第66話 出会い 〜ジンの一日目〜
折れた鉄柱、屋根に潰されて崩れた家、抉れて盛り上がった道路。
風が吹けば土埃が舞い、耳を澄まさなくても、至る所から瓦礫を踏みしめる音が聞こえる。
目の前の光景は、戦いの規模を嫌というほど物語っていた。
ジンは、瓦礫の詰まった土嚢を右肩に載せ、仮置き場まで何往復も運び出していた。
重さは三十キロあるかないかぐらいだろうか。さすがに疲れはするが、まだヘトヘトになるほどではない。
他にも十数人の男性が、黙々と同じような作業を繰り返していた。
──日雇いの仕事をすると決まった時、マリアに口酸っぱく言われたことがある。
"絶対に、一般人の前で能力を使わないこと"だ。
勿論、戦いが起きなければ使おうとも思わないし、能力者に襲われた街で能力を見せつければ、糾弾されることだってわかっている。
けれど、そんな忠告が必要だと思うほど、今の自分の人間性は信用に足らないということだ。
当たり前だろう。
意識のどこにグルザの価値観が紛れ込んでいるのか、自分でもわからないのだから。
──……今そんなことを考えたって仕方がない。
とりあえず、体を動かそう。
ジンはまた、手馴れた作業員から土嚢を受け取り、仮置き場まで歩いていく。
戦いとは程遠い空気に触れるほど、グルザの存在を忘れられるような気がした。
無心で作業を繰り返していると、突如背後から大声が響いてきた。
「一旦休憩にしましょう!」
リーダーの声が辺り一帯の作業員に届き、全員の手が止まった。
「いやあ、やっぱ重いっすねぇ」「修行足りねえんじゃねえの?」「やっと休憩かー!」「さすがに肩凝りましたけど、進みましたねえ!」
先程まで黙々と働いていた作業員たちが、口々に感想を言い合いながら、一箇所に集まっていく。
ジンはと言うと、その輪の中に入っていくことに躊躇してしまった。
怖かった。
本当に自分が、力を使わずにいられるのかが。
以前、自分の足がグルザのものになった時、そのまま街に入ろうとした。
それが普通の足だと、思い込んでしまっていた。指摘されるまで異常だと分からなかった。
もう人に言われなければ、自分の異常性に気づくことができないらしい。
だから、カナメやマリアがいない今、自分だけで「人間のフリ」を続けられるのか、自信が持てなかった。
──二人がいないと、心細いな……。
ジンは結局、一人離れたところでポツンと座り込んだ。
「なんでそんなとこにいんだ、あっちで一緒に休めよ!」
「いてっ!」
不意に頭を叩かれた。
振り返ると、いつの間にか作業員の男性が立って、みんながまとまっている休憩所を指す。
「兄ちゃん結構働いてくれたから疲れてるだろ。向こうにお茶あるから飲めよ」
本当は「結構です」と言おうと思った。
しかし、輪を乱すのはさすがに違うなと思い、踏みとどまる。
「あ、すみません……」
そのままジンは男性に背中を押され、男性と一緒に休憩所に向かうことになった。
だが、歩を進めるたびに冷や汗が伝い、身体が強ばる。
不安が膨らんで膨らんで、気づけば遠くの仲間に届きもしない助けを求めてしまった。情けない。
「ほいよ。ちゃんと水分とっとけよ」
目の前に、お茶の入った紙コップが差し出された。いつの間にか休憩所に着いていたらしい。
「……ありがとう、ございます」
ジンは震えた両手で受け取った。
常温。
水面に映る自分の顔を見たくなくて、急いで飲み干した。
「どうだ兄ちゃん、結構疲れたんじゃないか? 今日が初めてなんだろ?」
お茶をくれた男性が話しかけてきた。
ジンは何も言えず、ただこくりと頷く。
「今作業してる道路が開通できたら、もう少し大きい街からも救援が受けられるようになるんだ。ちょいと無理させるかもしれねえが、俺たちも急ぎたくてよ。悪いな」
男性はだっはっは、と笑う。
ジンは、苦笑いで返すしかなかった。
──……本当に、普通の人とのふれあい方を忘れてしまったみたいだ。
深く息をついたその時、ジンの耳が何かを拾った。
「……ん?」
音の方向に目を向ける。
誰もいない、崩れた家があるだけの場所だ。
「どうした兄ちゃん?」
「いや、なんか音が……」
ジンはその声に誘われるように家まで歩いていき、辛うじて口を開けている玄関に上体をねじ込んだ。
そして何かが近づいた気がして、音を頼りに腕を伸ばす。
次の瞬間、急いで目の前を横切ろうとした何かを、反射的に捕まえた。
動物にしては大きくて重い。
ジンは小さく丸まろうとしたそれを軽く持ち上げ、何なのか確かめた。
「……子供?」
「なっ、なんだよ! 離せよ!!」
掴んでいたのは、十歳ぐらいの少年の襟首だった。
こんな子供が瓦礫になった家に入り込んで、一体何をしていたのだろうか。
「おーい、なんかいたのか…って、おおっ!? お前ハルキんとこのせがれじゃねえか! 人様の家で何やってんだ!!」
「うわぁぁあごめんなさい! 何も! 何も盗ってねえから!!」
少年はそれだけ叫びジンの手を振り払うと、瓦礫の隙間を縫って走り去ってしまった。
ジンはゆっくりと玄関口から体を引き抜く。
「あー、逃げちまったか。兄ちゃんもよく気づいたな。あのガキは昔から悪ガキで有名なんだが、まさか火事場泥棒まで企むなんてなあ……おっと、もうそろそろ休憩終わるぞ」
「あ、わかりました……」
ジンは男性に連れられ、作業に戻った。
また、何も考えないように、ただ黙々と。
日が傾くまで。肩が重力に逆らえなくなるまで。夢中で体を痛めつけるように。
一人きりのジンにとって、今はそれだけが救いだった。
──けれど一つだけ、頭からずっと離れないことがあった。
あの少年の怯えた目。
後ろめたいとわかって手を伸ばしたものを暴かれてしまった、そんな恐怖の色をしていた。
今の自分も、同じ目をしているのだろうか。
ジンは、どうしてもその目を忘れられなかった。




