第69話 生の栞を求め拒んで 〜マリアの二日目〜
今日の夕飯はカレーだ。
マリアのやることは昨日と何も変わらず、野菜を切るだけだった。材料もほぼ同じ。
支援団体が持ち込んでいるのだから、色んな種類を用意できるわけがない。味が変わるだけでも贅沢か。
味は甘口と中辛のブレンドだ。
年配も多いからあまり辛くしたくない、しかし甘口は口に合わない人も多いとのことで、その折衷案だと聞いた。
過去に文句を言われたことがあるのだろう。スタッフの心中を察する。
朝早くに始まった作業も、夕方が近づく頃にはほとんど終わりに差し掛かっていた。
昨日のような難癖をつけてくる人は一人もいなかった。逆に、匂いにつられてやってきた人なら何人か見かけた。それだけで空気が穏やかだ。
最後のカレーを煮込んでいる間に、他の調理器具や容器を水で洗う。
ここには電気がないが、水だけは辛うじて出る。ただし飲料水にはならない。それでも、水があるのと無いのでは大違いだ。
あくまで地上だけの被害だったのが不幸中の幸いだったのだと思う。
調理器具のついでに三角巾も手洗いしようと頭に手をかけた時、背後から、若い女性の声がマリアを呼び止めた。
「あの、マリアさん……ですよね……?」
マリアは手を止め、振り返る。
線が細く、気も弱そうな、二十歳前後のポニーテールの女性だ。
確か、昨日の調理ではおにぎりを握っていた気がする。
「何だ? 私は日雇いだ。質問なら別の人にあたるといい」
「ち、違うんです……!」
女性は両手をまごつかせながら、自信なさげな声で話しかけてきた。
「あの、マ、マリアさんと……お、お話、したくて…」
「……?」
マリアは訝しげに彼女を見る。
特に心当たりもない。
「私、シオリって言います。少しだけ、お時間ください……」
*
人目に付きにくい、校舎裏のベンチ。
マリアはシオリに連れられ、隣に座っていた。
「すみません、ついて来てもらって……」
マリアはただ耳だけを傾けている。
シオリは自分の胸元を掴み、俯きながら小さく息を吐くと、そのまま話し始めた。
「……この街は、一週間前くらいに、魔法使いみたいな人……というか化け物というか……が暴れて……こんなことになってしまったんですけど…」
魔法使い、というのは聞くまでもなく能力者のことだろう。
「……その日、家族の中で私だけ出掛けていて……帰ってきた時には、家族は……もう……」
シオリの声が掠れ始め、微かに上擦っている。
涙を堪えているのは容易にわかった。
「私……もうどう生きたらいいのか、わからなくて……。でも昨日、マリアさんが……お爺さんに言っていた言葉を聞いて……どう乗り越えたのかとか、色々、聞いてみたくて……」
彼女が指している言葉というのは、難癖つけられた時に返した「家も家族もない」という言葉のことだろう。
能力者に襲われ、家族を失った。
確かに境遇は似ている。
──だが、それだけだ。
自分は能力者で、彼女とは何もかもが違う。助言をできる立場でも、何でもない。
「……期待しているところ悪いが、私から言えることは何もない」
「え……っ!?」
シオリは目を見開いている。突っぱねられるなんて、思ってもみなかったのだろう。
「お、お願いします……!私……これから生きていけるのか不安で……!今はどうやって生活しているのかとか、そういうことでいいんです……教えてください……!」
その言葉を聞いて、マリアは一層確信した。
普通の生活とはとっくにかけ離れた自分では、何の力にもならない。
「……少なくとも、お前の参考にはならない」
それでもシオリは、縋るように見つめてくる。
今にも涙を流しそうな瞳に、マリアはため息をつき、渋々口を開いた。
「……今は、旅をしている」
「た、旅……っ?」
シオリは意表をつかれたような声を上げた。
「昨日の通り、私には家も何もない。だから各地を転々としている。今ここにいるのも、旅の資金のためだ」
彼女は唇を噛んだ。
その表情はなんとも取れない。欲しかった答えがないと分かった、失望、後悔、そんなところだろう。
だがすぐに、シオリはマリアに目線を戻した。
「あ、で、でも……!」
弱々しそうな彼女は、意外にも食いついてくる。生きたくて、必死なのだろう。
「じゃあ……どうして旅をしようと思ったのかとか、聞かせてくれませんか……?」
「……そんなこと、聞いたところで何になる」
理由なんて、「能力者だから、いつかは故郷から出ていかざるを得なかった」の他にない。
そんな言葉をただ普通の一般人に投げかけたところで、いたずらに目の前に能力者がいる事実を突きつけ、恐怖させるだけだ。
自分は気休めの言葉ひとつ持ち合わせていないのだ。あまり彼女に関わるべきじゃない。
「……参考に、ならなくてもいいです。せめて、きっかけだけでも……。少しでも、同じような人が必死に生きてるんだって……私もこれから生きていけるんだって……そう思いたいんです……」
「…………」
シオリの意思は固い。
本当なら、最後まで拒絶した方が彼女の為だろう。中途半端に期待させても、誰の得にもならない。
マリアは、彼女から目を逸らした。
けれど彼女の方は、依然マリアを見つめ続けている。離れる様子は一向にない。
──……能力者じゃないとはいえ、"生きたい"という気持ちを無下にするのは、少し違うか。
マリアは、観念した。
「……旅を始めたのは私じゃない。私はただ、元々旅をしていた奴らに、ついてきただけだ」
問いには答える。
自分にできるのはそこまで。
ただ、それが彼女の求めるものかどうかは別の話だ。
だから、彼女には目を向けないようにした。
しかし、シオリは折れない。
それどころか、少しばかり期待するような声で、次の質問を投げかけてきた。
「……もし、避難所生活が終わったら……私にも、出来ますか?」
甘い問いだ。
避難所から離れられる。自分の足で立てる。
旅という響きに、そんな魅力を感じたのかもしれない。
だがそんな答え、考えるまでもない。
「安全の保証もなければ、明日の寝床も食料もない。ましてや女の一人旅なんて、無謀にも程がある」
「あ……。そ、そう……ですよね」
彼女は残念そうに俯く。
一瞬だけでも、憧れてしまったのか。
だが、これほど気弱そうな彼女が一人旅に出たところで、すぐに行き倒れるに決まっている。
なおさら希望を持たせるべきではない。
「……マリアさんが、羨ましいです……。家族も、家も失くなったのに……私なんかとは違って、強く生きていて……。マリアさんと私……何が違うんですか……?」
マリアはもう一度ため息をついた。
本当に、我ながら参考になるような答えを、僅かたりとも持っていないな、と思う。
「……私は、お前が思っているような女じゃない。ただ生きるしかなくて、生きてるだけだ」
「……え……?」
口をついで出た言葉に、マリアは自分でも内心驚いた。らしくもない、弱い答えだったと思う。
要らないことを言ったな。
そう思って、マリアは小さく首を振った。
「……私はたまたま運が良かっただけだ。大きな選択も何もしていない。何かを起こすきっかけが欲しかったのだろうが、先程言った通り、私は人に拾われついてきただけだ」
シオリは再び俯いた。
今度こそ、縋れるものは何もないと伝わっただろうか。
彼女はしばらく黙り、その場から動かない。
地面に目を向け、絡ませた両手の指に力が入れている。
それ以上の進展はないと判断し、マリアは腰を持ち上げた。
「あ、ま、待ってください……!」
マリアは、視線だけをシオリに向けた。
「……マリアさんみたいな生き方もあるってことがわかっただけでも、嬉しかったです。また、お話、聞いてもいいですか……?」
「何度話しても、言うことは同じだ」
そして、彼女の答えを待たずに、マリアは踵を返した。




