第77話 裏の表の安堵 〜四日目・夜〜
明日は仕事が終わり次第、この学校とお別れになる。夜の話し合いも、今日が最後だ。
カナメは見納めに、と言っても暗くてほとんど見えないが、周りの景色をできるだけ見渡した。
見えなくても、何となくこの空気の匂いを覚えていようかなと思った。
話し合いと言っても、今日の特別な出来事といえば、ジンの子供救出劇だ。でも本人は頑なに「何もやっていない」と言う。
そんなことないと思うけどな。
あの時のジンの顔は、凄く優しそうだった。
最近ずっと不安そうな顔をしていたから、あんなに穏やかなジンの表情に、もはや懐かしさすら感じてしまった。
「久しぶりに、あんなに穏やかなジンを見られて嬉しかったよ。あの男の子といた時のジン、なんか清々しかったというか」
カナメの言葉を聞いて、ジンは「えっ」と声を上げた。そのリアクションに逆にびっくりして、ついジンの顔を覗き込む。
「ごめん、俺、なんか変なこと言った?」
「あ、いや……」
ジンは首を捻りながら、んー、と喉を唸らせる。何か思うところがあるのだろうか。
「穏やかって言われて思い出したんだけど、今日一度もグルザの声……聞いてないなって思って……」
「え?」
ジンは小さく頷くと、そのまま静かに続けた。
「魔物化してから、常にグルザに笑われてるみたいでさ。ずっと何かに掻き立てられて、いつも頭のどこかで、殺し合いのことがチラついてたんだ」
ジンは、自分の胸元をぎゅぅっと掴む。
「だけど今日……久しぶりに、人になれた気がする」
「……なるほどな……」
マリアは口元に手を当てながら、独り言のように小さく相槌を打つ。
「……思考に魔物を介入させない、という事自体は、出来るのかもしれないな。意識して出来るのかどうかはまた別の話だが」
「……もしかしてあのコウスケ君……何か関係あったりして?」
何か手掛かりになって欲しくて、カナメは口を挟んだ。それがどう関係するのかと言われたら、何も答えられないのだが。
だが、不安になりながらマリアの顔色を伺ってみると、彼女は意外にも小さく頷いていた。
「……昨日、魔物化が落ち着く要因が他にもあるのではと思った理由がそれだ。子供じゃなくても、例えば、魔物が一切関係ない事象で、ジンが戦いのことを忘れるぐらい必死になる、とかな。検証する余地がないのが残念だが」
マリアと同じようなことを考えていたことがわかって、カナメは少し安心した。
勿論、マリアの言っていることが全部正解ではないというのは分かっている。
だが、それでも彼女が何かしらの可能性を見出すたびに嬉しくなってしまう。
「……そう緩んだ顔をするな。お前たちは、鵜呑みにするなと何度言えば」
「あっ、ごめん」
心を見透かしたようなマリアの一言に、カナメはへへ、と笑いながら返した。
だがマリアは考えるようにため息をついて、一瞬目を逸らす。
相変わらず鋭くて怖い人だなあと思う。
だが、それが同時に頼もしくもある。
そんなことを考えるカナメを他所に、マリアは二人に向けて淡々と話し始めた。
「……いずれにしろ、現時点で何も結論を出せないことには変わらない。明日が最終日だ、もし他に不安事があるなら今言え」
二人に向けて言ったのは分かるものの、その視線はジンを捉えている。ジンは「俺か」と自分を指差し、んー、と唸る。
一度だけなにかに気づいたかのように顔を上げたが、「いや」と呟き、首を横に振った。
「……もう言うことは言ったし、今のところは特にねえかな。カナメんとこの例の能力者もあれこれも解決したし、もうここから殺し合いになることは無いだろ。問題ねえと思う」
「……そうか、わかった」
マリアはただそれだけ言うとすぐに立ち上がり、踵を返した。
「あれ? もう終わり?」
「ああ、解散だ。用事を思い出したから、先に戻ってろ。追いかけては来るなよ」
取り残されたカナメとジンは、急な切り上げに頭が追いつかず、目をぱちくりさせる。
そうしている間に、彼女の背中と足音はもう闇に溶けて無くなってしまっていた。
まぁ、これ以上話しても進展はなさそうではある。だがそれにしても、急にどこかに行ってしまった上について来るなとは、さすがに少し気にかかる。
「何かあったのかな……?」
独り言のつもりで呟いたその言葉に、ジンが眉をひそめて答えた。
「……関係ないと思って言わなかったけど、実はついさっき、足音したんだよな……」
「え?」
驚いてジンの顔を見る。
しかし不穏な言葉と裏腹に、ジンの口元はふっと緩み、そのまま軽そうな表情で続けた。
「ま、大丈夫だろ。少なくとも能力者の気配はしない。普通の人か動物かなんかじゃないか?」
「そ、そうなんだ……。能力者じゃないなら、まぁ……」
──マリアだって、きっと一人で無茶なことはしないだろう。それに、ジンも全く警戒していない。
胸騒ぎはするが、追いかけてくるなと言われた以上は信じて待つしかない。
カナメは、胸の内のモヤつきを消化できないまま、ジンと二人でテントへと戻った。




