第60話 友の背中の裏側の
ホテルの部屋に帰ってくると、室内は紅茶の甘い香りで満ちていた。部屋の先では、マリアがカップを手に足を組んでいる。
最近ずっと嗅いでいるからか、いつも通りの香りだと思うぐらい慣れてしまった。
カナメとジンはそれぞれのベッドの上に座り、マリアの言葉を待つ。マリアもそれをわかっているのか、カップを置き二人を見渡した。
「腹づもりは決まってるようだな。話が早い」
ジンは一瞬だけ喉を鳴らす。しかし、そのまま間髪入れずに口を開いた。
「ああ。今日は大丈夫だ」
ジンはしっかりとマリアを見る。その目にもう迷いは無いようだ。
マリアはそんなジンを見定めるように眺め、やがて満足そうに「なるほどな」と呟いた。
「お前に聞きたいことは山ほどある。……二人とも、疑問を持ったら直ぐに止めて発言しろ。どこまで出来るかは定かじゃないが、理想的な終着点は、魔物化の解明。そこまではいけなくても、せめて制御するための条件の解明には近付きたい」
カナメとジンは息を呑んだ。
マリアの視線が鋭い。でも、それは昨夜のような冷たさもなければ、怖くもない。ただ、彼女の心強さだけが伝わってきた。
「あぁ、何でも聞いてくれ。と言っても、俺にも分からないことだらけだけど、昨日グルザと、できる限りの情報交換してきた」
マリアはその言葉を聞くと、ジンを向いたまま姿勢を正して頷いた。
「……いいだろう。お前たちの想像以上の成果を出してやる」
心做しか、マリアの声にはいつもよりも、力が籠っているような気がした。
ジンは昨夜のうちに、そんな事をしてくれていたのか。だったら、一層頑張らないといけないな。
二人の本気を受けて、カナメの肩にもギュッと力が入る。
全員の気持ちが引き締まり、マリアが最初の議題を提供した。
「最初に、昨日のお前の身に何が起こっていたのか、どこまで意識がハッキリしていたのかを確認したい。まずは体感だけでいい。推測は後からする」
その議題に、ジンは早速「待ってくれ」と声を上げる。その表情には、少し自信なさげな色が見えた。
「体感でいいのか? 結構あやふやなところが多いんだ。正直、まとまりもないと思う」
「構わない。相手にしているのは未知の事象だ。推測が混じる前の、純粋な情報を聞いておきたい」
ジンは静かに頷く。そして一度だけ呼吸を整え、ゆっくりと、けれど確かにしっかりと、言葉を紡ぎ始めた。
「足が痛くなって息が出来なくなった後、しばらく意識が朦朧としていたんだ。何が起きてるのか、何されてるのかは全然分からなかったんだけど、グルザの声だけがはっきり聞こえてたんだ」
「会話はしたのか?」
マリアがすかさず質問し、ジンは頷いた。
「ああ。内容もしっかり覚えてる。“生きるのを諦めたわけじゃないよな”、“このままお前が動かなければ全員が死ぬ”、“迷ってる暇はない、全員で生還するぞ”……こんな励ましみたいな、魔物っぽくない声を掛けられたんだ」
「それで……お前はなんて答えたんだ?」
「最初の二つには、“そんなこと思ってない”、“嫌に決まってる”って答えたんだ。でも、最後の“全員で生還するぞ”って言葉には答えてない。その代わり、それを聞いた瞬間力が込み上げてきて、気がついた時にはもう立ち上がってた」
カナメは、ジンの立ち上がった瞬間を思い返す。あの時は確かマリアに指示されて、ジンの呼吸を見ていたはずだ。
「ごめんジン、ちょっといいかな」
カナメはおずおずと手を挙げる。
「俺、ジンが倒れてる時、肩に手を当ててたんだ。それで、ジンが起きた時にがっしり手を掴まれたんだけど……それって覚えてる?」
「えっ、そうなのか?」
ジンは目を丸くしてカナメを見た。
そして少し考えるかのように目を伏せ、静かに首を振った。
「……いや、覚えてない……。俺が気がついたのは、目の前でカナメが盾を張ってて、直後に殴りに来たゴウを足で防いだ……あの辺りからだ」
カナメも必死に記憶を手繰り寄せる。
起き上がったジンは、様子がおかしいまま敵を攻撃して、気がついたら足が魔物になっていた。
それで、何かまずいと思って、咄嗟にジンにしがみついた。でも、そのすぐ後に砲撃を撃たれて、盾で防いだ。そんな流れだったと思う。
「……盾を消した後、後ろからジンに名前を呼ばれて、そのまま突き飛ばされたっけ。それまでジンは、一言も喋ってなかった」
「あー……名前なんて呼んでたっけ……。突き飛ばしたのは覚えてる」
マリアが、頷きながら呟いた。
「なるほどな。それまでの、声を発さずに動いていた時間は意識がなかった、と思うべきか……」
呟いたと思ったらすぐジンに向き直り、マリアは口元に手を当てながら尋ねた。
「その間は本当に何も記憶がなかったのか? 魔物の声や、体の感覚も含めて」
「思い出そうとしてみたけど、グルザの声からカナメを突き飛ばすまで、ぶっつり記憶がない……」
「わかった。では、記憶がある地点だけの話に絞ろう」
そのまま一口だけ紅茶を口に運び、マリアはすぐに言葉を続ける。
「意識が戻った時点では、既にお前の足は魔物になっていたはずだ。確か、自分でも足に驚いていたと記憶している。その時の感覚は覚えているか?」
「……びっくりはしたけど、感覚の違和感とかは全然なかった。普段通り、自分の足で立ってるみたいな。実際、自分の意思で動かせてたしな」
言われてみれば、ジンは自分で「なんだこの足……」みたいなことを言っていた気がする。でも、その時は特に深追いしないで、すぐ戦いに入ったんだった。
「なんか、驚いてた割には、結構すんなり戦い始めてたよね……」
ふと気になってしまい、カナメの口から自然と言葉がこぼれていた。それにマリアが反応する。
「続けろ」
「えっ? いや……。もし俺なら、起きて自分の体変になってたら、あんなすぐに受け入れられないなって、そう思っただけ。このまますぐに戦えるって自信とか、全然持てないかもなって……」
ジンは腕を組んで黙り込む。思考を巡らせるように瞳が左右に動き、やがて口を開いた。
「何の、疑問も持たなかった……。あんな足になった以上、敵を倒すのは当然だって思ったし、足も思い通りに動くから普通に勝てるだろうとしか……」
……ん?
ジンの答えに、ひっかかった。
カナメは再び、手を挙げて話を止める。
「待って。“倒す”とか、“勝てる”だとか思ってたの?」
「え? ま、まぁ……。それがなんだ?」
「だって、倒すとか勝つとか……なんか、“殺す”みたいな感じしない……? それに俺、ジンからそんな強い言葉、聞いたことないし……」
ジンは言葉を失ったかのように、息を呑み固まった。カナメは慌ててジンに向けて手を振る。
「ごめん! も、もしかしたら的外れなこと言ってるかも……!」
「いや待て」
マリアがカナメの言葉を遮る。
少し、マリアの周りの空気だけ、重力を持ったような気がした。
「……あの時、実際にどう戦ったんだ?」
「えっ?」
「お前は、本当に足止めするつもりで戦ったのか? ……それとも、奴らに“勝とう”と思ったのか?」
ジンの顔が引き攣り、微かに指先が震えていた。
「なんだよ……。俺、ちゃんとあいつらを生かしたまま、戻ってきただろ……」
「お前の足に気を取られて、見落としていたことがある……」
ジンの肩が、びくりと跳ねた。その表情を、マリアは慎重に覗き込む。
「……ユウジの気配が動かなかったのはわかる。こいつの足を潰すことが目的だったからな。だが戦いの後、奴らの気配は二つとも、生きているのに全く動いていなかった。遠距離で追撃できたはずのゴウですら…」
布が擦れる音がした。
ジンが後ずさっていた。まるで「聞かないでくれ」と祈っているかのように、怯えた目でマリアを見ている。
「一人になった後、何をしていたんだ?」
「…………っ」
ジンはバツが悪そうに唇を噛んだ。
彼の唾が喉を通る音が、やけに大きく聞こえる。しかし、マリアは止まらない。
「……白状をすると、私はこの時点でのお前に対して、“ある仮説”を立てている。誤魔化さずに答えて欲しい」
「仮説……って……?」
マリアの顔が、ジンに近づく。
その横顔に目を向けた時───初めて彼女の頬に、冷や汗が伝っていたのを見た。
「……聞く前に答えてくれ。何をしていたのか、どこまで記憶があるのか……どこまでがお前の意思なのか……」
「…………」
ジンは、観念したように目を伏せる。
そして震える喉から絞り出すように、細い声で答えた。
「……記憶は全部あるし、意識もあった。でも……」
後ろめたそうな、暗い目だった。
「……話したら、ドン引くと思う……」
「構わない。その心づもりで聞こう」
しかし、ジンはふるふると首を振る。
「……話すけど、ちょっとだけ時間くれ。大丈夫、話はするから……心の準備だけ……」
ジンの震えは全身に広がっていた。
マリアは一度頷くとジンから離れ、ケトルの電源を入れた。
「小休止にしよう。話す気になり次第再開だ」
その声に、ジンは全身の力が抜けたように身体を丸めた。心配になり、カナメは近くに寄る。
「大丈夫……?」
「……腹、括ったつもりだったんだけどな……」
弱々しく答えるその顔色は青白い。
ジンは額を抑え、顔全体を覆い隠した。
「話してくれさえすれば構わない。風にでも当たってくるといい。その間に私も考えをまとめておこう」
マリアの声には、もう先程の重さはない。
ジンは返事の代わりに立ち上がると、一瞬だけマリアを見やり、そのままよろよろと部屋を後にした。
「本当に大丈夫かな……。ちょっと心配だよ……」
「あまりいい話ではないだろうな。お前も覚悟しておくといい」
カナメは思わず息を止めた。
──……そうだよね。躊躇うってことは、聞かせたくない話ってこと、だもんね……。
そう思うと、胸の内がソワソワし出した。何かをしないとざわつきが止まらなくなりそうで、堪らず立ち上がる。
「俺、ちょっとお菓子買ってくる」
それだけ告げて、部屋を飛び出した。
俺も、心の準備が足りてなかったかもしれない。でも、ジンに「俺も頑張る」って言ったんだ、ちゃんと覚悟決めないと。
気晴らしに、全員分のお菓子でも選んでこようかな。




