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魔蝕のレゾンデートル  作者: 古里古
第二章
34/94

第34話  寝起きタイトルマッチ


 ジンは、じっとマリアの様子を伺っていた。

 水の力が、どんな攻撃をしてくるのか分からなかったからだ。

  

 それを理解してか、先に沈黙を破ったのはマリアだった。


 マリアの指先から、雫が弾丸の如く三発放たれる。ジンは瞬時に沈めた膝をバネに、右に飛び退いた。

 標的を失った雫が地面を削ると同時に、水流の音がジンの耳に届いた。

 視線を向けることなくジンは転がる。一拍遅れてジンの残像を水流の鞭が掻き消した。


 ジンはその勢いのまま身を翻す。両の手足が地面を掴み、獣のようにマリアの元へ飛び出した。 

 だが、咄嗟の突進すらも読んでいたかのように、マリアの両手が空を薙ぎ払う。その軌道をなぞるように、マリアの足元から水流の境界線が生まれた。

 一瞬彼女の影が歪んだかと思うと、ジンを押し返すように波の壁がうねりを上げ、飛沫を散らした。


 ジンは飛沫を浴びた左腕を引く。刺すような痺れを感じた。

 波が寄せて来る前に、慌てて背後に飛び退く。

 しかし、予想に反して波はジンを追わず、その場でただ、地面を叩きつけた。


「──え?」


 ジンの脚は動きを止める。

 波が水の壁に姿を変えてそこに留まり、目の前に立ちはだかった。強く波打つ壁越しに見えたマリアの影は、もはや輪郭すら曖昧だった。

 

 接近戦しか出来ないジンにとって、近寄れない敵は天敵だ。歯を食いしばり、痛みのあるであろう大波を突き抜ける覚悟を固める。

 

 しかしその刹那、左に駆け出す彼女の影を視界捉えた。思考より早くそれを追った。

 

 影の動きが止まり、二重にぶれる。水越しに攻撃してくると直感が告げた。避けるだけでは埒が明かない。両腕に力を込め、衝撃に備える。


 その時。違和感に耳が動いた。


 水を何かが突き破る音──。

 目の前の影ではない、“右から”だ。


 すぐさま振り向き、両腕を盾にしながら音の方向に全力疾走する。


「……くっ!」


 鋭い弾丸を腕が弾いた。痛みと痺れが同時に走り、右腕が鉄のように重く垂れる。

 それでも、脚さえ無事なら問題ない。残る左腕を前に構え、そのまま壁をぶち破った。

 

 飛沫が視界を覆い、湿った空気が肌を刺す。

 無数の水滴の間を縫うように、マリアの瞳がジンを射抜いていた。

 だが、相手の姿を捉えているのはこちらも同じこと。ジンはスピードを緩めず足を振り抜く。

 

 彼女の両腕がその蹴撃を受け止めた。

 だが、全ての体重を乗せた衝撃には耐えきれなかったか、マリアは片膝を着き地面を滑って。

 しかし同時に、ジンの脚も弾かれ、わけも分からず体勢を崩した。

 

 よく見ると、マリアの両腕が魔力の水を纏っている。

 その腕が、蹴撃を防いだと同時に反撃してきたのだと気づくのに、さほど時間はかからなかった。

 次の動きに備え、崩した姿勢から無理矢理地に足を着ける。その瞬間──。


「ここまでだ!」


 マリアが声を上げ、彼女の周囲で張り詰めた空気が、途端に緩んだ。水音が静まり、風だけが残った。

 

 その宣言に安心してしまったのか、全身から力が抜け、ジンはその場に座り込んだ。

 

 長い時間、息が詰まっていたような気がする。たった今、肺が呼吸を思い出したかのように冷たい空気を取り込み始めた。

 手合わせということを忘れて、必要以上に緊張していたようだ。


 ジンは痺れが続く右腕を眺めながら呟いた。


「……あーー、悔しいな……。お前強すぎ……」


 翻弄されっぱなしだった。

 これが経験の差か、と痛感する。 


「直前まで目が開いていなかった男の動きとは思えんな。一度しか戦闘経験がないというのも、信じ難いぐらいだ」


 マリアはそう告げながらジンに近寄り、手を差し伸べた。

 ジンは手を取り立ち上がるも、彼女から視線を逸らす。

 マリアのフォローが、逆に悔しさを押し上げたからだ。


「……全然近寄れなかったし、一撃も当たらなかった」


「相性もある。それに、直撃しなかったのは私も同じだ。不意打ちの連続だったはずだが、よく避けたものだ」


「んだよ、慰めのつもりかよ……」


 避けることは得意でも、結局それだけでは意味がない。生き抜く為には、真っ当に戦う術だって必要だ。


 ──だからといって、今、マリアに当たっても仕方ない。

 ジンは悔しさを振り払い、話を戻す。


「それよりさ。波の壁に阻まれた後、お前の影を追いかけたはずなのに、反対方向から攻撃されたんだけど、アレ何だったんだ?」


「ああ、アレか」


 マリアは気にすることなく答える。


「曲線を持つ水──例えば、コップに入った水を通して物体を見ると、左右反転して見えることがある。あの時お前が見ていたのは、動きが反転していた私の虚像だ」


 マリアはそこまで一息に説明すると、一瞬だけ口元に手を当て、「だが」と切り出した。


「それを理解していないなら、あれが本物の影でないと、なぜ気づいたんだ?」


「いや、気づいたというか……」


 必死すぎて、正直何か考えながら動いていた訳じゃない。

 ジンはその時の記憶を思い出しながら話す。


「後ろから波とは別の、“水から何か飛び出てくる”、みたいな音がしたからそっちに行っただけで、気づいた訳じゃないんだ」


「なるほど……音か」


 マリアは少し黙り、再び右手を口元に当てる。どれほど早く思考が回っているのだろうか、眉間の溝が深い。


「身体能力の強化と聞いていたから、純粋に攻撃力を上げる能力だと思っていた。だが、その聴覚と反応速度を見るに、そっちの強化の方がメインのように見えるな」

 

 ジンは「あー」と頷いた。

 実際、その通りだと思う。身体の強化は力を引き出さないと使えないが、特に聴覚に関しては、意識しなくても常に研ぎ澄まされている。


「耳もそうだし、こう、空気が変わっただとか、何か違和感あるって思った瞬間に勝手に体が動くんだよな」


「なるほどな。先程の動きで、それは十分わかった」


 マリアは一度深く息を吐き、腕の疲労を落とすように、手首を軽く振った。

 

「さて」

 

 その視線が次に向いたのは──カナメだった。 

 カナメは呆然としていたようでなかなか気づかず、しばらくしてようやく現実に帰って来た。

 

「あ……っ、ごめん。何……?」


「次はお前の番だぞ」


 カナメは一瞬足を踏み出そうとしたが、直ぐに踏みとどまり、逆に一歩下がってしまった。


 「ご、ごめん……あんな凄い戦い見た後で、足……すくんじゃって……」


 カナメは自信なさげに、小さく両手を振った。

 ついこの間、自分が能力者であることに気づいたばかりだ。無理もないと思う。

 

「マリア。カナメはまだ戦いどころか、力を使うこと自体にも慣れてないんだ」


 すると、マリアの視線がジンに戻ってきた。

 怪訝そうだった。


「お前も戦ったのは一度だけと言っていたな。あいつもお前も、慣れてないのは同じだろう?」


「俺は、戦いこそこの間が初めてだったけど、それまでも逃げ回るのに、程々に力は使ってたんだ。でもカナメはそうじゃない」


「……なるほどな。だがやはり、さすがにどれほどの力かぐらいは把握しておきたい」


 マリアは再びカナメに向き直る。

 言っていることはわかるが、あまりカナメに無理をさせて欲しくない。

 事と次第によっては割り込むつもりでいよう、と決めた。

 

「盾を一発だけ出してみろ。それで終わりだ」


「……い、一発だけ……」


 カナメは口ごもったが、「まぁそれなら……」と告げ、軽く右手を突き出した。

 指先に光が集まったかと思うと瞬時に拡散し、それらを線で結ぶように長方形の盾が現れた。


「俺が出来るのはこれくらいだよ……」


 盾の奥から、弱々しい声が聞こえる。

 そんな自信のなさとは裏腹に、目の前の盾はしっかりと厚みを持ち、見た目だけで相当の頑丈さを思わせる。


「そこに一撃当てるぞ!」


「えっ!?」


 急なマリアの宣言に、カナメの驚く声が返ってきた。

 

 やりたくなかったら無理だって言っていいんだぞ。

 そう言おうとしたが、盾の向こうからは「わかった」という声が耳に届いた。


「わかった。カナメがいいなら……」


 ジンは渋々引き下がった。

 

 そしてマリアは宣言通り、一撃だけ水流の鞭を盾へ叩きつけた。


「──ひッ!」

 

 重い金属音に混じって、カナメの短い悲鳴が聞こえ、同時に目の前の盾が呆気なく掻き消えた。

 現れたカナメは顔面蒼白で、ジンはつい声を荒らげてしまった。

 

「おい大丈夫か!?」

 

「ご、ごめん……っ! 俺も、びっくりしちゃって…」


 カナメは謝りながら右腕をさすり、前に出てきた。辛そうな顔をしている。

 

 ──そういえば、以前も戦った後、腕をさすっていたな。それも同じ場所だ。


「また、腕が痛むのか?」


「えっ!? あ、ごめん、痛い訳じゃないよ……。ちょっとね……」


 カナメは言葉を濁した。前もそうだった。

 腕について、何か隠している。


 マリアはそれには気づいていないのだろう。

 スタスタと自分の荷物に向かって歩き出してしまった。

 

「慣れ以前に、そもそも力に対して抵抗があるようだな。不安は残るが、耐久力はある程度ありそうだと分かっただけでも、良しとしよう。……お前ら、荷物持ったら出発するぞ」

 

 マリアはリュックを背負い、早く支度をしろと視線で促してきた。ジンとカナメは慌てて荷物を取りに行く。

 

 隣を歩くカナメの顔色が良くない。

 やっぱり、トラウマが根強いのかもしれない。 

 それもそうだろう。


 だって、事故とはいえ自分の盾で人が死んで、最初の内は錯乱までしていたんだ。

 この間の戦いでは盾で守ってくれたけど、きっと、使うだけでも怖いんだろうな。

 

 ──俺が、もっと強くならなきゃな……。 

 

 ジンは静かに、心に誓った。

 


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