びせた。

 ここで彼女を宥めて終わるわけにはいかなかった。


「それは、お前が手を下していい理由には決してなり得ない。それどころか、万が一相手を間違えて普通の人間を殺す可能性だってある。そうなればお前は、ただの人殺しだ」


 シオリの肩がビクッと跳ねて固まった。目があちこちに泳ぎ、浅く息をしている。


「……そ、そんなの……ちゃんと説明すれば、みんな……わかってくれます……」


 彼女は、錯乱と過剰な正義に思考が固まっている。やはり普通の説得では、何も届かない。

 重く鋭く、冷たい言葉で、彼女の心を刺すしかない。


「……人殺しの話なんて誰が信じる? もしお前が私を仕留めたとして、どうやって私を化け物だと証明するんだ? そんな簡単なことも想像できないのか?」


「……っ」


 シオリは、ようやく言葉を失った。

 目を見開き、両手で顔を覆う。

 マリアはそれでも、責めるのを止めなかった。


「それに、もし友人や恩人が化け物だったらどうするつもりだ? そいつらも問答無用で刺し殺すのか? 友人を殺して、それでも仕方がないと言い張るのかお前は!」


「!!」


 シオリは自分の両肩を抱え、ふるふると震え出した。

 髪の隙間から、「まずいことをしてしまった」と言いたげな目が見えた。彼女の罪悪感に歪んだ顔が、正義を失くしたと訴えていた。


「……じゃあ、どう見分ければいいんですか……! あなたみたいに正体隠されたら、私たち……逃げようがないじゃないですか……いつ死ぬかわからないじゃないですか……っ。私たちは、どうしたらいいんですか……!」


「……普通の人間に見分けなんかつかない。そんなことしなくたっていい」


 シオリは、わからないと言いたげな目でマリアを見てくる。何もかも信じられないのだろう。

 マリアはため息をついた。


「……今この復興支援の仕事をしている能力者は他にもいる。だが、誰もここの人を傷つけようなんて思っていない。実際、誰がそうなのかわからないだろう? ……誰もお前たちを傷つけず、愚直に復興支援をしているだろう?」  


 シオリは目を伏せた。

 唇を噛みながら、まだ両肩を抱き締めている。


「能力者だって、力を持ってるだけで案外、中身は普通の人間と変わらない奴もいる。……少し前まで、人間だったんだからな」


 ──もっとも、そんな奴なんてひと握りかもしれないが。


 だが、気配を感知できない普通の人間まで、常に能力者に恐れる必要はない。でなければ、いずれ人間不信に陥り、普通の生活ができなくなってしまう。


 これは宥めているのではない。慰めでもない。

 人間と、能力者の線引きをしているだけだ。

  

 そんな気持ちなど微塵もわからないであろうシオリは、先程の言葉を信じたのかおずおずと顔を上げた。

 

「……じゃあ……マリアさんも……?」


 マリアは口を閉じた。

 

 ──自分も、中身は普通の人間と同じなのか?

 そんなこと、口が裂けても言えない。 


「……今後お前がするべきなのは、知らないことを知らないまま一人で判断しないことと、とりあえず周りに相談する癖をつけることだ」


「え……っ?」


 シオリは驚いた顔で、マリアを見た。


「……どうして……優しくしてくれるんですか……こんな、私なんか……」


 ……これは、優しくしている訳じゃない。


「お前のためじゃない。この先お前が本当に過ちを犯したら、生きていけなくなったら、ある人の顔に泥を塗ることになる」


「……泥……?」

 

 マリアは、夕飯時に呼び止めた、ナオコの大らかな顔と、彼女に託した頼み事を思い浮かべた。


 ──身寄りを失くしたシオリを、コウスケと一緒に引き取ってくれないかという頼みだ。 


「……ナオコという女性が、お前を引き取ると話をしに行っただろう。……彼女にそれを頼んだのは、私だ」 


「……えっ!? マ、マリア、さんが……? どうして……!?」


 マリアは答えなかった。 


 特にシオリに肩入れしていた訳ではない。

 たまたま目の前に、「子供を引取りたい」と申し出る女性がいたから、ダメ元で声を掛けただけだ。 

 敢えて言うような理由でもない。


 黙っていると、やがてシオリが喉をひくひくと鳴らし始めた。

 そして彼女はベンチから腰を浮かせたと思うと、そのまま地面に崩れ落ちた。

 両手で顔を覆い、やがて悲痛に満ちた声が、その喉を駆け上がっていった。


「そんなマリアさんを……わ、私は……こ、殺そうと……私……」


 今更自分のしでかしたことの重さを実感したのか、胸を押さえて体を大きく震わせている。


 人を殺そうとしたんだ。

 苦しんで当然だ。


 気がつけば、マリアの足は動いていた。

 マリアは初めて、彼女に歩み寄っていた。

 

 自分が何をしようとしているのか、理解していた。それがどれだけ身の丈に合わないことだということも。


 自分は能力者で、加害者であり。

 彼女は普通の人間で、被害者。

 自分は故郷を捨てても生きていける力があり、彼女は一人で生きていくには弱すぎる。


 何もかもが違う自分に、本当は助言をする権利なんてない。最初から、彼女を気にかけるような立場にいない。


 そう思っていたはずなのに。

 マリアは、シオリの隣に膝を着いた。


「……人を殺すということは、生きるよりも死ぬよりも重い。これから独りじゃなくなるんだ、人の厚意を無下にするな」


「マ……マリア、さん……」


 シオリは喉を鳴らしながら、マリアに勢いよく抱きついた。

 

 マリアは抱き返さなかった。

 そこまでできる資格はなかった。

 

 それでもシオリは、心の中で何かが弾けたように、マリアの胸の中でわんわんと泣き声を上げた。


「ご、ごめんなさい……ッ! ごめんなさい、ごめんなさい!!」


 彼女の手が、マリアの背中に回る。

 肌が一瞬、チクリと刺されたように痛んだ。 

 服越しに、背中の火傷に触れたのだ。

 

 彼女の泣き声が遠のく。


 瞼の裏には燃える家が張り付き、指先からは人の体温を奪った時のように血の気が抜け落ち、耳には親の絶叫が残響した。


 

 ──どうしてあの時、誰も手を差し伸ばしてくれなかったんだ……。 


  

 たった今、マリアは思い出してしまった。


 あの日からずっと胸に燻り続けていた、どこにもぶつける先のない、理不尽への疑問、恨み、後悔を。

 

 そして、家を無くしてからも何度も襲撃され、いつしか必要であれば何でもできるようになり、感情を押し殺してたことを。


 

 ──そうか。重ねてしまったのか。私は。 

 このままでは自分と同じ道を辿ると思ったから、ここまで首を突っ込んでしまったのか。

 


 シオリは落ち着くまで、マリアの元から離れない。

 

 だがマリアは、最後まで抱き返せなかった。


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