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魔蝕のレゾンデートル  作者: 古里古
第二章
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第41話 魂の一歩


 三人はホテルをチェックアウトし、朝食を済ませると、昼食と食材、それとマリアの紅茶も買い足した。


 あと、ついでにホームセンターにも寄ってみた。

 思いの外小さめのお店で、マリアの使っているようなコンパクトな寝袋やマットは置いていなかったが、非常用の簡易的なアルミ製寝袋と、ビニール製のエアーマットが売っていた。


 エアーマットはストローを使って息で膨らませるタイプらしい。結構疲れそうだが、新聞紙で野宿することに比べれば、いくらでも頑張れそうな気がする。

 カナメとジンは、予備も入れてそれぞれ二つずつ購入した。


 旅を続ける準備は出来た。

 あとは、一歩前に進むだけだ。


 昨日、ジンとマリアが手合わせした場所を目指し、来た道をしばらく引き返す。力を存分に使うならそこがうってつけだ、というマリアの判断だ。


 やがて、広々とした河川敷に着いた。

 カナメとマリアは、距離を置いて向き合う。

 ジンは少し離れて、まるで審判のように二人を眺めている。見守るというより、いつでも割って入れる体勢だ。


「マリア、付き合ってくれてありがとう」


「言っておくが、手加減はないと思え。お前の事情も経験不足も、実戦に関係はない。集中しろ」


「わ、わかった……」


 彼女の言葉には、一切の容赦はない。

 

 マリアから受けた指示は一つ。

 とにかく、飛んでくる攻撃を防ぎ切ること。


「始めるぞ」


 マリアの声を合図に、川に冷やされた風が、二人の間を駆け抜ける。

 

 長い黒髪がふわりと重力を失った瞬間、澄んでいた空気が氷のように張りつめ、なぜか、心臓が大きく跳ねた。


「──うわっ!」


 反射だった。

 声を上げた時には、重い金属音が耳をつんざき、両腕にはバットで叩きつけられたような衝撃が走っていた。

 

 意識より早く突き出した両手の先で、視界いっぱいに分厚い盾が立ち上がっている。

 遅れて、一瞬視界に入った水の鞭を防いだのだと認識した。


「──ぅぅ……っ」


 急速に鼓動が走り出す。

 途端に右腕に力が入らなくなり、盾が光に包まれて掻き消えた。

 肉を押し潰した感触が、幻のように骨の中で軋む。喉の奥から苦いものが込み上げそうだ。

 

 しかし、視界の先のマリアは待ってはくれない。両手を大きく振りかぶると、バレーボール大の水球が彼女の周りに数個浮かんだ。


 軌道なんて追う余裕はなかった。水球が飛んでくる前に、もう一度目の前に盾を出す。

 しかし目の前に現れたのは、輪郭はぶれ、先程よりも厚さを持たない、不完全な盾だった。

 震える右腕が使い物になっていない。


 それでも、マリアの水球は容赦なく盾を叩きつける。

 連続した衝撃に、盾はあっけなく形を失った。防ぎきれなかった水球の一つが、カナメを後方に吹き飛ばし、その場で弾けた。 


「カナメ!!」

 

「──ッ!!!」


 あまりの痛みに声が出ない。膝が身体を支えられず、カナメはそのまま地面に突っ伏した。 

 水球に触れたのは一瞬だったのに、全身が電撃に貫かれたようだ。

 

 盾のせいで腕が唸る。生々しい耳鳴りがする。全身が痺れるように痛い。

 すぐに「逃げたい」という弱音が喉を駆け抜け、目から零れ落ちた。


「カナメ、もう終わりだ!」


 ジンの静止が耳に届いた。

 

 あぁ、俺って、本当に何も出来ないんだ……。

 

 悔しさに顔を上げる。

 

 目の前ではマリアが、指先からしなった水の鞭がゆっくり生成していた。

 ジンの静止なんて聞こえていないように、彼女は攻撃の準備だけをして、ナイフのような鋭い目で、こちらを睨みつけている。

 

 ──その視線は、「本当にここで終わりにするのか?」と、こちらに投げかけてきているかのように思えた。

 

 今も尚、生き物のように脈を打つ右腕に目を向ける。

 見えない何かを押し潰し続ける感覚、聞こえないはずの骨が潰れる音。それらが脳裏まで残響し、瞼の裏が真紅に染まった。

 

 胃が喉を押し返すように波打った。幻覚を掻き消したくて、慌てて転がり、右腕を擦る。

 

 ──盾を使うということは、ずっとこの感覚に襲われ続けるということだ。


 分かっていたはずなのに、いざその現実を突きつけられると、身体が勝手に動くのを拒否しようとする。


 ──……それじゃあダメだ。


 そう思った刹那、胸の奥が熱を持った。

 体中に熱が行き渡り、立ち上がるための力を絞り出す。

 

「……ま、待って……! 俺……まだやれる……!」


 足が震えた。

 身体を支えようと、手で地面を掴む。

 動こうとするだけで、視界が白く滲む。

 それでも、上体だけはゆっくりと地面を離れた。 


「ジンだって……マリアの攻撃を受けながら戦ったんだ……俺も……」


「馬鹿言うな! 俺は体硬くできるから平気なんだよ、お前は違うだろ!」


 起き上がろうとする身体を、ジンの叫びが押さえ付ける。

 

 嫌だ、何も出来ない人間になりたくない……。

 

「マリア、続けて!!」

 

 カナメは叫びとともに拳を握り、力いっぱいに右腕を振り下ろした。地面に叩きつけられた衝撃が、痛みが、脈のうねりを上書きする。


「いいだろう」


「おいカナ……ッ!」


 カナメの声を聞くや否や、水の鞭が容赦なく空気を切り裂き、ジンの声を遮った。


 今度こそカナメは、力強く両手を構えた。

 先程とは見違えるような、質量の持った盾が鞭を弾き返し、掻き消えることもなくその場に留まった。


「や……やった……」

 

 自分の意志で攻撃を弾いたことに安堵したのも束の間、次の手に備えなければと急いで盾を消し去る。

 

 視界を覆う盾が姿を消し、カナメの瞳はすぐにマリアを捉えた。


「…………あっ」


 但し、距離を測る必要もない程、すぐ目の前に。


 そして、その掌は既に、カナメの顔面へと狙い定めていた。


「── 防御力は確かなようだが、視界が塞がって、敵の動きが読めないというのは致命的だな。実戦で使うなら、もっと力の扱いを覚える必要がありそうだ」

  

 マリアはそう告げると腕を下ろし、肩の力を抜いた。


「案外いけるじゃないか。あとは慣れで何とかなるだろう」


「え……」


 マリアはそのまま背を向けると、伸びをしながら歩き出した。

 

 カナメはそんな彼女の無防備な背中に呆気にとられると、体が勝手に仰向けに倒れてしまった。緊張の糸がプッツリと切れたからだろうか、身体に力が入らず、起き上がることが出来ない。


「カナメ!? 大丈夫か!?」

 

 ジンは慌ててカナメの名前を呼びながら走り出し、その動かない体を抱き起こした。


「……あーーよかった、無事か。倒れたからびっくりした……」


「ごめん……なんか……急に動けなくなっちゃって……」


 深いため息と一緒に、ジンはカナメを再び寝かすと、不機嫌そうにマリアに振り向いた。


「お前もマジでやりすぎなんだよ! カナメが死んだらどうするつもりだったんだ!」


「手加減しないと宣言したぞ。それに、そいつからやると言い始めたんだ」


「限度があるだろうが限度が。カナメも、戦えるのはわかったけど無理はすんなよ……」

 

 心配しすぎて声を枯らすジンそっちのけで、マリアは土手の坂に腰掛けて休んでいる。

 ジンがいくらブツブツ文句を言ったところで、彼女には一切届いていない。


 そんなジンを前に抱く感想ではないかもしれないが、今、ちょっと心が清々しい。


 正直、上手くできたかといえば全然そんなことは無い。やはり苦しみ自体は克服出来なかった。

 

 だけど少なくとも、前よりは自分の足で立てたと思う。


「俺、ちょっとは頑張れたよね」


「だいぶ頑張ってただろ」


 ジンの言葉に、少しだけ自分を認めて貰えた気がした。

 

「……ありがとう、嬉しいよ」


 今は、それだけで十分だった。 

  

 風が頬を撫で、草花の香りを運んでくる。

 ついさっきまで暴れていた腕のうねりも、急ぎ足の鼓動も、気づけばすっかり落ち着いていた。

 

 カナメはやわらかな空気を吸い込むと、身体が力を取り戻すまでのしばらくの間、その温かさに身を委ねた。

 


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