第35話 俺と世間のちぐはぐ
カナメ、ジン、マリアの三人は、街に到着すると、朝兼昼食を取ってすぐに宿にチェックインをした。
格安のホテル、三人部屋の素泊まりだ。
それほど大きくもない静かな部屋の中、睡眠不足で疲れきったカナメは、真っ先にベッドに倒れ込む。
ぼーっとする意識の中、不意にジンの声が響き渡った。
「別にいいんだけどよ……マリアさ、マジで俺たちと同じ部屋でよかったわけ?」
「まとまった方がいいに決まっている。それに、お前らを二日も私の部屋に泊めたんだ、今更気にすることもないだろ」
「いやそうだとしても気まずいって……」
心の中でジンに同意しながら声の方に目を向けると、ジンはベッドに腰を下ろして頭を抱えていた。
一方マリアは、紅茶パックを片手に、ケトルでお湯を沸かしている。
カナメも少しマリアの横顔を伺ってみたが、本当に何も思っていないような顔をしている。それが信じられなくて、思わずジンに近寄り、耳打ちした。
「…マリアってやっぱその、ちょっと……変わってるよね?」
しかし、せっかく耳打ちしたというのに、ジンはマリアに聞かせるように、大声でボヤいた。
「ちょっとじゃねえだろ。普通の女の子はこんな部屋割りで堂々としないのよ」
それは本当にそう。
確かにマリアの言う通り、先日は彼女の部屋に二泊した。だがその時は、野宿するかどうかの二択に迫られて宿泊を選んだのだ、仕方がなかった。
けれどマリアは、「心底どうでもいい」と言わんばかりの声で、二人の文句に切り込んできた。
「今私たちは、いつ命を落としてもおかしくないんだ。そんな状況で下手に分かれるのは得策じゃない」
言ってることはわかるが、マリアは男女間の気まずさというか、恥ずかしさみたいのを全く感じないのだろうか。驚くほど言葉に迷いがない。
「まぁわかるけど……でも、いくらマリアにその気がなくても、お風呂とかその……。俺たちほら、やっぱり男だからさ、ちょっとは警戒した方が……」
それとなく伝えようとカナメは口を挟んでみたが、マリアは全く聞く耳を持っていなかった。
「お前たちが手を出してこなければ、私は何とも思わない。それに風呂なら、男用の大浴場があっただろう。贅沢を言うな。払うのは私だ」
それどころか、反論できないお金の話に封殺されてしまった。それを出されたらもう口を噤むしかない。ジンも同じようで「金の話はずりぃよ」という言葉と一緒に、大の字に寝転がってしまった。
「お前たちは常識に囚われすぎだ。まるで心構えが殺し合いに向いていない。それが悪いとは言わないが、それではこの先簡単に死ぬぞ」
マリアは鋭い言葉を投げかけながら、ようやく沸いたお湯をカップに注いでいく。
やがて、湯気に混じってほんのりと薔薇の香りが立ち、部屋中を柔らかく包み始めた。
何の気なしに香りを吸い込む。
そして、部屋割りの話で熱を持った思考が、甘い香りに落ち着きを取り戻した頃、カナメは改めてマリアの言葉を咀嚼した。
……それにしても、簡単に死ぬぞだとか、随分キツイ言い方するなあ。
なんて、呑気に考えていると、不意に何かが頭の中で引っかかった。
……あれ?
先程のマリアの言葉に、違和感があったな……。
そして、それが何かを考えているうちに、彼女との大きなズレに、気が付いてしまった。
──さっき、「まるで心構えが殺し合いに向いていない」……って、言ってたよね……?
当然のように持っていた“人は殺してはいけない”という先入観で、まったく考慮していなかった。
彼女は“殺し合いを前提”に生きている能力者なのかもしれない。
「あ、ねぇマリア、凄く言いにくいんだけど……!」
慌てて声をかけたせいか、少しだけ上擦ってしまった。
マリアもそんな声のゆらぎに気づいたのか、紅茶を飲みながらカナメに視線を向けた。
「実は、俺たち……殺し合いは、したくなくて……」
「……ほう?」
マリアは例にもよって表情を変えず、カナメとジンを交互に見る。ほんの少しの沈黙に、カナメはつい唾を飲み込んだ。
どう言葉を続けようか迷っていると、その空気をかき消すようにジンが飛び起き、先んじて口を開いた。
「殺さなきゃ死ぬかもしれねえ世界、ってのは分かってんだけどさ。普通に考えて、人を殺すなんて嫌すぎるだろ。だから俺らは、“誰も殺さないし、もし誰かを殺しかけたらお互いに止めよう”って約束してんだ」
マリアは「なるほどな」と一言呟き、再びカップを口にした。
「まぁ、そもそも殺し合いに積極的なら、最初から私に攻撃していただろうからな。そんな気はしていた」
そうは言うものの、そう答えるマリアの瞳の奥は読めない。
相変わらず、何を思っているのか分からなくて心配になってしまう。
「……怒ってる?」
「いや、合点がいっただけだ。否定するつもりはない」
カナメはほっと胸を撫で下ろした。
マリアのことはいい人だとは思っているが、根本的な価値観がズレていたらどうしようと思った。
だが、そんなカナメとは裏腹に、ジンは腕を組みジッとマリアを見ていた。疑いの眼差しではないが、瞳が少し揺れている。
「ちなみに、お前はどうなんだ? わざわざそっちから同行したいって言ってきたぐらいだし、流石に同類だとは思ってっけど……」
マリアはその視線を、紅茶の水面へ受け流した。瞼で瞳を隠し、指先でカップをゆっくり撫でながら、静かに答えた。
「……そうだな。少なくとも、好きで殺したいとは思わない。お前たちの約束を尊重しよう。──とは言え、必要が差し迫ってきたら分からんがな」
声色には揺らぎも何も無く、事実だけを答えるように淡々としている。感情も見えないけれど、何となく、「本心だろうな」と思った。
ジンも同じように感じたのか、睨みつけるのをやめた。
「マリアがそういう人で良かったよ」
「だが世間はそうではない。力を持った人間は簡単に変わってしまう。例えば、魔物がことあるごとに“殺せ”と囁き続けてくるだろう? それに気をおかしくする人間も少なくはない」
魔物が……?
いや、そんなことないけど。
何なら、エルナスはそもそも全然話しかけてこないし、むしろそのせいで存在を忘れるぐらい。殺せとか言ってくる以前の問題だ。
そう答えようとした矢先、ジンが顔背けたのが見えた。
──もしかして……皆、魔物に何か言われてるの?
口を開くべきか迷うように唇を噛み、結局、言葉を飲み込む。
だが、言葉にしなかったその疑問は、ジンの言葉によって、答え合わせされてしまった。
「……そうだな、何度もある。能力者が近寄ればここぞとばかりに“殺せ殺せ”って言ってくるんだよ。ま、カナメとマリアに関しては、もう諦めたように言わなくなったけどな」
「え、ジン、そうだったの!?」
突然の告白に、カナメはつい身を翻してしまう。
ことあるごとに、と言っていたが、二人はずっと、そんな声に苛まれていたということだろうか。
そんなカナメとは裏腹に、ジンとマリアは当然のことのように話している
ジンはカナメの反応に一瞬キョトンとした後、納得したように「あぁー!」と頷いた。
「まさかお前の魔物、この期に及んでまだ全然喋ってねえの?」
「この期に及んでというか、もうずっと喋ってなくて、言われるまで忘れてたくらいだけど……何のつもりなのか聞いてみる?」
カナメは心の底で、数日ぶりに魔物──エルナスに呼びかけてみた。
ほどなくして、気怠げな声が脳裏に返ってくる。
《……なんだ。俺はできる限り隠れたいんだ。声を出したら気配が漏れるかもしれん。それに、万が一敵に見つかったら、守る手段はあっても勝てる手段がない。戦うだけ無駄だ、俺に構うな》
「……ジン、殺せどころか正反対だよ……」
カナメは困惑しながら、エルナスの言葉をそのまま二人に告げる。
ジンはフフフッと堪えるように笑い、マリアは信じられないという目でカナメを見た。
「……戦いたくない魔物が存在するのか?“魔物の闘争本能は、魔物である以上必ず生まれ持っているもの”と聞いているが……」
……そんなの知らないよ……。
マリアの問いに困惑していると、代わりににジンが答えてくれた。
「やっぱり憑依されたら、魔物からその話されるよな? でもカナメの魔物、マジで今までずーっと隠れてて、初めて喋ったのが数日前なんだよ。信じらんねえだろ?」
──信じられないと言われたって仕方ないじゃないか。俺が悪い訳じゃないし。
けれど、ずっと潜伏してくれたお陰で、今まで無事だったって可能性もある。半分だけは感謝してみようかな。
すると、脳裏には《半分だけか》という声が響いた気がした。……なんだこいつ。
ここで話が一旦落ち着き、カナメは軽い気持ちでベッドに寝転んだ。
しかし、それが失敗だった。
徹夜の疲れが急に来てしまったのか、カナメは強い眠気に襲われてしまった。
今寝てしまえばずっと起きないと思い、カナメは慌ててリュックに手を伸ばす。
「ごめん、今急に凄く眠くなっちゃったから、寝る前に、大浴場に行ってくるよ」
「お、待ってくれよ! 俺も行くわ」
ジンもカナメに習い、風呂の支度を始める。
ちなみにタオルは有料らしい。
勿体ないので、バスタオルには少し心許ないが、自分のタオルを持っていく。
するとマリアが、室内のバスルームを指差した。
「では、その間に私もシャワーを浴びておく。一時間ほどはここのトイレを使えないと思っておけ」
「あ、そうか……」
マリアの指差すバスルームは、バストイレ同室だ。
格安ホテルだから仕方がない。むしろ男用の大浴場があるということに感謝しなければいけない。
まぁ、一時間ぐらいなら大した問題でもないだろう。
早く身体を癒すべく、カナメとジンはそそくさと部屋を後にした。




