第67話 過去と今の被災者 〜マリアの一日目〜
「じゃがいも、切り終わりました」
マリアはそう告げると、切り終わったじゃがいもを大きな金属容器へ移した。
まだ切るべき野菜は大量にある。終わりが見えない。
今日の夕食はおにぎりと豚汁。材料は日雇いの雇用主団体が用意したものだ。
ここには、若い女性から、元気そうな年配の女性まで、幅広い年齢層がいる。その全員が髪をくくり、三角巾で完全に髪を隠している。被災者も日雇いも。マリアも例外ではない。
むしろ衛生面を考えれば当然のルールだ。
被災者も団体も、誰一人として手を抜いていないのが、目に見えて分かった。
屋外に広げられた調理スペース。
マリアの担当は下ごしらえだ。
ただひたすらに用意された大量の野菜を切る。
それだけで時間が溶けた。
最初に比べたら、ここで避難生活をしている人は減ったらしい。だが、まだ被災者は何十人も残っていると聞いた。
そしてこの炊き出しは、日雇いの人間の夕食も兼ねているという。材料が多いわけだ。
料理は人並みに出来た。
と言っても、作れるのは可もなく不可もなくの家庭料理程度で、振る舞う相手も家族ぐらいしかいなかった。
味のアレンジは得意ではないが、レシピ通りに作るものなら何の問題もない。
マリアは次に人参を手に取ると、また黙々と作業を続けた。
「これなら暗くなる前に間に合いそうね!」「いいから早く、次のお米炊いちゃって!」
この避難所にはガスも電気もない。
団体の持ってきたガスコンロを使って、大きめの鍋で豚汁を、釜戸で米を炊いている。
鍋は複数個あるが、当然一回の調理で何十人分の食事を賄えるはずがない。とにかく夕方までに調理を終えるため、全ての鍋を並行して使い、豚汁を作ることになっていた。
「マリアちゃん、ごめんね急がせちゃって!」
おにぎりを握っている女性が、そうマリアに声をかけた。その後ろでは、鍋の前に立つ別の女性が、今か今かと人参を剥き終わるのを待っている。
「いえ。すぐ終わりますから」
マリアは、慣れた手つきで人参をいちょう切りにしていく。
料理なんて、初めて襲撃された日から全くやっていなかったが、指先はしっかり覚えているらしい。少しだけ、家があった頃を思い出した。
鍋と釜戸から立ち上る湯気に囲まれ、汗を浮かべながら作業していると、不意に男性の怒号が近くで聞こえてきた。
「おかずが少ねぇじゃねえかよおい! こんなんで足りると思ってんのか!?」
年配の男性だった。
その視線の矛先は、恐らく外部の人間のみに向けられている。
「外から食材持ってくるんならよ! もっと満足に食えるよう、もっと持ってくるべきなんじゃねえのか!? えぇ!?」
「ちょっと、ケンさん……おやめなさいよ……」
「お前らも、黙ってこいつらに従ってメシなんか作ってねえで、なんか言ってやれよ!」
……こういう人もいるだろうな。
感想はそれだけ。
気にせず静かに野菜を切っていく。
だがその態度が気に食わなかったのか、男性はマリアに目をつけると、わざと足音を鳴らして、ズカズカと近づいてきた。
「おい、聞いてんのかってんだ!」
マリアは無視する。
すると男性はさらに激高し、テーブルをバンッと強く叩いた。
「どうせ俺たちに情けでもかけて、私たち偉いことしてますよとでも周りに自慢したいんだろ! 帰ったら家があるような、何も知らん若造が! いいご身分だな!」
食材の近くで騒がれるのが迷惑だった。
ただそれだけ。
マリアは男性に見向きもせず、淡々と答えた。
「家なんてありませんよ。家族も全員死にました」
───。
マリアの返しに、一瞬で辺りがしんと静まり返った。包丁の音一つを残して、音を出すものは何も無かった。
男性は固まっていたが、作業には関係ない。
マリアは切り終わった大量の人参を金属容器に入れて、鍋の隣に置いた。
「次の鍋の分の野菜、切り始めますね」
「……え……? あ、ああ……お、お願いね……」
マリアの声に女性が驚く。
それを皮切りに、周りの時間もぎこちなく動き出した。
先程まで怒鳴り散らしていた男性は「……チッ」と舌打ちしてどこかに歩いて行った。
そんな形でしか感情を吐き出せないほど、追い詰められているのだろう。
だが、例えそうだとしても、同情しようとは思わない。ただ冷めた気持ちだけが残った。
「ね、ねぇ、マリアちゃん……さっきの話……」
おにぎりを握っていた女性が恐る恐る話しかけてきた。気を遣ってくれているのだろうが、別に必要はない。
「随分前の話です。お構いなく」
「……あ、そ、そう……じゃなくて……」
女性は慌てて両手をパタパタと振る。
「嫌な思いさせちゃったでしょう、ごめんなさいね? あのおじいさん、避難所に来てからずっとイライラしてて……」
「いいえ。私はただ、仕事をするだけなので」
マリアの手は止まらない。
ひたすら野菜を切り刻んでいく。
しばらくの間、料理の音だけが静寂を拒否していた。
女性たちの間で、気まずそうな空気が流れる。
マリアの扱いに困ってしまったのだろう。
心なしか、全体的に作業のスピードも遅くなった気がする。空気の重さが足を引っ張っているのかもしれない。
ここにいる人たちの中にも、家族を亡くした人はいるだろうに。外部の人間のことなど、気にしなくてもいいのに。
──マリアの手は、止まらない。




