第61話 希望はゼロから作るもの
「カナメ、ごめん。ちょっと……」
ホテルに入ろうとした瞬間、背後からジンに呼び止められた。お菓子と飲み物が入ったレジ袋を引っさげたまま、ジンと一緒に近くのベンチまで歩いていった。
「……戻ろうとしたんだけど、足が進まなくて……」
重く、沈み込むように、ジンは腰掛ける。
肩が小さく見えて、思わず手を乗せた。
もう、目を逸らさないと決めた。
ちゃんと向き合うと、ジンに何が起きてるのか、ちゃんと考えると決めた。
カナメはゆっくり息を吸って、手に少し、力を込める。
「ジン……俺、ちゃんと全部聞くから……」
ジンは答えない。奥歯の軋む音だけが返ってくる。
「俺たちを守ってくれる為に、ジンが何をしたのか……何もかも全部……」
「……もしそれが、お前らを守る為、なんかじゃなかったら、どうすんだ?」
手を通して、ジンの心音が聞こえる。肩の震えが伝わる。
それに釣られて、カナメの鼓動も焦りを覚えた。
ホテルに戻ったらきっと、本当に良くない話が始まるんだろう。
でも、ジンは最初からずっと、心も命も、ずっと守り続けてくれていた。そんな話一つで、ジンへの感謝が帳消しになるわけがない。そう確信している。
「……俺は、ジンが何を話しても、絶対逃げない。ジンが何をしたのか、ちゃんと理解しないといけないんだ。……って、これは昨日、マリアに言われたことなんだけどね」
「マリアに?」
地面に向けられた視線が、少し上がった。
「……敵わねえなあ、お前らには」
ジンはゆっくり立ち上がる。
そして、両手のひらで自分の顔をはたくと、ホテルの方向に体を向けた。
「戻ろうぜ」
「うん」
*
──意を決して、カナメは部屋の扉を開けた。
例の如く、マリアが紅茶を飲みながら待っていた。
話に入る前にと、カナメはジンとマリアに買ってきたお菓子を配る。ジンにはチョコ、マリアには一口サイズのクッキーを買ってきた。どちらも、個包装の物がたくさん入っているタイプだ。
マリアがクッキーを頬張り、僅かに「おっ」というような顔をした。その反応を見て、ついつい口角が上がってしまう。
「レモンのクッキーか。悪くないな」
「よかった……。実は、紅茶に合うお菓子がわかんなくて、お店の人にオススメされるままに買ってきちゃった」
カナメはほっと胸を撫で下ろすと、ベッドの上に戻り、自分の分のチョコを開封した。ジンのチョコと同じ銘柄だが、こちらはホワイトチョコだ。
マリアはクッキーを一枚食べ終えると、ジンを真っ直ぐ見た。
「いけるか?」
その視線を正面から受け止め、ジンは頷く。
「……さっきは悪かった。大丈夫だ」
マリアは二人を見渡した。目元が鋭くなり、空気が引き締まる。
「改めて聞こう。ユウジたちと戦ってた時、何があったのか。出来れば、どこまで意識があったのかも」
マリアの目は鋭さを持ったまま───しかし、圧のない声で、言葉を始めた。
探るでも刺すでもない、ただ真剣な眼差しだけ、ジンに向けている。
「……ああ……」
ジンは、両手を握りしめながらカナメとマリアの目を見る。やがて、大きく息を吸うと、意を決したように頷いた。
「……あの時、ユウジの足さえ動かなくすればいいと思った」
その不穏な語り口に、ぐっと身体が強ばってしまった。
声を上げたい気持ちを堪え、黙って続きを待つ。
「まず、宙に逃げた二人を上から蹴り落として……ゴウの砲身を砕いたんだ……元の腕も砕けるとわかっててやった」
え……っ。
悪い話が来ると思ってはいた。
だが、始めから想像以上の告白が飛び込んできて、一瞬、思考が飛んでしまった。
「……腕が無くなったゴウが悲鳴を上げた……煩かったから、蹴ってどかした。その後、また宙に逃げようとしたユウジの足を、潰そうとした」
ジンの顔から……だんだん、表情が抜け落ちていった。不安げだった目も、いつの間にか、ただ遠くを見ているように、色を失くしていく。
「宙にいる時に足を潰したら、そのまま下に落ちちまうだろ? だから、上には逃げんなよって忠告した。それで死んでも、あいつ自身のせいだって思った。……あいつは結局上に行ったけど、ちゃんと地面に引きずり下ろした。死なせないことが、カナメとの約束だったから」
……待って。
今……話してるのは誰だ?
本当にジンなのか……?
いや、顔も声もジンだ。
でも……ジンに見えない。ジンの言葉に思えない。
口を開こうと身を乗り出す。
その瞬間、マリアが片手でカナメを制止し、首を振った。
──全て聞け、ということだろう。
カナメは乗り出した身体を戻し、再び耳を傾けた。
「……それで、ユウジを捕まえた後持ち上げて、足の裏から、爪で思い切り貫いてやった。あいつら、あんなに俺たちを殺そうとしてきたのに、いざ自分が危ないとなったら、命乞いしてきたんだ。許せなかった」
爪……。
魔物化したジンの爪って、結構大きかったと思う。獣のような、鉤爪のような、とにかく鋭い爪だった。
貫いたのか、あれで……。
──いや。
ジンが、足を潰したなんて分かりきっていたことだ。マリアに言われた通り、ジンが嫌なことを肩代わりしてやってくれたんだ。
胸の奥が、チクリとした。
今、気にするのはそこじゃない。
必死に、自分に言い聞かせ、意識をジンに戻した。
「俺がやったのは、ここまでだ。あいつらは動けなくなったし、次の役目はカナメとマリアを逃がす事だったから、寝てるあいつらを放っておいて、カナメたちのところに戻った」
その言葉を最後に、痛いほどの沈黙が訪れた。
カナメはどうしたらいいか分からず視線を泳がせ、マリアは眉間に皺を寄せ、気難しそうな目をしている。
ジンの表情だけが、何も変わらない。
変なことを言ってしまいたくなくて、しばらく誰かの言葉を待ってしまった。
やがて、マリアが重く口を開いた。
「……私の仮説を話そう。とは言っても、こいつには既に共有済みだがな」
マリアはジンだけをみながら、軽くカナメを指差した。
昨日マリアに聞かされた話だろうな、とカナメは思った。
「正直、今の話で十中八九合っているのではと思ってしまった。だが、あくまで推測だ。違っていたら反論してこい」
マリアの声からは珍しく、迷いを感じた。
「……お前が最初に起き上がった時、しばらく意識がなかったと聞いて、“魔物に意識を乗っ取られただけ”だと、そうであって欲しかったと思った。だが……」
マリアの瞳はまた鋭さを取り戻し、ジンを──ジンの瞳の奥の何かを見据えた。
「お前は、魔物と一体化したんじゃないか?」
「……何で、そう思ったんだ?」
ジンは、静かに言い放つ。
抜け落ちた感情の中で、諦めだけが取り残され張り付いたような、空っぽの顔をしていた。
「あの時の気配は、よく覚えている。魔物の気配だけが剥き出しで、お前の気配との境目もなかった。それに、今のお前の言動も、普段のお前からは想像のつかない言葉だらけだ。まるで、魔物の価値観に毒されてしまったような」
カナメも頷く。
先程のジンの言葉は、どれをとってもジンの言葉に思えない。それは間違いなかった。
「それに、お前が戦いから一人で戻ってきた時、自分の足が魔物になっていたことも忘れていた。直前まで、戦っていたにもかかわらずな。根拠はこれだ」
ジンはそれを聞いて、焦るでも悲しむでもなく、力無く笑った。
「やっぱり変なこと言ってるよな、俺。……そうなんだよ」
全てを諦めたように、遠い目でマリアを見返す。
「話しているうちに、薄々思ってはいたんだ。俺さ、“魔物化したこと”だけが嫌で、“俺のしたこと”自体にはなんの疑問も持たなかった……」
その声は諦めに満ちていたのに、苦痛が滲んでいて、聞いてるだけで胸が痛くなった。
「多分、どっかで混ざってんだ。あいつに鼓舞されて立ち上がった、あの瞬間から。グルザに言われるまで混ざってるなんて自覚もなかったし、戻り方もわかんねえんだ……」
「……やはりか……」
マリアは、瞼を伏せる。
だがそれも一瞬で、すぐ椅子に腰を下ろし、カップを手に取った。
本当に、ジンは魔物が一体化してしまったのだろうか。どうしようもないのだろうか。
マリアなら何か、思いついてはくれないだろうか。
一縷の望みを求めて、彼女を見る。
マリアも思考を巡らせてくれてるのか、時折紅茶を飲みながら、ジンのことを凝視する。
ジンは、諦めた表情ながらも、その彼女の目に期待するように、息を呑んでいる。
しばらく紅茶が喉を流れる音だけが聞こえ、ようやくマリアが口を開いた。
「お前自身が自覚も戻り方もわからないなら、私だって、具体的な解決方法なんて思いつきようがない。だから、別の切り口で考えるしかない」
「……別の……って何だ?」
マリアは「今から無茶苦茶なことを言うが」と前置きした上で話し始めた。
「魔物と混ざったこと自体は受け入れる。切り離す方法がわからないからな。その代わり、魔物の意思は一切反映させず、意識も身体もお前だけが舵を握る」
「……言いたいことはわかるけど、それができなかったからあんな戦い方になったんだよ。ここまでが俺の意思、ここからがグルザの意思、みたいな境がないんだ」
ジンは深くため息をついた。
しかし、意外にもマリアの方が諦めてはいなかった。
「魔物と気配が混ざっている状態の中で、魔物がお前の意識を廃して、身体を乗っ取った時間があったのは確かなんだ。逆があったっていいだろう」
「逆……」
ジンは少し考える。
考えながら、眉を動かしたり、時折怒ったような表情をしたりしている。
多分、魔物と話しているのかもしれない。
答えが出るまで、黙って待った。
やがてジンは、顔を上げ、カナメとマリアに目を向けた。
「……そんなことが本当に出来るかは、正直分からない。けど、“魔物と意識を分断しろ”って言われるよりは、もしかしたら出来るかもって思う」
「本当に!?」
カナメは嬉しくなり、声を上げてしまった。それに応えるように、ジンは頷く。
「実を言うと、俺もグルザも“あの鼓舞がきっかけだった”って認識してるだけで、具体的な原理だとかやり方は分かってない。でも……それが分かれば、もしかしたら、とは思う。当然グルザには今、猛反対されたけど」
「……反対するということは、そいつ自身にも心当たりがあるのかもしれないな。お前が意識の主導権を握り続けるという、その可能性に」
マリアは一息つくと、クッキーに視線を落とした。
「どうやったらお前が意識を保ち続けられるのか……。出来るならばそれも推測出来れば良かったんだが、今の情報量ではここが落としどころだろうな……」
「え、もうこれ以上は難しいの?」
突然話し合いが終わりそうな雰囲気に驚き、マリアを見る。彼女は「残念だが」と漏らし、クッキーを一枚手に取る。
「きっかけだけが分かっても、それ以上の情報が何もない。本人も魔物も分からないと言っている以上、この先推測はすべて、希望を並べていくだけの妄想にしかならない。あとは本人に情報なり感覚なりを掴んでもらいながら考えるしかない」
そして、ため息混じりに、ジンに視線を向けた。
「……成果を出してやると意気込んでおきながら、このザマだ。すまなかったな」
「えっ」「マリア……?」
マリアから謝罪の言葉が出るなんて思わず、カナメとジンは同時に反応してしまった。
しかしジンは、すぐに困ったような笑顔を返した。
「……二人がいなかったら、絶対何も出来ずに終わってた。あんなに分からないことだらけのところから、何か方法があるかもって行き着いただけでも、本当にすげえと思う……」
ジンは照れながら頭を掻き、立ち上がる。
そのまま、二人に少し晴れたような顔を見せると、ゆっくり頭を下げた。
「二人とも、ちゃんと想像以上だったよ。ありがとう」
「ジン……」
それはジンにしては珍しい、照れや恥ずかしさの混じっていない、真っ直ぐなお礼だった。
正直、俺は何も出来ていないけれど、昨日よりも明るくなったジンの顔を見れて良かったと思う。
なんか、この話し合いで、三人の気持ちが一つになった気がする。
ジンの魔物化の解決策は、ちゃんと見つかった訳じゃない。だけどそれ以上に、皆で同じ方向を向いて一緒に本気になれたことに、胸が温かくなった。
──マリアには呑気だって言われたけど、それでも俺はやっぱり思うよ。
みんなと一緒にいられて、よかったって。




