第34話 寝起きタイトルマッチ
ジンは、じっとマリアの様子を伺っていた。
水の力が、どんな攻撃をしてくるのか分からなかったからだ。
それを理解してか、先に沈黙を破ったのはマリアだった。
マリアの指先から、雫が弾丸の如く三発放たれる。ジンは瞬時に沈めた膝をバネに、右に飛び退いた。
標的を失った雫が地面を削ると同時に、水流の音がジンの耳に届いた。
視線を向けることなくジンは転がる。一拍遅れてジンの残像を水流の鞭が掻き消した。
ジンはその勢いのまま身を翻す。両の手足が地面を掴み、獣のようにマリアの元へ飛び出した。
だが、咄嗟の突進すらも読んでいたかのように、マリアの両手が空を薙ぎ払う。その軌道をなぞるように、マリアの足元から水流の境界線が生まれた。
一瞬彼女の影が歪んだかと思うと、ジンを押し返すように波の壁がうねりを上げ、飛沫を散らした。
ジンは飛沫を浴びた左腕を引く。刺すような痺れを感じた。
波が寄せて来る前に、慌てて背後に飛び退く。
しかし、予想に反して波はジンを追わず、その場でただ、地面を叩きつけた。
「──え?」
ジンの脚は動きを止める。
波が水の壁に姿を変えてそこに留まり、目の前に立ちはだかった。強く波打つ壁越しに見えたマリアの影は、もはや輪郭すら曖昧だった。
接近戦しか出来ないジンにとって、近寄れない敵は天敵だ。歯を食いしばり、痛みのあるであろう大波を突き抜ける覚悟を固める。
しかしその刹那、左に駆け出す彼女の影を視界捉えた。思考より早くそれを追った。
影の動きが止まり、二重にぶれる。水越しに攻撃してくると直感が告げた。避けるだけでは埒が明かない。両腕に力を込め、衝撃に備える。
その時。違和感に耳が動いた。
水を何かが突き破る音──。
目の前の影ではない、“右から”だ。
すぐさま振り向き、両腕を盾にしながら音の方向に全力疾走する。
「……くっ!」
鋭い弾丸を腕が弾いた。痛みと痺れが同時に走り、右腕が鉄のように重く垂れる。
それでも、脚さえ無事なら問題ない。残る左腕を前に構え、そのまま壁をぶち破った。
飛沫が視界を覆い、湿った空気が肌を刺す。
無数の水滴の間を縫うように、マリアの瞳がジンを射抜いていた。
だが、相手の姿を捉えているのはこちらも同じこと。ジンはスピードを緩めず足を振り抜く。
彼女の両腕がその蹴撃を受け止めた。
だが、全ての体重を乗せた衝撃には耐えきれなかったか、マリアは片膝を着き地面を滑って。
しかし同時に、ジンの脚も弾かれ、わけも分からず体勢を崩した。
よく見ると、マリアの両腕が魔力の水を纏っている。
その腕が、蹴撃を防いだと同時に反撃してきたのだと気づくのに、さほど時間はかからなかった。
次の動きに備え、崩した姿勢から無理矢理地に足を着ける。その瞬間──。
「ここまでだ!」
マリアが声を上げ、彼女の周囲で張り詰めた空気が、途端に緩んだ。水音が静まり、風だけが残った。
その宣言に安心してしまったのか、全身から力が抜け、ジンはその場に座り込んだ。
長い時間、息が詰まっていたような気がする。たった今、肺が呼吸を思い出したかのように冷たい空気を取り込み始めた。
手合わせということを忘れて、必要以上に緊張していたようだ。
ジンは痺れが続く右腕を眺めながら呟いた。
「……あーー、悔しいな……。お前強すぎ……」
翻弄されっぱなしだった。
これが経験の差か、と痛感する。
「直前まで目が開いていなかった男の動きとは思えんな。一度しか戦闘経験がないというのも、信じ難いぐらいだ」
マリアはそう告げながらジンに近寄り、手を差し伸べた。
ジンは手を取り立ち上がるも、彼女から視線を逸らす。
マリアのフォローが、逆に悔しさを押し上げたからだ。
「……全然近寄れなかったし、一撃も当たらなかった」
「相性もある。それに、直撃しなかったのは私も同じだ。不意打ちの連続だったはずだが、よく避けたものだ」
「んだよ、慰めのつもりかよ……」
避けることは得意でも、結局それだけでは意味がない。生き抜く為には、真っ当に戦う術だって必要だ。
──だからといって、今、マリアに当たっても仕方ない。
ジンは悔しさを振り払い、話を戻す。
「それよりさ。波の壁に阻まれた後、お前の影を追いかけたはずなのに、反対方向から攻撃されたんだけど、アレ何だったんだ?」
「ああ、アレか」
マリアは気にすることなく答える。
「曲線を持つ水──例えば、コップに入った水を通して物体を見ると、左右反転して見えることがある。あの時お前が見ていたのは、動きが反転していた私の虚像だ」
マリアはそこまで一息に説明すると、一瞬だけ口元に手を当て、「だが」と切り出した。
「それを理解していないなら、あれが本物の影でないと、なぜ気づいたんだ?」
「いや、気づいたというか……」
必死すぎて、正直何か考えながら動いていた訳じゃない。
ジンはその時の記憶を思い出しながら話す。
「後ろから波とは別の、“水から何か飛び出てくる”、みたいな音がしたからそっちに行っただけで、気づいた訳じゃないんだ」
「なるほど……音か」
マリアは少し黙り、再び右手を口元に当てる。どれほど早く思考が回っているのだろうか、眉間の溝が深い。
「身体能力の強化と聞いていたから、純粋に攻撃力を上げる能力だと思っていた。だが、その聴覚と反応速度を見るに、そっちの強化の方がメインのように見えるな」
ジンは「あー」と頷いた。
実際、その通りだと思う。身体の強化は力を引き出さないと使えないが、特に聴覚に関しては、意識しなくても常に研ぎ澄まされている。
「耳もそうだし、こう、空気が変わっただとか、何か違和感あるって思った瞬間に勝手に体が動くんだよな」
「なるほどな。先程の動きで、それは十分わかった」
マリアは一度深く息を吐き、腕の疲労を落とすように、手首を軽く振った。
「さて」
その視線が次に向いたのは──カナメだった。
カナメは呆然としていたようでなかなか気づかず、しばらくしてようやく現実に帰って来た。
「あ……っ、ごめん。何……?」
「次はお前の番だぞ」
カナメは一瞬足を踏み出そうとしたが、直ぐに踏みとどまり、逆に一歩下がってしまった。
「ご、ごめん……あんな凄い戦い見た後で、足……すくんじゃって……」
カナメは自信なさげに、小さく両手を振った。
ついこの間、自分が能力者であることに気づいたばかりだ。無理もないと思う。
「マリア。カナメはまだ戦いどころか、力を使うこと自体にも慣れてないんだ」
すると、マリアの視線がジンに戻ってきた。
怪訝そうだった。
「お前も戦ったのは一度だけと言っていたな。あいつもお前も、慣れてないのは同じだろう?」
「俺は、戦いこそこの間が初めてだったけど、それまでも逃げ回るのに、程々に力は使ってたんだ。でもカナメはそうじゃない」
「……なるほどな。だがやはり、さすがにどれほどの力かぐらいは把握しておきたい」
マリアは再びカナメに向き直る。
言っていることはわかるが、あまりカナメに無理をさせて欲しくない。
事と次第によっては割り込むつもりでいよう、と決めた。
「盾を一発だけ出してみろ。それで終わりだ」
「……い、一発だけ……」
カナメは口ごもったが、「まぁそれなら……」と告げ、軽く右手を突き出した。
指先に光が集まったかと思うと瞬時に拡散し、それらを線で結ぶように長方形の盾が現れた。
「俺が出来るのはこれくらいだよ……」
盾の奥から、弱々しい声が聞こえる。
そんな自信のなさとは裏腹に、目の前の盾はしっかりと厚みを持ち、見た目だけで相当の頑丈さを思わせる。
「そこに一撃当てるぞ!」
「えっ!?」
急なマリアの宣言に、カナメの驚く声が返ってきた。
やりたくなかったら無理だって言っていいんだぞ。
そう言おうとしたが、盾の向こうからは「わかった」という声が耳に届いた。
「わかった。カナメがいいなら……」
ジンは渋々引き下がった。
そしてマリアは宣言通り、一撃だけ水流の鞭を盾へ叩きつけた。
「──ひッ!」
重い金属音に混じって、カナメの短い悲鳴が聞こえ、同時に目の前の盾が呆気なく掻き消えた。
現れたカナメは顔面蒼白で、ジンはつい声を荒らげてしまった。
「おい大丈夫か!?」
「ご、ごめん……っ! 俺も、びっくりしちゃって…」
カナメは謝りながら右腕をさすり、前に出てきた。辛そうな顔をしている。
──そういえば、以前も戦った後、腕をさすっていたな。それも同じ場所だ。
「また、腕が痛むのか?」
「えっ!? あ、ごめん、痛い訳じゃないよ……。ちょっとね……」
カナメは言葉を濁した。前もそうだった。
腕について、何か隠している。
マリアはそれには気づいていないのだろう。
スタスタと自分の荷物に向かって歩き出してしまった。
「慣れ以前に、そもそも力に対して抵抗があるようだな。不安は残るが、耐久力はある程度ありそうだと分かっただけでも、良しとしよう。……お前ら、荷物持ったら出発するぞ」
マリアはリュックを背負い、早く支度をしろと視線で促してきた。ジンとカナメは慌てて荷物を取りに行く。
隣を歩くカナメの顔色が良くない。
やっぱり、トラウマが根強いのかもしれない。
それもそうだろう。
だって、事故とはいえ自分の盾で人が死んで、最初の内は錯乱までしていたんだ。
この間の戦いでは盾で守ってくれたけど、きっと、使うだけでも怖いんだろうな。
──俺が、もっと強くならなきゃな……。
ジンは静かに、心に誓った。




