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魔蝕のレゾンデートル  作者: 古里古
第二章
50/95

第50話 思考。悪意。信頼。


 紅茶ぐらいは飲んでくればよかったか、とマリアは後悔した。

 よくあるチェーンの喫茶店で、マリアは今、小さいケーキと珈琲を口にしている。


 紅茶はいつもの味でなければ飲む気はしない。だから外食する時は、あえて紅茶以外の飲み物を飲んでいる。

 

 一人静かに考え事をしたいのに、あの男はどうも、静かな時間を嫌うらしい。

 つい、延々と話しかけられる前に、早々と部屋を出てきてしまった。

 

 いつもは、薔薇の香りで思考を落ち着かせるのが習慣だから、考え事をするにはいまいちしっくり来ない。その代わりに、糖分補給の為のケーキを付けた。


 マリアはジンの様子を思い返していた。

 今でこそ普段通りだが、足が魔物化した時は、息苦しいほど嫌な気配をまとっていた。

 

 一方カナメは、気配を感じとる力が弱いように思える。

 ジンの変化を見た後でもあの能天気さ、一体どこまで気づいているのだろうか。

  

 カナメと言えば、ユウジとゴウと戦っている時のことについても引っかかっている。

 相手は間違いなく強敵だった。にも関わらず、カナメは「殺す」ことについてならまだしも、「自分が生き延びるために足を潰す」ことについても抵抗を示していた。

 恐らく、危険そのものの実感が出来ないのだろう。


 それより、今考えるべきなのはジンのことだ。

 嫌な気配も当然気になるが、問題は、戦いを終えた後だ。

 

 明らかに、自分の足の異常を忘れていたかのような反応。「戻り方が分からないなんて言わないだろうな?」と聞いた時に、「後から考えるさ」と即答したこと。街を探す時の「人間の密集してる音を頼りにする」という言い回し。極めつけは、魔物化した足のまま街に入ろうとしたこと。


 それらがどうも、ジンの性格と結びつかない。

 過去にジンは、「魔物に憑依されてから、自分が人間じゃないような気がして、苦しい」と吐き出していたはずだ。それが本心なのも、よく分かっている。

 

 だが、戦い直後のジンはまるで「人間でないことを受け入れている」かのような言動ばかりだった。


 あまりしたくない推測ではあるが、多少なりとも魔物に思考を侵食されていた、と考えるべきだろうか。少なくとも、あの時は。


 そこまで考えて、一旦ケーキを一口頬張る。

 結論が出ないことだらけだ。考えることが多すぎる。さすがに一旦休憩を挟んだほうがいい。


 甘味で脳の疲労を和らげていると、不意に胸の奥底から、最も聞きたくない女の声が響いてきた。


 この世の何よりもストレスの溜まる、悩みの種だ。


《うふふ……我慢できなくて出てきちゃった。貴女と話したい事が、いぃっぱいあるの》


 胸の内側を撫であげる魔物の声が、思考の集中を許さない。無視してやりたいのは山々だが、どう抵抗しようとも好き勝手喋ってくるのが、何とも腹立たしい。


《私ね、ついつい興奮しちゃったの。あの魔物の足のこと……人間と魔物が心を通わせると、あぁんなことまでできちゃうなんて》


 ──人間と魔物が心を通わせる……?

 あのジンが……?


《ほぉら、やっぱり食い付いてきた。ねぇ……貴女も、気になるでしょう? 私も、貴女とアレ、やりたいの……》


 この女は癪に障ることしか言わない。何がやっぱり、だ。

 無視して珈琲を喉に流す。あまりの気分の悪さに味がしない。


《……あれはきっとね、人間と魔物が手を取りあった、愛の結晶に違いないわ。人間の表面がめくれ上がって出てきたような魔物の体、人間の口から出てくる、まるで魔物のような言葉……》

 

 リーリスは、息のような声で、耳の奥を舐めるように囁く。


《あんなの、人間が魔物に体を貸してあげでもしなくちゃできないわ。ふふ、残念ね? 貴女がようやく信じた人間は……魔物の声に抗うどころか、魔物に心を委ねちゃうような人間だったみたいよ》


 マリアはカップから手を離し、静かに拳を握った。

 目に見えない糸で心と悪意をひっそり縫い付けてくるかのような、陰湿で不快な言葉の数々。

 あわや我を忘れて、店のカップを握りつぶすかと思った。


 マリアは一つ息を吐き、ケーキを口に運ぶ。最後の一口だ。細かく、そしてゆっくりと口を動かし、必要以上に長く咀嚼する。


《しかも……》


 まだ何か言うつもりか。


《もう一人の坊やったら……大事な大事なお友達の、こぉんな大きな変化にすら目を瞑っちゃって……なんて盲目なのかしらね?》


 姿は見えずとも、その口がほくそ笑んでいることぐらい容易にわかる。揺さぶる材料がいくらでもあって、楽しくて楽しくて仕方がないのだろう。


《……わかってて見ないふりをすることが、いっちばん最低なんだって、貴女もよぉく知ってるじゃない。……結局、貴女が心から信じていい人間なんて、この世のどこにもいないの……特に、能力者なんてね》


 マリアは食器を持ち、立ち上がる。

 手に持ったものを返却口に滑らすと、そのまま外に向かって歩き出した。


 リーリスは言うだけ言って満足したのか、そのまま声は聞こえなくなった。対話するつもりはハナからないのは分かっている。相手にする価値もない。


 別に、揺さぶられてはいない。

 どうせからかって遊んでいるだけだ。あの女の言うことなど、半分も本気にするものじゃない。


 ……だが。

「人間と魔物が心を通わせる」、その言葉だけが少しひっかかった。鵜呑みにしている訳では無いが、確かにジンがまるで魔物のような言動をしていたことは事実だ。曖昧なままにはしておけない。

 

 倒れている間に、魔物と何があったのか。彼に聞くべきはそこだろう。


 それにしても最悪な気分だ。

 部屋に戻ったら、一旦紅茶を飲もう。


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