第52話 無意識の幸福
嗅ぎ覚えのある、甘い香りで目が覚めた。
これは……マリアの紅茶か。
カナメはゆっくりと身体を起こすと、目を擦りながら、そこにいるであろうマリアに声をかけた。
「おかえりマリア……」
マリアの声は返ってない。けれど、返事代わりのカップの音で、マリアがそこにいると確信した。
精一杯体を伸ばして目を開く。
ジンのベッドに目をやると、相変わらずガウンから素足を投げ出して眠っていた。
……あれ? 素足?
「俺、確か……足に氷巻いてたよね……?」
記憶を辿りながらそう呟くと、横からマリアが答えた。
「ずり落ちてたぞ。寝返りを打てばズレるのは当たり前だろう。もう冷やす必要はないから片付けた」
「あ、ごめん……」
言われてみればそれはそうか。寝返りのことなんて全く考えてなかった。
マリアをちらりと見る。もうこちらに話しかけるつもりは無いのか、足を組みかえて再び紅茶を飲んでいた。
話しかけても無駄だろうなあ。
そんなことを考えながら、紅茶がマリアの喉を通る音だけを聞く。何か話題を考えようと頭を巡らせていると、急にカナメの腹の虫が静寂を破った。
「……わ、めっちゃ大きい音鳴っちゃった……」
気づけばもう夕方らしい。
夕飯には少し早いが、疲労のせいか、胃の中はすっかり空っぽだ。
「お腹空いたなあ。マリアは空いてない?」
「……ホテルを出ればそこら中に店はある。適当に行ってこい」
「まあ、それはそうなんだけど……」
冷たくあしらわれてしまった。
なんかこう、大変な思いした後に一人でご飯食べるのは、ちょっと寂しいかもしれない。
「せっかくなら三人で一緒にご飯食べようよ、お疲れ様会的な感じで」
マリアは少し黙ってカップを置いた。
こちらを見る瞳の奥は、心做しか値踏みしているように思える。
……今日のマリア、機嫌悪くない?
気のせいかな?
「ごめん、変なこと言った……?」
「……いいや。だが、三人で行くにも、そいつがいつ起きるか分からんぞ」
マリアは顎でジンを指す。
ジンは依然としてうつ伏せのまま、泥のように眠っている。
「相当疲れてたみたいだし、起こしたら可哀想かな……? マリアはどう思う?」
「私に聞くな」
一蹴されてしまった。
まぁでも、自然と起きるのを待ってたら、お店が閉まっちゃう可能性もあるよね……。
少しだけジンの肩を叩いてみる。
これで起きなければ、もう少しだけ寝かせておこう。
だが、カナメの予想を裏切り、ジンは急にびくりと飛び起きた。何が起きたのか分からず、カナメは手を引っ込めた。
「!!?」
その動きは寝起きとは思えないほど早く、一瞬前までうつ伏せだった姿勢はいつの間にか、膝立ちで上体を起こしている。
「何だカナメか……びっくりした……」
「え……っ、ご、ごめん……驚かすつもりはなくて……」
こんなに早く起き上がると思っていなくて、一瞬心臓が飛び跳ねてしまった。
びっくりはしたけれど、元はと言えばこっちが驚かせてしまったわけだし、少し申し訳なくなった。
「……お? 足の痛み引いてるかも?」
「え、ほんと!? 良かった!」
ベッドの上に座り直したジンは、自分の脹ら脛を軽く揉み始める。歩けなくなった時はどうなるかと心配したが、本当に痛くなさそうだ。
「……なぁ、起きて早々悪いんだけど、俺今かなり肉食べたいわ。飯食いに行っていいか?」
そう話しながら、ジンはお腹をさする。
ジンもお腹空いてたんだ、良かった。
「いいよ! ご飯食べに行こう!」
つい嬉しくなってしまって立ち上がる。
マリアの反応を見てみる。少なくとも、冷たい目をしていたり、嫌そうな顔はしていない。
「……マリアも来てくれる?」
「構わない。まとまれるならまとまった方がいいしな」
意外にも、マリアはあっさりと首を縦に振った。そのまま残りの紅茶を飲み干し、カップをすすぎに行く。
それを見たジンは慌ててガウンを脱ぐと、いそいそと服を着始めた。
──なんか、平和でいいな。
カナメは、そう思わずにはいられなかった。
この旅が始まってから、今が一番気が休まってるかもしれない。
もちろん戦いは嫌だし、それから逃げる為の旅ではあるけれど、それでも居心地いいなとも思ってしまう自分もいる。
……ちょっと、変なこと言ってるかもしれないけどね。




