第68話 がんじがらめの約束 〜一日目・夜〜
ランタンライト一つだけが光を放つ、薄暗い校舎前。
炊き出しの夕食を食べ終え、避難所にいる全員はようやく今日の仕事を終えた。
カナメは、おにぎりと豚汁だけの質素な夕食に驚きながらも、その温かさに心をほぐされた。
後で知ったが、マリアが大量の野菜をずっと切っていたと聞き、思わずジンと顔を見合せた。
まさか料理までできるとは思わなかった。
その器用さに、今さらながら驚かされる。
みんなで後片付けをした後、被災者の人たちは体育館に戻り、家に帰れる日雇いの人は各々の帰路についた。
今ここに残っているのは、大体遠くから来た日雇いたちだ。避難所になっている体育館とは少し離れたグラウンドにテントを二つほど張り、そこで寝泊まりをする。
消灯時間も近づいた頃、カナメはジンとマリアを連れ、テントを抜け出した。
「ごめんね、急に来てもらっちゃって」
カナメたちは学校の敷地を出て、人気の無さそうな陰に腰掛けた。
陰と言っても、防犯のために点々と設置された強めのライトが、顔を隠しきれない程度に周囲を照らしていた。
カナメは念の為、本当に近くに誰もいないか、キョロキョロと辺りを見渡した。
「大丈夫じゃないか?足音ひとつしねえよ」
そんな様子を察したのか、カナメが訊くよりも早くジンが先に答えた。その言葉にカナメはホッと息をつく。
「それなら良かった……。ジン、ありがとうね」
「……それよりも、話とはなんだ? わざわざ呼び出すぐらいだ、重要なんだろう?」
マリアの質問に、カナメは頷いた。
「あのさ……今日、同じ日雇いの人で、能力者見つけちゃって……」
物騒な話になったらどうしよう。
そう緊張しながら発言したカナメとは裏腹に、ジンは驚きもせず答えた。
「ああ、それなら夕飯食ってる時に気づいた」
「え、やっぱり気づいてた……?」
「そりゃまぁ、近くにいたしな」
それもそうか、と思う。
皆同じ場所に固まってご飯食べてたら、ジンなら嫌でもわかるか。
「それで。お前はどうしたいんだ?」
マリアが、鋭さを感じる目でカナメを見ていた。
──どうしたいか、か……。
「……俺は正直、このまま何もないなら、何も触れなくてもいいと思う。気づいた後ずっと見てたけど、襲ってくる様子はなかったし……ジロジロは、見られてたけど」
「そうか」
マリアは頷く。
「見られていたなら恐らく気づかれてるのだろうが、一旦はその判断でいいだろう。だが、人前だったから何もしなかった、という可能性もある。そいつとは二人きりにならないようにな」
ジンも軽い声でマリアに続けて喋った。
「ま、相手は一人なんだ。三人いればいつでも倒せる。心配すんな」
「……え……?」
ジンの言葉に、カナメとマリアの動きが止まった。
時折、何気ない会話の節々に、ジンの価値観の変化を感じてしまう。
彼がじっくり魔物に浸蝕されているように思えて、身震いした。
二人の視線がジンに集まる。
ジンはまずいと思ったのか、手で口を覆い隠した。
「……わ、悪い。あんま、ここで戦いのこと考えるの、良くないよな」
謝るジンを見ても、カナメは胸の底で掻き立てられる不安を抑えきれなかった。
熱を忘れ震えた指先で、ジンの腕を掴む。
「ジン、大丈夫……?」
何に対して大丈夫かと聞いてるのか、自分でも分からなかった。ただ、何か声をかけずにはいられなかった。
「……はぁ……悪い……」
ジンは深く息を吐いた。
同時に瞳が睫毛に隠れる。
俯いた顔が逆光を浴びて、彼が今どんな顔をしているのか分からなかった。
「……集まったついでに、俺の話も聞いてくれね? ま、情けない話なんだけどよ」
その重く、低い声に、思わずカナメは息を呑んだ。
マリアもジンだけを見ている。
ジンは二人の顔を見ることなく、言葉を続けた。
「グルザと混ざってから、今日初めて一人になったわけだけどよ。いざという時に俺を止めてくれる人が周りにいないんだって思ったら、一気に自分のことが信用出来なくなっちまった。自分が何しでかすか分かんなくて、怖くてよ……」
「ジン……?」
顔は見えなくても、悔しさや恐怖、色んな気持ちが入り交じっているのがわかった。
ただでさえ震えている声が、消えてなくなってしまいそうだった。
「明日、休む……?」
「いや……」
ジンは前髪をかき上げるように額を押さえ、力なく答えた。
「てめえの金稼ぎに来てんだ、仕事はする。何でもかんでもお前らに任せっきりになんて、したくねえしよ」
「でも……」
カナメはジンの顔を覗き込み、目線を合わせる。
目が合った瞬間、少しだけジンの顔に安堵が戻った気がした。
「……あのさ。約束させてくれ。俺、この仕事が終わるまで、何があっても力を使わない。もし、戦いが起きたとしても」
「戦いが起きたとしても、か……」
マリアはジンの言葉を繰り返し、腕を組んだ。
「……理由は推察するが、お前自身の口から聞かせてもらおうか」
上から、マリアの鋭い声がジンを刺しにいった。
ジンは声の方向を見られないまま、消え入りそうな声で答える。
「今の俺は、何か理由が出来たら、その場で力を使っちまうかもしれない。他の能力者もいるとなると、余計に自分を抑えられる自信がない。……踏みとどまる為の何かが欲しいんだ」
マリアは数秒黙り、視線を変えないまま口を開いた。
「……カナメ」
「えっ、あっ……俺? 何?」
不意にマリアから名前を呼ばれ、カナメの声は上ずってしまった。マリアはそのまま淡々と話を続ける。
「戦闘は当然避けるのが前提だが、万が一があればお前と私の二人だけで対処する。構わないな?」
マリアの言葉を聞いたジンが、縋るようにこちらを覗き込んできた。唇を噛んで、皺に残りそうなほど裾を掴んで。
それだけで、今の彼はいっぱいいっぱいなのだと伝わってきた。
「もちろん、いいよ」
そんなジンを前にして、断るわけがなかった。
ジンに右手を差し伸ばすと、安心したのかジンはすんなりと握り返してきた。温かい。人間の手だ。
「……悪いな、負担かけちまって」
「大丈夫だよ、気にしないで?」
カナメは笑って見せた。心配させたくなかった。
しかしジンは、笑顔を返すこともなく、静かに立ち上がった。
「……先、テント戻っててくれ。ちょっと一人になって……落ち着いたら帰るわ」
ジンは一方的に告げると、テントとは反対方向に歩いていってしまった。暗くてよく見えないのに、その背中は酷く寂しそうだ。
「……ジン……」
「……早く、何とかしてやらないとな」
横で、マリアが呟いた。
カナメはただ、頷くことしか出来なかった。




