第46話 獣の目覚め
カナメは、ジンの両肩に手を当てて、彼の口元から空気が出入りするのを確かめながら、時折マリアとユウジたちの戦いを見ていた。
彼女は今、なんとかユウジとゴウを遠ざけようと応戦してくれている。
お陰でジンの呼吸は落ち着いてきたものの、足は未だに、電気を流されているように痙攣し、目もまだ虚ろだ。
これ以上どうしたらいいのかわからず、カナメはその場から動けずにいた。
右腕は、相も変わらずあの時の記憶を主張してくる。先程ゴウの砲撃を防いだ時も例に漏れず、塊を潰す感覚が腕の内側から込み上げていた。
でも、今はそんなの関係ない。限界まで走ってくれたジンの方が、一人で強敵二人を食い止めてくれてるマリアの方が、よっぽど辛い思いをしている。
いつもはさすって誤魔化す忌々しい感覚を、カナメは今、気持ちだけで押し殺していた。
目の前に命を張っている人間が二人もいるのに、役立たずなんかになりたくなかった。
《……ん?》
不意に、エルナスの声が脳裏に飛び込んだ。
《気配が何か妙な……! カナメ、こいつから離れろ!》
「え……っ? ジンから……?」
エルナスの声に気を取られた途端、声を上げる間もなく、両手首をがっしり掴まれた。ジンの手だ。
ジンはそのまま、カナメの手を自分の体から離すと、どこを見る訳でもなく、ゆっくりとただ立ち上がった。
「ジ、ジン……?」
足に目を向けると、つい数秒前までの痙攣が嘘のように治まっている。もう痛みは引いたのか?
いや、そんなことよりも、何か様子が変だ。
ジンは言葉を発さないまま、ゆらりゆらりとマリアの元へ歩き出した。
「……!? もう起き上がって……いや待て、なんだその気配は…?」
マリアの声にすら、一瞬動揺が走った。
何かは分からない。でも間違いなく、今のジンは何かがおかしい。
「おいユウジ! アイツもう起きちまったぜ! 速いとこぶっ倒さねえと!!」
ゴウが叫び、砲口がジンに向く。
だが、瞬き一つ挟んで、その場からジンの姿が消えた。
「ンがあああああ!!!」
探す間もなかった。ゴウの慟哭が鼓膜に届く。その声に弾かれたように、宙を見上げた。
空中で、ジンがゴウの砲身を蹴り、ゴウを掴んでいたユウジごと、地面に向かって吹き飛ばしていた。
ユウジは墜落直前で身体を浮かせ、二人はすんでの所で地面への直撃を免れる。
対するジンは、軽い音を一つだけ立てて、地面に足を着いた。
「……えっ、ジン?」「……なんだその足は……?」
カナメとマリアは同時に声を上げた。
──ジンの両足が、黒と赤の毛皮に覆われた、獣の足になっていた。
太腿から始まる異形の足は、関節が逆方向に折れ曲がり、肥大化した足先からは鉤爪のような大きな爪が伸びている。
明らかに、人間のものではなかった。
《……ヤツから、魔物そのものの気配を感じる》
エルナスの声が、信じられないものを見たと言うように、揺らいでいるのがわかった。
《……今のアイツの足は…魔物本人の足だ》
ジンが、魔物に……?
「……ど、どういうこと……? ゴウとユウジの、あの腕とか足とは違うの……?」
《あの二人はただ、魔物の力を引き出して、人間の手足を変形させているだけだ。だが、あの獣の足は全く別物だ》
な、何それ……?
「お、お、お前ぇ!! オレに一撃くらわせたぐらいで!! 良い気になってんじゃねえ!!」
「……! ゴウさん、待つんだ!」
ユウジの制止を聞かず、ゴウはジンに砲口を向ける。だが、それが火を噴くより先に、ゴウの体が背後の瓦礫に吹き飛んだ。
ゴウが元いた場所には、いつの間にかジンが立っていた。物凄い速さで、ジンがゴウを蹴り飛ばしていたのだ。
「な、なんなんだ……こいつ……」
ゴウの声が初めて震える。
ユウジは咄嗟にゴウの身体を持ち上げ、宙へ浮かび距離を取った。
それでもジンは何も喋らない。
ただただゆっくりと、首だけで二人の動きを追いかけていた。
目の前にいるのが本当にジンなのか不安になり、腹の奥底をざわつかせる。全身が嫌な予感に埋め尽くされ、足が勝手に走り出した。
「……ジン!」
《カナメ! ヤツには近づくなと……》
迷っていられなかった。
このままでは取り返しがつかなくなるような気がして、カナメはジンの体にしがみついた。
「おい、何してる! 今そいつは何をしでかすか……!」
「ジン、聞こえてるよね!? 殺さないって約束したよね! お願い、止まって!!」
マリアの声を振り切り、カナメは力一杯にジンの体を締め付けた。これ以上動かないように。
ジンは、抵抗しなかった。
宙のユウジとゴウを見据えたまま、ジンの時だけが止まっているようだった。
《また狙われてるぞ! さっきと同じ盾だ、もう一度出せるな?》
エルナスの声に、ゴウを見上げる。
砲口向けられているかどうなんて、見る余裕はなかった。ただ、ゴウのいる方向に盾を張るだけだ。
ジンの前に出て、両手を突き出す。
全身の熱が一瞬で指先に集まり、目の前に分厚い盾が生まれる。先程も顕現させた、身体を半分ほどしか隠せない盾だ。
結果は同じく、盾はその場に留まり、砲弾は崩れ去った。
右腕にいつもの感覚。
けれど、そんなのに構ってられない。
そんなことをしたら本当に殺されてしまう。
「カ、カナメ……?」
ふと背中に投げられたジンの声に、カナメは突き動かされたように振り返った
「……! ジン、気がついた!?」
「カナメ、どけ!」
ジンはすかさずカナメを押し退けると、獣の足で重い衝撃を受け止め、そのままユウジとゴウを蹴り飛ばした。
砲撃の後、粉塵に紛れて直接殴りに来ていたようだ。
ジンが気づいてくれなかったら、あの砲身で殴り殺されていたところだった。
「ありがとうジン、助かったよ……。もう大丈夫なの?」
「あ、あぁ……それより、何で俺立って……って……」
ジンは振り抜いた自分の足に視線を下ろすと、大きく目を見開いた。
「な、なんなんだよ……この足……」
「聞きたいのはこちらの方だ。お前、この短い時間に何があった?」
マリアはこちらに駆け寄りながら、怪訝そうに言葉をぶつけるが、当のジンも困惑している。
「それが、よくわからないんだ……。動けなくなった後、グルザに声かけられて……それで、俺……」
「いや、後で聞こう。まずは目の前の敵をどうにかするのが先決だったな」
マリアは、ジンの足に向いていた視線を、ユウジたちに戻す。ジンも「あ、ああ……そうだな……」と小さく呟きながら、同じ方向に目を向けた。
蹴り飛ばされた後、また様子を伺おうとしているのか、ユウジとゴウは先程よりも離れて宙に浮いている。何を言っているのかは聞き取れないが、様子を見るに、癇癪を起こしているゴウをユウジがなだめているらしい。
「……ねぇ、この後、どうするつもりなのか確認したいんだけど……」
何かが行われる前にと、カナメは恐る恐る口を開いた。
「そういえばその……足を潰す……って作戦、まだやるの……? 怖くて、俺……で、出来そうになくて……」
マリアに「腹をくくれ」と言われたが、それでも心が受け止めきれない。
そもそも、盾を使う決意を固めるのにもこんなに時間がかかってしまったんだ。こんな決断、自分に出来るわけがなかった。
しかしマリアは、カナメを無視するように呟く。
「……利用しようと思っていた天井は、軒並みヤツらに崩されてしまったな」
マリアは一瞬だけ目線をジンに向けた。
「お前に任せてもいいものか、正直決めあぐねているが……お前自身は戦えるのか?」
ジンは奥歯を軋ませ、自分の異形の足に視線を落とすと、諦めたように肩をすくめた。
「……こんな姿になっちまったんだ、もう戦えねえなんて言わねえよ……。ユウジの足裏、噴出口あるだろ。あれだけ狙って破壊できると思う」
絞り出したかのような、静かで、痛々しい声がジンの口から零れる。
「でもよ……悪いけど、やるのはそこまでにさせてくれ……。多分、本格的に戦っちまったら、もう止まれねえような気がするんだ……」
「問題ない。それだけやってもらえれば、あとは逃げるだけだ。……お前の足は、無事だと思っていいな?」
「ああ。痛みもないし、ちゃんと自分の意思で動く。二人抱えて逃げるのも、なんともなさそうだ」
ジンの答えにマリアは無言で頷くと、次はカナメを冷たく見やる。
鋭いわけではない。だが、一切の有無を言わせない、そんな力強い目だった。
「いいか、これが最善だ。お前が受け入れられるかどうかじゃない。でなければ私たちは死ぬ。お前が、自分の意思で足を踏み入れたこの戦いは、こういうものだ」
マリアの言葉に、何も言い返せなかった。
これが正解なのだと自分に言い聞かせ、カナメは短く、「うん……」とだけ返事をした。
釈然としないまま、カナメは空中のユウジとゴウに目を向ける。何をしているのだろうか、まだ襲ってくる様子は無い。
「い、今のうちに逃げられないかな……」
「そいつは無理だな」
淡い期待を抱く間もなく、ジンに即座に切り捨てられてしまった。
「それを狙って背後から刺すつもりなんだ。ずっと追いかけていればいつかは俺たちを殺せるって思ってる……上の会話を聞いてる限りな」
ジンは数歩前に出ると、体勢を低く屈めた。
「……一瞬でケリつけるから……離れててくれ。できるだけ遠くに」
「え……っ」
返事が喉を通る前に、カナメはマリアに思い切り腕を引っぱられた。マリアはカナメの腕を掴んだまま走り出し、瓦礫を掻き分けて建物の出口に向かう。
「い、痛いよマリア……」
「このまま進むぞ、絶対止まるな。一人も死んで欲しくなければな」
マリアはそう言い放ち、カナメの手を離すと振り返らずに進み出した。慌ててカナメも後をついて行く。
一瞬だけ後ろを振り返りたくなった。
けれど、マリアの言葉を思い出しすぐに頭を振る。
カナメはただ、背後の親友の無事を祈ることしか出来なかった。




