第70話 触発 〜カナメの三日目〜
カナメは今日も、学校のエントランスで支援物資の仕分けをしていた。
三日目にもなると作業にも慣れ、仲間ともだいぶ打ち解けた。
二日目の仕事は、件の能力者にビクビクしながら作業をしていたものの、特に接触されることはなかった。
だが、気のせいかもしれないが、ふとした瞬間にこちらを警戒するような視線を感じたこともあった。
念の為、昨夜もジン、マリアと集まって彼の動向や働きぶりを報告した結果、戦意はないと示すため、引き続き普段通りに振る舞うこととなった。
物資を運んできたダンボールが畳まれ、次々と片付けられていく。もうそろそろ作業が終わりそうだ。
ふと、仕分け済みの袋を詰めた箱に目を向けると、箱から溢れそうなほどパンパンになっていた。もうこんなに働いていたのかと自分で驚いた。
「今日も仕分けありがとうございました! 配りに行くので、どなたか手伝って頂ける方、一緒にお願いします!」
明るい女性職員の声がエントランスに響き渡った。
カナメは手を挙げようと、声の方向を見た。
「なあ……?」
「ッ!!?」
急に投げかけられた低い声と同時に肩に重さを感じ、カナメの心臓は思わず飛び跳ねた。
背後から肩を掴まれていた。
カナメはその場にとどまったまま、恐る恐る振り返った。
この声の持ち主は──件の能力者だ。
いや、何を怯えることがある。
いつも通り振る舞って、それで済めばいい話のはずだ。
「……び、びっくりした。ど、どうしたの、シュウイチさん……」
喉から飛び出そうな心臓を唾で押し返し、カナメはゆっくりと振り返る。すぐ目の前には真面目そうな、少し年上ぐらいの男性がいた。
彼の名はシュウイチ。
仕事ぶりは至って真面目。仕事中の私語はあまり見ないが、話しかけられれば普通に会話はしていた。おまけに仕事は早くて正確。悪い人そうには全然見えない。
「トイレ掃除したくて、プールから水を汲みたいんだ。男手が欲しくてさ。付き合ってくれないか?」
カナメは息を呑んだ。鼓動が次第にうるさくなる。
どうするのが正解なのか分からず、頭をフル回転した。
本当にトイレ掃除だけだと信じてついて行くか、マリアの元に行くべきか。
「えーっと……」
彼に見えないようにぐっと拳を握って、慌ててしまいそうな心を誤魔化した。
「お、俺だけじゃ多分、力不足だよ……。他の男の人にも、声、掛けてみる?」
とにかく二人きりにならない方がいいと思った。
きっとこの方法が一番穏便に済むだろう。
しかし、シュウイチは首を横に振った。
「他の男の人たちの多くは被災者だろ。みんな避難所生活で疲れてるし、金貰ってる俺たちが、プラスアルファで何かした方がいいと思ってさ。頼むよ」
背筋が震えた。
こんなに喋っている彼を見るのは初めてだ。
いくら真面目な人だと言っても不気味に見えて、何か企んでいないか邪推してしまう。
「……じゃ、じゃあ、もう少ししたら行くから、先に行ってて?」
逃げて、マリアに声をかけに行こう。
カナメは静かに後ずさりする。
しかしすぐに気づかれ、腕を掴まれた。
「ちょうど仕事も終わったしさ。早く行って済ませようぜ」
そして、周りに聞こえないほど潜めた声で、カナメの体を凍らせた。
「……お前一人に話があるんだ。この意味、分かるよな?」
「ッ!」
強く鋭い視線に射抜かれた。
もう逃げられないと悟った。
むしろ口実が口実なだけに、逃げたり助けを求める方が不自然に見えてしまう可能性だってある。
旅を始めたての頃、被災した街で能力者が「化け物」と言われていた記憶が頭をよぎる。
能力者に悲劇をもたらされたこの街で、周りに能力者だとバレる訳にはいかない。
カナメは目を伏せて体から力を抜くと、シュウイチに言われるがまま歩を進めた。
*
半ば無理矢理連れてこられたのは、本当にプールだった。
校舎と隣接しているが、エントランスとは別の、普段は使われない裏口から行き来する必要がある。
用事がなければあまり近寄らない場所で、実際、道中は誰ともすれ違わなかった。
カナメは、喉を鳴らしながらプール全体を見渡した。
綺麗とは言えない水が張っていて、プールサイドにはバケツがいくつも置いてある。
トイレは蛇口の水圧も弱く、流す水も足りない。掃除する時と詰まった時はプールから汲んだ水を流して使っていた。
だがシュウイチは、バケツ一つ持とうとしない。わかってはいたが、明らかに作業をしに来た様子ではなかった。
「……あ、あれ? さ、作業しに来たんじゃないの……?」
カナメは震える喉で声を絞り出した。
能力者に連れ出され、今は一対一。ましてや自分は戦えない。
この先何が起きるか分からないのだ。冷や汗をかくなと言うほうが無理だった。
「……お前、本気で作業しに来たと思ってるわけじゃねえよな?」
「…………」
カナメは口をつぐみ、バケツを取りに行こうとした。何でもいいから、とにかく時間を稼ぎたかった。
「率直に聞くが……お前、能力者だよな?」
冷や汗が顎を伝う。
だが、馬鹿正直に答えたところで事態が好転するとは思えない。
「……へ、変なこと言ってないで……早く、水汲んで戻らない……?」
早く一対一対の状況を抜け出さなければ。
少しでも逃げ道を作らなければ。
その思いが先走り、言葉に、顔に出た。
それが悪手だった。
「……いつまでもとぼけるつもりなら、無理にでも吐かせてやるぞ」
《マズイ! カナメ、盾だ!》
──パチンッ!
エルナスの声に弾かれ、咄嗟に盾を召喚した。
しかし、軽い何かを弾いた音はしたが、手応えが薄い。
──何を防いだんだ、今の音は……?
「ほらな。やっぱり、能力者じゃねえかよ」
盾が光となって霧散する。
その先には、盾に弾かれたらしい糸の残骸と、両手を前に突き出すシュウイチの姿があった。
「ま、待ってよ……! そんな急に攻撃なんて…!」
「そりゃ"お前ら"は、戦うなら一人じゃなくて、群れたかったんだろうしな?」
「え……っ?」
──何の話だ……?
そう口にする間もなく、急に両腕に鋭い痛みが走った。
一瞬で両腕が左右に引っ張られ、カナメの身体が宙に浮く。その力は強く、細身のカナメでは一切の抵抗が許されなかった。
「なに……これ……?」
腕の筋肉がミチミチと音を立てている。
横目で見ると、宙からピンと張った糸が生え、腕を強く締め付けていた。
この糸に引っ張られ、身体が宙に固定されているらしい。
「何が目的なんだ? お前らは何人いる?」
「え……?」
シュウイチからの問いに頭が真っ白になる。
「な、何のこと……?」
「しらばっくれんなよ。夜な夜なお前の気配が動くもんだから、不審に思って気配を追ったんだ。俺は人数までわかるほど敏感じゃないが、少なくともお前一人じゃなかったよな?」
「……うぅ……ッ、い、痛……い……」
さらに腕が左右に引っ張られる。
シュウイチの気持ち一つで、いつでも身体を裂かれてしまうかもしれない。
そう思うほどに、糸は固く、強かった。
「答えろ。能力者で集まって、何しようとしてたんだ?」
「お……俺たちは…何も……っ」
「何も? 信じられるかよ。連日人目につかねえところで能力者が会議してたんだ。"何も企んでない"って言われて、信じられるかよ」
「……う……ッ!?」
不意に太腿にも痛みが走った。
足元を見ると、両脚も糸に締めあげられ、真下に引っ張られていた。
「ほ、本当だってば……い、痛いよ……!」
「いい加減に吐けよ……じゃねえと本当に、ひ、引き裂きさいちまうぞ……!」
シュウイチが右手を振りかぶった。
全身が痛みで支配される。
「……ッッ!!」
死の予感に喉が締まり、叫びも何も出てこない。
──このまま何も出来ずに、終わるのか…。
そう思った瞬間、遠くで水が揺らぐ音が聞こえた。三途の川の音かと思った。
「え……っ」
だがその音は現実となり、目の前を素早い雫が数滴横切る。
一拍遅れて水が弾ける音が鳴り、途端に四肢の痛みがフッと消え去った。
「カナメ!」
「なんだ……ッ!」
カナメはそのまま地面に落ち、突っ伏した。
息も絶え絶えの中必死に、名前を呼ぶ声の方を見る。
プールの入口に、マリアが立っていた。
「残念だったな、私の能力は水だ。プールではお前に勝ち目は無い。手を下ろすんだ」
「くそ……仲間かよ……ッ」
シュウイチは右手を抑えうずくまっている。マリアの一撃が直撃したようだ。
彼女はすぐさまカナメの傍に駆け寄る。
「はぁ……はぁ……。あ……ありがとうマリア……」
カナメの呼吸はまだ浅い。肘も膝も地面についたままだ。
マリアは右手をシュウイチに向けながら、左手でカナメの背中をさする。
「お前と奴の気配が急に移動したから、まさかとは思ったんだ。盾の気配で非常事態と理解した。よくやった」
「た、たまたまだよ……いててて……」
カナメは痛みを和らげようと両腕を振りながら、こちらを睨みつけるシュウイチを見る。
それにしても、どうして急に襲撃なんか……。
そう問おうとした時、マリアが動いた。
プールの水が瞬時に揺らいだかと思うと、水でできた鋭利な棘がいくつも水面を破り、一斉にシュウイチを取り囲んだ。
「ぐ……ッ!」
「……お前に勝ち目は無いと忠告したはずだ」
え? と思い、シュウイチを凝視する。
よく見ると片手の位置が変わっていた。振りかぶる寸前だったのだろうか。
「カナメ、誰も近くにいない今が好都合だ。奴に戦闘の意思がある以上、攻撃手段を潰す。構わないな?」
「ま、待ってマリア!」
本気でシュウイチの腕を貫く気だと直感し、瞬時に彼女の腕を掴む。
「……この状況を分かっているのか? お前はさっきまで攻撃されてたんだぞ」
「そ、そうだけど……でもあの人、作業してる時は本当に真面目で、被災者の人にも優しいちゃんとした人なんだよ。あまり悪い人には見えないんだ! だから待って!」
シュウイチは驚いたように目を見開いた。
少し距離があるのに、息を呑む声が聞こえた気がする。
「もしかしたら、俺たちのこと、誤解してるだけかもしれない。だから一度、ちゃんと話をしたいんだ。お願い」
「…………」
マリアは静かに右腕を下ろした。
しかしその目はまだ、獲物を狙う蛇のように鋭かった。
「……おい。カナメに感謝するんだな。だが、変な気を起こそうとはするなよ? 私はいつでも、お前を潰す」
重く、冷たい声が場を支配する。
シュウイチはようやく諦めたように、両腕をだらんと垂らした。




