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魔蝕のレゾンデートル  作者: 古里古
第二章
55/92

第55話 靄の奥底に無意識は眠る



 カナメは、マリアが買ってきてくれた水で喉を潤し、深く息をついた。体の震えもようやく止まり、マリアに向き直る。


「……ごめん、待たせて……。正直、何が何だか、俺もよくわかってなくて……」

 

「話の中で理解していけばいい」


 カナメは俯く。善処はしたい。それでも、心のどこかが自信を持てない。思考が固まらない。


「改めて言うが、この話に逃げ腰は許されない。無論、理解が曖昧なままでもいけないし、現実を直視してもらう必要がある。分からなくなったらすぐに止めて確認しろ。いいな」


「うん……」


 手に力を込めてしまい、ペットボトルが少し凹んだ。


「ジンの魔物化に、話を戻すぞ」


 地面に向いていた視線を上げる。

 マリアをしっかり見ないといけないと思った。


「先程も言った通り、足から魔物の気配が剥き出しになっていた。私がこれを危険視した理由は、魔物の嫌な気配だけじゃない。あいつの言動には明らかにおかしいものが幾つかあったからだ」


「ジンの言動……?」


 あの時のジンを思い出す。

 そういえば、違和感は覚えたと思う。

 けれどモヤッとしていて、すぐには思い出せない。

 

「その中でも一番大きかったのは、あいつが自分の足の異変を忘れていたことだ」


「あ、それだ!!」


 カナメは思わず声を上げた。


「そうだ、戦いから戻ってきたジンは魔物の足のままだったよね……。それで、足は大丈夫なのか訊いたら、一瞬びっくりして自分の足を見たんだ……」


 何故だろう。

 ジンを疑いたくないと思っていた時は、あれ? と思ってもそのまま受け流していたのに、ジンの様子を疑い始めた瞬間、芋づる式に色んな違和感が、脳裏に飛び込んできた。


「手も冷たかったし、俺たち二人を軽々しく持ってたし……あの足のまま、街の中に入ろうともしてた、よね……」


「なんだ、思ったより見てるじゃないか」


 マリアはそのまま、淡々と続ける。


「かつて、“自分が人間じゃないような気がして苦しい”と言っていたにも関わらず、あの時のジンは、“人間でない自分”をすんなり受け入れているかのように見えた」


 ……言われてみれば、そうかもしれない。


「……あの時のジンは、思考が魔物に寄っていたと考えている」


「思考が、魔物に……」


 あの時のジンに対して「彼は本当にジンなのか」と疑問を持ったのは、紛れもない事実だった。

 信じたくない気持ちと、信じざるを得ない気持ちが交錯する。 

 

「これについては、直接聞いてみないことには推測の域を出ない。だが、あいつは戦う前に、“本格的に戦ったら、止まれないような気がする”とも言っていた。自分の意思で、身体が制御できない恐れがあったということだ」


 そこまで話して、マリアは少し嫌そうな顔でため息をついた。


「……今から言うことは、鵜呑みにはするな。こういう考え方もあるぐらいの気持ちで聞け」


 なんだろう?

 マリアにしては、珍しい物言いだが……。


「私の魔物の言葉を借りるのであれば、あれは“人間と魔物が手を取りあった姿”だと言う。もちろん、あいつが魔物を受け入れたとは思っていない。だが、実際にあいつの思考が魔物に寄ったことと、剥き出しの魔物の気配を考えると、一つの仮説ができる」


「……というと……?」


「人間と魔物の一体化だ」


 ゴクリ、と唾が喉元を下っていった。

 鵜呑みにするなといいつつ、その言葉に迷いは見られなかった。


 マリアは少し考え、また口を開いた。


「気配をイメージできないとわかりにくいと思うが、本来あるはずの気配の境界──“人間と魔物の気配を隔てる仕切り”のようなものがなかった。完全に魔物と混ざりあってる部分があると、私は認識した」


 マリアは持論を言い切ると、やるせなさそうに首を振る。


「だが、あくまでも仮説だ。今のところは、そうかもしれないぐらいに留めておけばいい」


「わ、わかった……」


 なんとなく、言わんとしていることは理解した。ただ、今ひとつピンと来てないこともある。


「でも、それがどうして、そこまで危険だってなるの?」


「……あぁ、そうか。お前の魔物は、戦いに消極的なんだったな」


 マリアは思い出したかのようにカナメを見て答える。


「いいか、大多数の魔物は殺し合いに積極的なんだ。人間を煽り、脅し、どんな手でも使う」


 それは丁度、エルナスとジンから聞いた話だ。

 三人が同じ話をしているなら、それは事実なのだろう。


「あいつの魔物は“隙あらばやたら殺しを煽ってくる”らしいな。つまり、万が一思考と身体が魔物に偏ってしまったら、ジンは簡単に殺しに手を出すということだ」


「あ……」


 ……そういう事か……。

 だからマリアは、迷わず「ジンが危険になるかもしれない」と即答したのか。

 

 ──なのに俺は、そんな状況すらも見落としていたなんて。


「……俺、全然そこまで考えてなくて……ごめん……」


「自分でも気づいたと思うが、お前はそういった違和感を全てスルーしてきたんだ」


 返す言葉もない。

 自分よりもマリアの方が、ちゃんとジンを見ていた。

 

「……だが、お前が見逃したのは、違和感だけではないぞ」


「え……っ」


 終わったと思った心への追撃が、再び鎌首をもたげた。


 まだ気づいていないことがあるのかと、自分が憎くなりそうだ。

 

「それを自覚した上で、次の話を聞け。二つ目の話題、覚えているか?」


 ……二つ目の、話題……。

 

 これまでの情報量が多すぎて、すぐに記憶から引き出せない。


「お前の嫌がっていた“ユウジの足を潰す”という行為を、ジンが一人で実行したことだ」


「……足を……」


 それは、ジンが廃ビルで一人で戦って、外に出てきた時の事……だろうか。


「先に確認するが、お前たちの最優先事項は“誰も殺さない”だったな?」


「え……っ、う、うん……」


「そして今日、“相手は命を狙ってくるのに、自分は殺さない”ということが如何に難しいか、理解したはずだ」


 確かに、絶体絶命だと思った場面もあった。


「ユウジたちは、超スピードで逃げても追ってくる、所構わず砲撃するという、獲物をみすみす見逃さないような能力者だったことも理解しているな?」


 カナメは頷く。


「まず前提として、敵を殺さずにその場を収める手段は二つ。逃げるか、逃がすかだ。今回は逃がす選択肢はない。しかも、逃げるにしても相手の方が早い以上、移動手段を潰さなければならなかった。だが、お前はそれを拒否しようとした」


 ここで、マリアの目が急に鋭利になった。

 先程までの諭すような雰囲気ではない。

 本能で、背筋が震えた。


「廃ビルの外でジンと合流した時、お前はジンの足の異変には気づいたものの、それ以外のことには一切触れていなかった。……あいつは、ちゃんと相手の足を潰してきたと言うのにな」


 ……ジンが、足を、潰してきた……。


「待ってよ……そ、そんな根拠どこにも……だって、ジンはそんな様子……全く……」


 カナメの言葉を、マリアは視線だけで遮る。


「廃ビルからジンが出てきた時、あいつは歩いていた。相手が動けないと分かっていなければ、あんなに悠長に出てくるはずがないと思わないか?」


 逃げ場のない理屈に、息が詰まりそうだった。

 苦しくて、呼吸を忘れた。

 

「ビルの中に、二人の気配は残ったままだった。つまり死んではいない。それでも歩いてきた。これが根拠だ」


 圧に耐えきれず、指先が震え出した。

 自分が目を背けたすぐ隣で、ジンが重い役割を買って出ていた事実に、気持ちが追いつかなくなる。


「ジンが手を汚したことがショックか? だが今は、そんなことは関係ない」


 マリアは、カナメを責めるように続けた。


「本当に問題なのは、お前がそれすらも見て見ぬフリをしているということだ。何が問題だかわかるか?」


 カナメは首をフルフルと振る。

 

 そんな急に、責めないで欲しい……。

 ちゃんと、ちゃんと話は聞くから……。

 

 そう言いたかったが、声は喉から出てくれない。首の動きだけが、精一杯の意思表示だった。


「ジンの行為を認識しないことで、お前自身はまだ“綺麗事だけでどうにかなる”と思っている。現に、お前はここまで何一つ触れず、あまつさえ呑気に幸せそうな顔までしているんだ」


「待って……俺……そんな……」


 畳み掛けるようなマリアの言葉を、つい止めてしまう。拒否しようとしたわけじゃない。でも、飲み込みきれない。


「……俺、そんなつもりじゃ……ただ、マリアみたいに、そこまで気づいてなかっただけで……」


「だから目を逸らしていると言ったんだ」


 止めても、彼女の言葉は鋭さを変えない。

 泣きそうだった。

 心も頭も、色んな気持ちが溢れて零れて、自分が今何を考えているのかもわからなかった。

 

 そのまま責められ続けるのかと思ったが、マリアは顔を覗き込むと小さくため息をつき、視線の矛が収められた。

 

 空気がほんの少し軽さを取り戻した。


「いいか。私は何も、お前が悪だから責めているわけじゃない」


 今度は、攻撃ではなく、諭すような声で話し始める。

 

「今日の事象をただ見落としているだけなら、明日ジンに話をする前に、少しお前と話せばいいだけだと思っていた」

 

 真剣で、力強い目が向けられている。

 もう、怖さはなかった。

 震えながら、マリアと目を合わす。


「だがお前は、心配する素振りを見せるどころか、むしろ楽しそうにしていたのを見て、気が変わった。このまま何も気づかないようであれば、三人諸共破滅すると思ったから、今すぐに話さないといけないと判断したんだ」


「破滅……」


「お前に悪気がないことはわかっている。だがそれは、目を背けていい免罪符にはならない」


 心臓が、握りしめられたように痛む。


「ジンに、見向きもしなかったことを謝罪したんだ、お前にはしっかりと向き合う責任がある。“気づかなかった”では済まない。今私が伝えたんだから、拒絶せずに受け入れろ」 


 マリアは、カナメの肩に手を置いた。

 冷たそうに見えていたその手は、驚くほどに温かかった。 


「私は、お前がジンの最後の防波堤だと思っている」


 マリアの声は、いつも通りあまり抑揚がない。

 だけど、いつもより優しくて、柔らかく思えた。


「お前は自分の役割を理解していない。あいつはお前に理解されることで何とか人間性を保っている。そして今日の戦いでも、ジンの意識を引き戻したのはお前だ。わかるだろう?」

 

 ──俺の、役割……。


「ジンを失いたくないなら、お前があいつのすべてに気づいてやらなければいけない」


「す……すべて……」


「そうだ。荷が重くてもやるしかないんだ。お前が本当に、親友であるならばな」

 

 頭では、ジンのことを理解したつもりになっていた。でも、ジンの声を、自分事として受け止めていなかったんだ。そう思った。

 

 ……これをすべてひっくるめて、マリアは“目を逸らしている”、と言っていたんだろうな……。


 人から言われなきゃわからなかったなんて、親友として失格だな。


「理解してくれたと信じて、三つ目の話をしようと思う。だが、ここまで話したんだ。もう拒絶するとは思っていない」


 マリアは肩から手を離し、再び話を戻す。

 最初に提示された三つ目の話題を振り返る。

 先程と違って、不思議とすんなり思い出せた。


「俺の抵抗が……みんなの命を危機に晒したこと……って言ってた」


 マリアは頷き、言葉を続ける。


「そうだ。“殺したくなければ傷つけたくも無い”……そんな綺麗事の理想を掲げるだけでは、一方的に殺されて終わる。理想自体は悪いことではないが、天秤にかけているのは命だ。判断が遅れれば遅れるだけ、死ぬ確率だけが上がっていく。それが今日だった」


「……うん」


 もう、マリアの声に冷たさは残っていない。

 さっきまで、あんなに苦しかった心がいつの間にか痛みを忘れて、彼女の言葉がストンと胸に落ちていくようになった。


「それ以外に方法がないなら、やるしかないんだ。気持ちは立派だが、代替案がなければ認められない。ジンはそれを理解していた。お前も、ジンの決意を汲まなければならない」


 でも、ジンがそこまで戦ったのは、魔物のせいもあったんじゃ……。

 

 そう思った瞬間、一つの記憶が頭に飛び込んできた。

 

 一人で戦う直前、自分とマリアに「できるだけ離れてくれ」とお願いしてきたジン。あの横顔はきっと、まだジンの理性のままだったと思う。 


 ──そうか……。ジンは、自分の意思で、全員の命を天秤にかけて、自分の手を汚す決心をしたんだ……。


「……もう、何が言いたいのか、わかったよ。俺だけ、嫌だ嫌だで何もしないのは、ズルいよね……」


 カナメは深呼吸をして、天を仰ぐ。

 真っ暗としか感じなかった空。

 けれど今更、満天の星が輝いていたことに気づいた。

 

「そうか……俺だけが、戦う覚悟が出来てなかったんだ……」


 マリアはもう責めてこない。

 相変わらず顔には表情がない。だけど、一瞬だけ見せてくれた彼女の、優しさと温かさは、多分一生忘れないと思う。


「理解したのならばそれ以上は言わない。だいぶ時間を取ってしまった。早く帰るぞ」


「え、あ……っ、ちょっ、ちょっと待ってよ!」


 急に歩き出すマリアに置いていかれそうになり慌てて追いかける。本当に行動が急な人だと思う。


 だけど、誰よりも自分たちのことを見てくれていたんだという意外さと、それと同じぐらいの安心感が胸を包んだ。

 

 初めて会った時から、未だに怖さは変わらないけど、本質は凄く優しくて、頼もしい人なんだと思う。


 でも一つだけ、不思議に思うことがあった。


「どうして、出会って間もない俺たちに、ここまでしてくれるの?」


 いくら想像しても、腑に落ちる理由が見つからなかった。

 

 ただでさえ予想できなかった彼女の答えは、さらに意識の斜め上から降ってきた。


「……ちょっとした抵抗だ。“他の能力者なんか一人も信用するに値しない”……そう嘲笑ってくる、私の魔物へのな」


「え……っ」


 そう呟く彼女の後ろ姿は、何故か少しだけ、いつもと違ったように見えた。

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