第6話 俺と魔物の境界線
空腹も満たされまったりしてる頃、ジンは「そうだ」と手を叩いた。
「お前、今まで外で戦いが起きてたこと知らなかったんだよな? 俺ら同士は戦わないにしても、今後の為にどんな力持ってるのか、お互いに知っておいた方がよくないか?」
確かに、とカナメは思った。
戦いに関しては正直足を踏み入れる気はないが、目の前に盾が出てきたのは事実なのだ。であれば、自分もその正体を知りたい。
「と言っても、俺も逃げる為にしか力使ったことないんだけどな。どうだカナメ、近くの裏山とかでさ」
「……うん、そうだね……。俺も、何が起きてるのか知りたい」
この先、何が起こるのか。
カナメの脳は想像を拒んでいたが、それでも現実は知る必要がある。当事者なのは間違いないのだから。
「おっし、じゃあ行こうぜ」
カナメはジンに腕を引かれるまま、部屋を後にした。
*
──人気のない、近所の裏山。
太陽はもう町を照らしているというのに木漏れ日がほんの僅かなこの山は、普段滅多に人が通らない。
カナメ自身も子供の頃、ジンと探検しに来たことはあったが、足を踏み入れたのはそれっきりだった。
「ねぇ。そういえば俺全然分かってないんだけど、その、力……って結局なんなの?」
「あー……見てもらった方が早いわ」
困ったように答えたジンは目を瞑り、鋭く息を吐いた。
見た目が変わったとかでは無いが、何となく、ジンの周りの空気がピリついたような気がした。
「まぁ、俺のはすんごい地味だから、自慢できるものでもないんだけどさ……」
そう言いつつジンは、軽く膝を曲げるとそのまま地を蹴り──人間ではありえない跳躍力で遥か上にある木の枝に着地した。
「えええっ!!??」
よく見知った人間が明らかに人智を超えた身体能力を有している事実を受け止めきれず、カナメは腰を抜かしてしまった。 目の前の現実と、有り得ないという気持ちが交錯し混乱する。
ジンはすぐに地面に飛び降りてきた。
かなりの高さがあったはずなのに、綿に着地したのかと思うほど、軽やかな足音だった。
「悪い、驚かせたな。俺の力は身体能力の強化なんだ。こうやって高くジャンプしたり、早く走ったりな」
笑うジンに腕を引かれ、カナメはゆっくり体を起こす。
その手は間違いなく友人の温もりなのだが、本当に目の前の男が自分のよく知っている親友なのか、途端に分からなくなってしまった。
そんな怯えた目を見透かされたのか、ジンは呆れたようにこちらを見てきた。
「……はぁ。……おい、エルナス。お前がカナメに何も説明してないから、こんなビビってるじゃねえかよ。何も知らずにカナメが死んだらどうすんだよ」
ジンは半ば怒りのような鋭い声で、カナメの中に居座る魔物へ言い放った。
突然の言葉に気圧された一瞬、エルナスが彼に届かないその声で《面目ない》と呟いたことを聞き逃さなかった。
……悪い奴ではないのかもしれない。
*
──ジンが怒って十数分後。エルナスから理解の出来ない説明を受けたカナメは、自分がこれから何をするのかもわからないまま右手を前に突き出した。
「……本当に、これでいいの?」
エルナスが言うには、魔物固有の能力をただ引き出せばいいだけと言うが、そもそもそれが何なのか意味がわからない。
ジンが横で助言をしてくれているが、それもいまいち理解できないでいる。
「あんまり深く考えなくていい。何となく、“この魔物はこういう力を持ってるな”って感覚があるだろ? その感じた力をそのまま借りるって感じだ」
「そんなこと言われても……」
その瞬間、突然脳裏に、稲妻のような衝撃が走った。
直感のまま右手に意識を集中させると、腕の奥底から熱が駆け巡り、指先で何かが形を取ろうとしているのを感じる。
──この指先から、盾を作る光が生まれる……。
誰に教わらずともそう予感した。
これが、“能力を借りる感覚”……?
刹那、不安が胸を圧迫する。
これから何が起きるのか。もし失敗したら、自分はどうなってしまうのか。
怖くなって光を引っ込めようとしたが、やり方がわからない。それどころか熱はどんどん指先に集まっていく。
「ジン、ごめん止まらない!」
「任せろ、何かあったら避ける!」
カナメの不安も虚しく、指先に集まった熱は光となり放たれた。光はそのまま目の前で拡散し、四角く形どったと思うと、瞬く間に質量のある壁が現れた。
「……これ、盾か?」
ジンが目の前に出来上がった壁を見上げる。 自分の身長の倍近くありそうな高さの四角い壁は、全てを弾いてやると言わんばかりの、鉄壁の意思を放っていた。
「──え?」
同時に。カナメの心臓がドクンと跳ねた。
視界が揺れた。息が詰まった。
あのときと同じ光。あの音。あの感覚。
血と鉄の匂いが、現実に戻ってきた。
「…………ぁ……」
この右腕の感覚に、覚えがあった。
腕を押し出して壁を出し、
俺を追ってきた男が。
俺の出した壁にぶつかって。
ひしゃげて。
死んだ。
カナメは目を見開き、足は痙攣して支えを失う。全身が震えた。冷や汗が止まらない。鼓動ひとつごとに心臓が貫かれるようだった。口からは涎が垂れ、獣じみた呼吸音だけが漏れた。
「どうしたカナメ!!」
ジンは慌ててカナメに駆け寄り抱きかかえる。
しかしカナメの鼓動は休まらず、胸の裏を強く殴りつける。その度に盾は力強さを失い、やがて光となって霧散した。
残ったのは、震えるカナメと、それを抱えるジンだけだった。
脳が深く考えることを拒み続けていたはずだった。今この時まで、思い出すことすらも忘れていた。
なのに、無意識の蓋が弾き飛ばされ、忌まわしい記憶が、何もかもが溢れて止まらない。あの時の光景が目の前にあるかのように、瞼の裏に張り付いていた。
「カナメ!! しっかりしろ、カナメ!!」
右腕に骨と肉を押し潰した感覚が走る。
遠くに聞こえるジンの声と腕の温もりだけが、絶望に飲まれそうなカナメを何とか現実に繋ぎとめていた。
最後の糸に縋るようにカナメはジンの体を掴む。制御を失ったその体は、ジンの体に深く爪を突き立てていた。
「お……俺……おれ…」
「無理するな、落ち着けカナメ!」
「おもいだしちゃった……」
嗚咽のような声が途切れ、カナメの爪はさらにジンの体に食い込む。
「俺……この力で……人を殺したんだ……ッ!!」
助けを求めるかのようにジンを見上げる。恐怖に目をこじ開けられ、その顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。
爪がジンの皮膚が今にも破りそうだった。なのに、ジンは痛みそっちのけでカナメを強く抱きしめた。
「そうだったよな……ごめんな……嫌なこと思い出させちまったな……大丈夫、落ち着け……」
乱れた呼吸を落ち着かせるように、ジンの手がカナメの背中を擦る。
「お前が『人を殺した』って言ってたの、俺はちゃんと聞いてたのに……いつも通りのお前で……どこかで“きっと間違いだ”って勝手に思ってた。軽く考えてた。ごめんな」
強く抱きとめられ、浅かった呼吸が少しずつ深さを取り戻していく。 それでもカナメは涙に濡れた顔のまま放心しきっていた。
「大丈夫、大丈夫だから……」
心はここになくとも、ジンの声が遠くで聞こえる。
カナメは言葉を取り戻すまでの間、ずっと、腕の温もりに体を支えられていた。




