↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔蝕のレゾンデートル  作者: 古里古
第一章
7/93

第7話 友が照らした逃げ道


 呼吸の落ち着いたカナメは、背中をさすられながら膝を抱えて縮こまっていた。


「ごめん、迷惑かけちゃって……」


「気にするな。俺も軽率だった。悪かったな」


 謝るジンの声には、まだ哀しみと困惑が混じっている。


「でもさ、まだ信じられないんだ。だってカナメはついさっきまで魔物のこと自体知らなかった。しかも“盾で人が死んだ”なんて……」


「……俺の出した盾が消えた瞬間、人が倒れていて……それが今も頭から離れないんだ」


「……お前が人を殺すなんて、やっぱり信じられねえよ。おい、カナメの魔物、何か言ってやれよ。なんかの間違いとかじゃねえのか?」


 ジンの声は祈るように、しかしその先の答えを恐れるように震えていた。沈黙がふたりを包む。返答次第で何かが変わる気がして、時間がわずかに重くなる。


 そのとき、カナメの頭の中で静かに答えが響いた。


《……間違いではない。だが、不運な事故だと言ってもいい》


 カナメは膝を抱えたまま視線を落とす。横顔を見つめるジンは、眉間に深い皺を寄せた。


「……事故……?」


 ジンの肩が大きく揺れた。座ったまま体を翻し、じりじりとカナメへ詰め寄る。


「事故って言われたのか!? お前のせいじゃないんだな!?」


 しかし、それを聞いたところで罪悪感の影は消えない。命を奪った事実は変わらない。


 そんなカナメの気持ちを知ってか知らずか、エルナスは落ち着いた口調で続けた。


《──襲ってきた男は、超スピードを出す力を持っていたようだった。魔物ならともかく、人の身体で盾にぶつかれば死ぬに決まっている。自滅もいいところだ》


 カナメは言葉を反芻するように呟いた。


「……事故で、俺の盾に、その人がぶつかったって……」


「そんなの、もらい事故じゃんか! やっぱり、お前のせいじゃなかったんだよ!」


 ジンの顔がぱっと明るくなり、肩を軽く叩く。


「あんな壁みたいな盾で人が死ぬなんておかしいって思ってたんだ。お前がそこまで苦しむことはない」


 ジンの励ましは力強くても、カナメの脳裏にはまだあの男の姿が、押し潰した感覚が、こびりついて離れない。事故か故意か──そんな些細な違いは今のカナメにとって、救いにはならなかった。


「……逃げちまおうか」


唐突な一言に、カナメは呆気にとられてジンの顔を見る。


「俺は魔物の気配をかなり感じ取れるし、自分の気配も消せる。それでずっと戦いを避けてきたんだ。お前の魔物だって、戦いたくなくて隠れてたんだろ?」


 ジンは肩を掴んで笑った。偽りのない本心だと、カナメは感じた。


「俺とお前で生き延びてやろう。もっと遠くへ行ったっていい。独りじゃないなら、それだけで心強い」


 その言葉に、カナメの胸に小さな灯がともる。受け入れたくない現実を投げ出して、一緒に逃げ出したい──そんな衝動に心が傾いた。


「……それ、いいね」


 情けない自分の顔を嫌いながらも、ジンの言葉に縋るようにカナメは、力なく笑った。


 *

  

 ──ジンから出た「逃げよう」という提案は、本気だった。

 一度家に帰り荷造りをしようということになり、今は自宅でリュックに必要なものを詰めている。なのに、まだ何も実感が湧かなかった。


「本当に、ここから出ていくのかな……」


 住み慣れた自分の部屋を見渡す。壁を埋め尽くす本棚とポスター、少し奮発して買ったマットレスのベッド、ずっと見てなくて埃をかぶったテレビ。いつもと何一つ変わらない光景は、これからの逃避行は幻と錯覚させてくるようだった。


 普段は読みもしない小説に目を落とす。

 確か、金持ちの老婆を殺した青年が後に罪の意識を抱き、自首して生まれ変わろうとする話だったと思う。

 それに比べて自分はどうだ。今から何もかもを捨てて、逃げ出そうとしている。なんと情けない。


 しかし、だからと言って“自分の手で誰かが死んだ”という現実を背負いながら生きていけるような、そんな立派な人間でもない。

 逃げながら細々と生きていくのが、きっとお似合いなのだ。


 そんなことを思っていると、不意にインターホンが鳴った。画面にはリュックを背負ったジン。ファスナーがはち切れそうで、中身が溢れそうになっている。


「早いね。鍵開けるよ」


「頼むわ」


 玄関を開けると、ジンは息を切らして「待たせたか?」と笑いながら入ってきた。必死でファスナーを閉める手つきが、どこか落ち着かない。


「まだ支度終わってないよ。もっとゆっくり来ればよかったのに」


「お、良かった。とりあえず要るだろって物を詰め込んできただけだから。まだちゃんと仕舞えてないんだ」


「見ればわかるよ。とりあえず部屋入りなよ」


 カナメはジンを自室に招き、荷造りを再開する。靴。着替え。貴重品。タオル。逃避行の荷造りなんてしたことがない。何を持っていけばいいのか、手探りだった。


「ねぇ、ジン。そんなに何を持ってきたの?」


 ファスナーと格闘するジンを横目で見ると、彼は困ったように頭を掻いた。


「俺は着替えと貴重品と……枕と」


「枕なんて入れてるから入らないんだよ。置いていきなよ」


「俺、あんまり他の枕使いたくないんだけどな……」


 ジンはリュックから枕を抜き取って残念そうにファスナーを閉めた。直後、彼の顔がふっと曇り、窓の外をじっと睨みつけた。

 

 張り詰めたような顔につい「どうしたの?」と声をかけると、ジンは警戒しているような小声で耳打ちした。


「……実はさ、さっき俺んちの近くに能力者が来てたっぽいんだ。たまたまかと思って急いで出てきたんだけど、なんかこっちへ向かって来てる。裏山で力使ってたの、嗅ぎつけられたのかも」


 室内の空気が一度引き締まる。枕の冗談が、瞬時に現実の危機へと戻った。


「それ……本当?」


「ああ。こっちに真っ直ぐ向かって来てる。……靴履いたらおぶる。俺の足かなり速いから、ちゃんと掴まっておけよ」


 カナメは息を呑み頷くと、すぐにリュックを背負う。ジンの緊迫さに圧され、迷う暇すらもなかった。

 

 心臓が波打つ。

 これで本当に、非日常に足を踏み入れてしまうのだから。


 二人は急いで玄関に向かい靴を履いた。ジンは前にリュックを抱え、背中にカナメを乗せ、扉が開くのと同時に足を蹴った。


「──うわ……っ!?」


 思わず声が出る。信じられない速さだ。普通の人間とは比べ物にならない。


 ジンは一跳びで塀を乗り越え、屋根へ飛び移る。木の枝に足をかけ、その勢いのまま、また屋根を駆け抜けていく。


 二人は、戻れない「日常」に背を向け、歪んだ現実へ飛び込んでいった。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。