第45話 窮鼠猫を刺す
ジンは、脳裏を埋め尽くさんばかりの囁きに、理性を手放しかけていた。
「ヤツらは殺しに来ている」「敵を殺すしかない」「先に殺さなければ死ぬ」。戦いが始まってからグルザがずっと、耳の奥の奥で、わざと心をざわつかせようとしている。
その言葉がまやかしではないことは分かっている。
けれど同時に、「誰も殺さない」という、“自分が人間である為の、最後の防衛線”を打ち砕こうとしていることも、理解していた。
だからこそ、マリアが「足を潰して逃げる」と、殺さずに生き延びる具体案を提示してくれた時、心底救われた気がした。
もう、それしかないと思った。
視線の先で、ひとしきり地団駄を踏み満足したゴウが雄叫びをあげる。
「お前ら! オレをコケにして、タダで済むと思うんじゃねえぞお!」
「ゴウさん、短気は良くないね。冷静でも当たらなかったんだ、もっと当たらなくなるよ」
「でもよ! オレを馬鹿にするヤツは、一人残らず思い知らせてやらねえと、気が済まねえよ!」
ゴウは怒りに我を忘れたまま、両手を合わせた。一本の砲身に変形した腕を血眼で振りかぶり、荒く鼻息を鳴らしている。
対するユウジは呆れながら肩を竦めているものの、視線はこちらから一寸もズレていない。
本当に警戒すべきは、ゴウの有り余る力を制御している、ユウジの方だ。
「冷静に。ゴウさんの本気を見せてやりなよ」
「お、おお、もちろんだあ!」
再び、ユウジがゴウの服を掴む。また高速移動を始める気だろう。
先程の動きを見てしまうと、足が疲れたなんて言っていられなかった。防いでも回り込まれる。避けるしかない。
ジンも、カナメとマリアを両脇に引き寄せた。静かに膝を落とし、ユウジの足元に集中する。
カラ……と、小石が転がった。ジンはすぐさま背後に飛び退く。しかし、ユウジたちが風を切る音がない。何処かが破壊されたような物音もない。嫌な予感に真上を見る。
同時に、ゴォォという、熱の噴射が耳に届いた。
ユウジがゴウを掴んだまま、背中をピタリと天井に貼り付け、宙に浮いていた。
「消し飛ばしてやる!!」
ゴウの砲口が震えている。
ジンは全力で地面を蹴り、その場から離れた。
ほんの一瞬の差。背後で床が砕かれた。
頬を横切る破片に、あわや心ごと抉り取られそうだった。粉塵に囲まれ、視界が塞がる。
「う、上から……!? た、助かったよ……」
カナメの声に、荒れた呼吸でしか返事ができない。ほんの一瞬の動きだけでも、すぐに息が切れてしまう。
肩で息をしながら、カナメとマリアを下ろす。
足もちぎれそうだ。
自分の足だというのに、まだ持ちこたえてくれと、ただ祈ることしか出来ない。
痛みに耐えながら、漂う粉塵に目を凝らす。
空中にユウジの影を見つけた。足の周囲だけが、熱風に揺らめいている。
早く、あの機械の足を何とかしなければ。
「うおおおん、ユウジ! また当たってねえぞ! アイツらどうなってんだ!」
粉塵が薄まり、二人の輪郭が現れたかと思うと、既にユウジの視線はジンたちを捉えていた。
その視線のなんとも形容しがたい不気味さに、ジンは何故か、吸い寄せられた気がした。
「……へェ」
「──!!?」
ユウジの低い声が耳に届いた瞬間、ゾクリと背筋が凍った。空気が喉につっかえ、全身の毛が逆立つ。
なんてことはない、たった一言だけで。
……なんだ、これは。
《生半可な殺気ではないな。本気で殺すことになんの抵抗もない、人間らしくない目だ》
「……そうらしいな……」
敏感になった肌が、チクチクと細かい針に刺されているように痛む。それだけじゃない。視線だけで、体の奥底まで「殺してやるぞ」と、囁きかけているようだった。
ユウジは天井から動かず、ただじっとこちらを見ている。
隙を探っているのだろう。奴から目を離してはいけない。
ジンはいつでも動けるように、手だけはカナメとマリアの体に添えた。
「……二人とも、絶対俺から離れんなよ」
耳元で、珍しくマリアの喉が小さく鳴る。
「厄介な相手だ。機動力のせいで、手出しができん」
「マリアの技で、直接狙えないのか?」
「期待しない方がいい。私の一番速い攻撃──水の弾丸は、あっさり避けられてしまった。善処はするが」
くっ、と奥歯を噛み締める。
相手が強すぎる。
何か、何か方法は無いのか?
《おい。この状態で、まだ足だけを狙うなんて器用な真似をするつもりか?》
地の底から響くようなグルザの声に、心臓が揺さぶられる。嘲笑ではない。事実だけを述べている、そんな声だった。
《あの速さ、あの殺気を前に、そんなことが出来ると、まだ思っているのか?》
グルザの声を無視し、ユウジを睨む。
依然、宙に浮いたままだ。手も足も出せない。
どうしたものか考えようとした瞬間、飄々としていたユウジの口元だけが、ニタリと笑った。
「ゴウさん。俺、そろそろ飽きてきちゃったんだよね。ここらでひとつ暴れ回って、スッキリしたくないかい?」
「おお! オレもそうしたいと思ってたところだ!!」
何かしてくる……!
ユウジの背が天井から離れ、そのままくるっと床に背を向ける。
そして突然、ゴウが天井目掛け砲身を振り回し始めた。
「奴ら、天井を……!」
マリアの声と同時に、ジンは飛んだ。
天井が次々と破片と化す。
ユウジがジンを追うように飛び回り、ゴウはひたすらに破壊を続ける。
避けども避けども、瓦礫が飛んでくる。
足の裏から伝う衝撃が、骨を貫く。
足が割れそうだ。
それでもジンは、破片の隙間を縫って走り続けた。
地響きが鳴り止み、瓦礫の崩落が終わる。
同時に、地面の感覚が消えた。
──まずい。
そう思う暇すらなかった。
骨が急に砕けたように、足から全ての力が抜けた。
ジンの体が、二人を抱えたまま前に投げ出される。
それを見計らったように、ゴウの砲口が激しく地響きを起こした。避けられない。
「ぐ……っ! カナメ、後ろに盾!」
「う、後ろ!?」
ジンの指示に、カナメは姿勢を崩したまま、慌てて盾を召喚する。
しかし、そのサイズは、最初に出していた盾よりも、遥かに小さかった。体の半分ほどしか覆えていないその盾では、砲弾を受け止めるにはあまりに心許ない。
「お、おい、そんな小さい盾で──」
防げる訳が……と続けようとした刹那、カナメの盾は重い金属音を響かせ、ほんの少し揺れただけでしっかりその場に留まった。
小さな盾に押し負けた鉄球は、呆気なく弾けて崩れ去る。
「……うぅっ」
カナメは体を起こしながら右腕を押さえ、少しだけ笑う。
「ふぅ、成功してよかった……。盾、小さい方が硬いってエルナスが教えてくれたんだ。ちょっと怖かったけど、上手くできたみたい……」
「た、助かったぜ。……二人とも、こけて悪かった。怪我は……」
安心したジンは体を持ち上げ──
「……えっ」
──られなかった。
足が動かない。
頭がそう認識した瞬間、両足の筋肉が引き裂かれんばかりに暴れ、突然肺が酸素を取り込めなくなり、ジンの全身がパニックになった。
「はッ──!!!!」
声が遮断され、代わりに、コヒュー、コヒューと甲高い音が、喉の隙間から漏れ始める。
苦しくて目眩がして、次第に視界が白く濁っていく。
「ジン!?」「おい!」
マリアが体を翻し、ジンの足に触れる。
「呼吸が変だ。それに、足も筋収縮……。おい、私の顔を見ろ。よし、そのまま息を長く吐けるか? 口は小さくして、ゆっくりだ」
マリアが、目を合わせるように顔を覗き込んできた。白く霞む視界の中、ぼやけるマリアを見失わないよう、必死に言われた通りに息をした。
彼女はそのまま片手でジンの足に触れる。すると両足が冷たい水球で包み込まれた。
その水は手合わせした時のものとは違う、痛みも何も無い、ただ冷たいだけの水だった。
足に蓄積された熱が、急激に冷えていく。
それでも、限界を超えた身体は落ち着くことを知らない。激痛は思考ごと足を引き裂き、呼吸への意識すらも邪魔しようとする。
「ハハッ! ゴウさん、一番厄介なヤツが倒れたね。今なら、振り回せば振り回すだけ攻撃が当たるかもよ」
「うおお、ようやくか! 初めてこんなに避けられ続けたんだ、イライラして仕方なかったぜ!」
余裕からか、二人が地上に降りてきた。
ゴウの足音が向かってきている。
そう分かっていても、ジンの身体は痙攣してばかりで、まるで言う事を聞かない。
「おい、代わりにこいつの様子を見ておけ。視線を合わせて、呼吸を意識的にさせるんだ」
マリアは声を上げ、ジンから手を離すと、カナメをジンの元に押し退ける。同時に、ジンの足を纏う水球は形を失い、その場に消え去った。
「わっ! え、な、なに、どういうこと……ジン、大丈夫?」
慌てながら座るカナメと、視線があった。
よく知っている顔が目の前にきて、少しだけ安心する。
苦しくて胸が痛くて、それでも心配かけなくて、何とか息をした。
マリアは二人の前に躍り出ると同時に、両手を力一杯に突き出した。
地面から壁のように水流が立ち昇り、意志を持ったかのように大きくうねる。
巨大な波が瓦礫を飲み込みながら、ゴウに目掛けて突き進んでいく。ユウジはすぐさまゴウを掴み、波の届かない宙へと退避した。
「うがぁあ!! やっと逃げられなくなったと思ったのによお!! あの女もめんどくさいぞユウジ!! 全然スカッと出来ねえじゃねえか!!」
「やっぱり上から行った方が確実みたいだね」
マリアは二人を近づけまいと、目で追いながら水柱をユウジに放つ。しかし、やはりと言うべきか軽々と避けられていく。大した時間稼ぎにもならない。
「ま、まずいよ……」
戦いの気配に震えながらも、カナメはジンを安心させるように、両手で肩に触れている。カナメの視線と手の温もりが何とかジンを繋ぎ止め、ようやくジンの呼吸は落ち着きを取り戻し始めた。
──しかし、未だに身体は一切動こうとしない。地面に縛りつけられたように固まり、どこにも力が入らない。
ユウジの飛び回る音が聞こえる。ゴウの叫びが聞こえる。早く、早くここから離れなきゃいけないのに。
気持ちだけが逸る。
それでも身体は動かない。
だが、心臓だけが、その気持ちに応えるかのように、大きく、激しく波打った。
早くなっていく鼓動に混ざり、グルザの声が聞こえてきた。
《まさか、もう生きるのを諦めたわけではあるまいな?》
そんなこと、思っていない。
《このままお前が動けなければ、全員が死ぬ。当然、それでいいわけがないな?》
もちろん、嫌に決まってる。
《ならば、迷っている暇はない。立ち上がれ。“全員で生還するぞ”、ジン!》
──全員で生還する。
その言葉が、ジンの胸の奥を燃やした。




