第44話 盾だけの男。
カナメは、エルナスの言葉を反芻していた。
ジンに背負われていた最中、エルナスに貰った助言は二つ。
一つ目。しっかりイメージすれば、盾のサイズは任意で変えられるということ。
二つ目。盾の大きさが小さければ小さいほど、盾そのものの防御力は上がるということ。
小さい盾は、防げる範囲が狭まる代わりに、魔力の密度が高いらしい。
カナメは深呼吸すると、ゆっくりと両腕に力を込めてみた。腕の芯にじんわりと火が灯り、熱が内側を走る。
やがて指先にたどり着いた熱は、掌をチリチリと焦がすように刺す。これが盾の源だ、と直感した。
さらに力を込めると、熱の強さを自在に変えられることに気づいた。試すほどに、その熱は思う通りに動く。案外、力の制御は難しくないのかもしれない。
今回エルナスは、できるアドバイスならしてくれるらしい。死にたくないから出てきたということだった。
頼るのは悔しいが、あまりにも経験値がない以上、四の五の言っていられなかった。
──やるしかない。
「……! くるぞ!」
背後から鋭いジンの声が飛び、それに呼応するようにマリアが躊躇なく右手を突き出した。
刹那、視界が大きく揺らぐ。巨大な波が地面から生まれ、息をする間もなく入口が濁流に呑まれていった。
「こ、こんな凄い技使えるんだ……」
カナメは息を呑んだ。
視界いっぱいを埋め尽くすような、力の塊。
これなら誰も近寄れないだろうと確信する。
しかし、その確信はすぐに打ち砕かれた。
空気が一撃、強く揺れた。
波のど真ん中に、揺らめく黒い影が突如現れ、次第に大きくなっていく。すぐに、鉄球が流れに逆らって突き進んできていると理解した。
「おい、防げるか?」
「う、うん!」
マリアの声に、咄嗟に体が反応する。
突き出した両手の先に、自分が丁度隠れる大きさの盾が顕現した。
同時に波を掻き分け飛んできた鉄球が衝突し、轟音とともに弾け飛ぶ。
「……うぅっ!」
両腕に痺れが走り、骨と共に腕がうねった。
鉄球自体は何とか防いだものの、盾の強度がやや足りていなかったようだ。たった一瞬の衝撃が全身を叩き、数歩ほど後ずさってしまった。
だが、強すぎる衝撃が幸いした。
鋭い痛みが、右腕の忌まわしい記憶のせり上がりを食い止めた。
空気が鎮まったのも束の間、二つの足音が、廃ビルに響いた。
「……ゴウさん、一人も倒せなかったねえ。腕でも鈍ったかい?」
「ちげぇよユウジぃ。アイツら、オレの大砲を尽く避けちまうんだ。あんなヤツら初めてだぜ」
波が真っ二つに割れた先の入口。
そこには、肩を竦めながら、しかし余裕そうにケタケタ笑う、二人組の男が立っていた。
一人は長身で、両の脛から足先までがロボットのような足に変形している。もう一人は筋肉ダルマの大男。両手を正面で構え、掌から煙を上げていた。
なるほど。どちらがスピード担当で、どちらが攻撃担当なのか、気配が感じ取れなくたって一目瞭然だった。
「一撃で倒せなかったことなんかねぇからよぉ、オレはこの後、どうすりゃいいんだ?」
「たくさん撃ちゃいいだろ?」
「そんなポンポン撃てねえよ。ちゃあんと腕冷やさねえと、熱くて熱くてよお」
ゴウと呼ばれた大男は、脱力した両腕を大きく振り回し、ユウジと呼ばれた長身の男はゴウの服を掴んでいる。
何をしてくるか分からず、二人の様子を見ていると、突如、耳元で何かが風を切った。
横目でマリアを見ると、指先から絶え間なく雫の弾丸を打ち出していた。
“しかし気付けばそこに二人の姿はなかった。”
銃声のような破裂音を立てては水が弾け、敵の足元だった場所が抉れ、粉塵だけがそこに残った。
「……えっ?」
「マズイ!!」
ジンの叫びが聞こえた時には、カナメとマリアの体は強く引っ張られていた。体が地を滑ると同時に、背後で鼓膜がはち切れそうな破壊音が轟く。
カナメたちは振り向く暇もなく、さらに身体は持ち上げられ、体は何度も宙を横切った。
視界は目まぐるしく回り、何が起きているのか全く分からない。何度も何度も地面を蹴る音と、肌を震わす程の轟音が耳に届く。
やがてそれらが止んだ頃には、三人は元いた場所から大きく離れていた。
傍らで、休んでいたはずのジンが息を荒くして両膝をついている。二人を抱えて廃ビル内を縦横無尽に駆け回ってくれていたようだ。
カナメは駆け寄りたい気持ちを堪え、ジンの前に立つ。
「うおぉおぉん! アイツらやべえよぉ! 全部避けちまうよユウジ!」
「だぁめだよ、ゴウさん。ちゃんと狙い合わせなきゃ」
声のする方向に目を向けると、十数メートルと距離の空いた先で、白く煙が上がっている。
そこにはいつの間にか、合わせた両手が大砲に変形しているゴウと、機械の足裏から熱を噴射し、宙に浮いているユウジがいた。
彼らの周囲には、ゴロゴロと破片が転がっている。恐る恐る辺りを見渡すと、所々同じように地面が抉れ、一帯が蜂の巣のようになっていた。
砲撃を繰り返していただけじゃない。
ゴウがユウジに運ばれながら、無差別に砲身を振り回していたのだと理解した。
──これが、殺し合いということなのか……?
カナメの喉は、声を失ってしまった。
──あんなので殴られたら、死んでしまう。
恐怖が、思考を埋め尽くした。
以前の戦いで、ジンが能力者を追い返せたのは、運が良かっただけなのかもしれない。
もし、今回も追い返せなければ、みすみす殺されるのを待つだけになってしまうのだろうか。
《迷うな、死ぬぞ!》
脳裏にエルナスの声が響く。
心臓を握りつぶされそうになった。
こんなに怖かったなんて……。
「自分が誰かを殺すかも」という恐怖なんかより、「何も出来ずに殺される」という恐怖の方が、こんなにも怖かっただなんて……!
「おおっ! でもヤツら腰抜けてるぜ! 腕も冷えた、チャンスよチャンス!」
嬉々とした声とともに、ゴウがこちらに砲身を向けた。
周囲の空気が焼ける。砲口に熱が集まり、チリチリとした音が耳を震わせる。
……盾、出さなきゃ……!
頭ではそう思っても、震えた手が体を裏切り、固まったままになっていた。
どうして。
やるって決めたのに……身体が動かない。
恐怖と焦りが甲高く悲鳴を上げ、耳鳴りが心を真っ暗に埋め尽くす。
視界に映るものが何もかも分からなくなり、思考回路がプツリと途切れた。
──その瞬間、カナメの体は大量の水飛沫を浴び、意識が現実に引き戻された。
「うわっ! な、なに……っ!?」
視界を裂いて、マリアが飛び込んだ。
身を翻し、敵に向けて右腕を振り抜いている。
「何をしている! 前を見ろ!」
「……っ!! ごめん!!」
マリアの怒号にカナメは意識を取り戻し、敵に焦点を戻した。
ゴウの砲身が熱を溜め終わるより早く、目の前の景色が、波で大きく歪んだ。
すぐさま流水の壁が視界を覆い尽くす。
全身に浴びたのは、彼女の繰り出した技の飛沫だったようだ。
敵の輪郭が大きく乱れ、正確に姿を捉えられなくなった。
同時に、ゴウの砲撃が地を揺るがし、空気を切り裂く。マリアの作った水の壁は、呆気なく鉄球の通過を許し、跡形もなく弾け飛ぶ。
しかしその鉄球は、全く的外れな方向へ突き進み、カナメたちは命拾いした。
「あーーー! くそ、また弾が無駄になっちまった! ヤツらに向けて撃ったのに、狙いがズレてんじゃねえか!」
「ゴウさん。水越しに物を見るとな、ズレて見えるんだよ。ちゃんと狙ってくれなきゃ」
「んがあ! アイツらきっと、オレが頭悪いからって難しい事して、からかってやがるんだ! 許せねえよ!」
ゴウは激しく地団駄を鳴らしている。地面を叩き割るような大男が、子供のように。
とてもじゃないが、人の皮を被った別の生き物のように見えてしまった。
カナメの背後では、ジンが重い身体をズルズルと引きずりながら、マリアの元へ近寄っていた。
「マリア。どうだ、なんかいい方法ないか? もし何かあったら教えてくれ。グルザに“殺せ”とばかり言われまくってて、何も思いつかねえんだ」
ジンの深い呼吸に混じった、掠れた声が耳を刺す。彼女は敵から目を離さないまま、迷うことなく答えた。
「……お前ら、殺すよりマシだと腹をくくれ。どうにか細男を足止めし、瓦礫を落として足を潰す。奴らの移動手段を断ったら逃げるぞ」
「……やっぱり、それしか、ねえよな…」
──えっ、足を潰す……?
聞き間違いかと思った。
潰す、って……なんだ?
「……ま、待って……。つ、潰すって、なに……? それに、どうやって……」
「言った通りだ。物理的に奴の足を再起不能にする」
自分たちの手で、誰かが惨い大怪我をする。
そう思うと、足が震えた。
本当に殺すか、足を潰すかの二択しかないのか……?
殺さない為とは言え、それに手を染めるには、まだ心の準備が追いついていない。
それに、マリアはともかく、どうしてジンはすんなり受け入れてるんだ……?
自分たちの手で、人の人生を台無しにしてしまう。だがやらなければ、自分たちが死んでしまう。
この残酷な天秤を前に、カナメは、全身の血の気が引いていくような錯覚を覚えた。




