第38話 囁きの騒音
ほのかな柔軟剤の香りに鼻をくすぐられ、カナメは目が覚めた。慌てて飛び起きると、マリアは自分の洗濯物を畳み、ジンは洗濯物の小山を仕分けている。
わけも分からずその光景をじっくり眺め、ようやくカナメは現状を理解した。
「……え、待って! 洗濯終わったの!? 起こしてくれなかったの!?」
「起こしたけど起きなかったんだよ。はい、これお前の」
ジンは持っていた衣服の半分を、無造作にカナメへ投げて寄越した。それは間違いなく、先ほどまで着ていた自分の服だった。
「えぇっ、俺のも洗ってくれてたの!? ごめん!」
「まぁ、一人分増えたところで変わんねえしな。てか、洗濯物増えたことよりも、何十分もマリアと二人きりだった方がしんどかったわ。マジずーっと無言」
ジンは、リュックの傍に座るマリアの背を指差し、本当に嫌そうに愚痴る。
「そ、そんな大きな声で言わなくても……」
「いや逆に言わせてくれって。一緒に旅すんのに、“要件がないから話しませんよ”みたいな顔すんのは、流石に直して欲しいよなー」
マリアは振り向き、ジンを一瞥した。
何か考えているのか少しだけ黙った後、小さく息を吐き捨てた。
「はぁ。今日は魔物が煩くてな。一度に二人も相手してられん」
それを聞いたジンは口を噤むと、意外なことにすぐ引き下がった。
「……あー、そりゃ仕方ねえか。魔物が一度喋り出すと、まぁしんどいよな……」
──また、魔物の声か。
もどかしさに胸を掴まれる。
どうやら、戦いたがらないエルナスは変わり者らしい。
苦しめてこないのはありがたいが、その代わり、ジンとマリアの苦しみがどれ程のものなのか、理解することが出来ない。寄り添えない。
でも、ジンがこれだけすぐに引き下がるのだ。きっと、相当強烈なのかもしれない。
ジンは少し間を置いて、再びマリアに話しかけた。
「俺の魔物ってマジで煩くてさ、とにかく戦って勝ちたいからってすげぇ煽ってくるんだよ。ちなみに、マリアの魔物はどうなんだ?」
「私のは……そうだな。不快で、悪趣味な女だ」
そう答えるマリアの声色には珍しく、怒りのような嫌悪というか、そういう黒い何かが混じっているように思えた。
「最も思い出したくない記憶を何度も掘り起こしては人が苦しむ様を楽しみ、私の心がへし折れるのを心待ちにしている……そんなヤツだ」
「うわ最悪……」
ジンは眉をひそめ、言葉を失った。
カナメにとっては殺しを煽るのも苦しむ様を楽しむのも、どちらも最悪だ。
本当に嫌な生態をしているんだなと思う。
けれど、いくら推測しても魔物の脅威が今ひとつ分からず、どうしても理解したくて、カナメはエルナスに、こっそりと問いかけた。
──本当に、他の魔物ってそんな感じなの?
エルナスは意外にも、素直に答えてくれた。
《……俺たち全ての魔物は、争いを宿命づけられて生まれた生き物だ。にも関わらず、人間に戦ってもらわなければ力を発揮できない。だから、大半の魔物はどんな手を使ってでも、人間を戦いに巻き込もうとする。嘘や、脅しなんかでな》
……魔物の脅しって、どんなものなんだろう。
全く想像ができない。
でも、戦いに巻き込む為の言葉なら、生半可な言葉じゃないのかもしれない。
ジンとマリアは今までどれほどの囁きを受け、恐怖を跳ね除けてきたんだろう……。
「みんな、そんな苦しい思いしてたんだ……」
思い知らされるというより、ただ呆然とした。
二人と生きている世界の違いに、思わずポツリと声がこぼれる。
微かな声だったと思うが、聞き逃さなかったであろうジンは、すかさずカナメの元に近寄り、明るく話しかけてきた。
「わかんねえならそれに越したことねえよ、気にすんな。マジでろくなもんじゃねえし。なあマリア?」
「全くだ」
マリアはベッドに腰掛け、カナメに語り掛けた。
「能力者には、色んな奴がいる。唆された者。脅された者。かたや、力に溺れて浮かれた愚か者……他にもいるだろうな。皆が皆、お前たちのように、善人のままいられると思わない方がいい」
マリアの声には迷いがない。むしろ確信を持って話しているように見える。
……きっと、実際にそんな能力者と出会ったことがあるのだろう。
しかし、その疑問を口にするのは憚られた。
あまり、詮索するべきじゃないと思った。
「まあ、どう受け取るのも勝手だが、肝には銘じておけ」
マリアの言葉が、嫌でも胸の内に残った。
この戦い……自分が想像できないほどに、闇が深いのかもしれない。そんな恐怖が、心臓を強く掴んだ。




