第33話 未知の世界と白い空
空が白みを帯び、日の出を告げる。
眠れぬまま夜が明けた。カナメは瞼を擦り、鉛のように固まった全身を伸ばす。
体を動かしていると、冷えて固まった節々が、じわりと熱を取り戻し、ほぐれていく。
同じく新聞紙の上で寝ているジンを見てみると、彼は驚くほどしっかりと眠っていた。草の上は地べたとそんなに寝心地が違うのだろうか。疑問に思い、試しに草に触れてみる。
「冷たっ!」
カナメは慌てて手を引っ込めた。
掌が濡れている。よく見ると、どこの草も水滴を纏っている。新聞紙の下にレインコートを挟めと言われた理由がよくわかった。
同時にマリアの知識量に舌を巻く。
太陽が地面を照らし始め、空気が少し暖かくなってきた。もう少しだけでも眠りたいという気持ちが芽生え、リュックを枕のように抱きしめて、目を閉じてみる。
しかし、暖かくはあっても日差しが邪魔で寝付けない。完全に眠るタイミングを失ってしまったようだ。
カナメは肩を落としながら、少し湿気った新聞紙を無心で畳み始めた。
一人静かに、二人が起きるのを待つ。
日の出直後だし、まだ誰も起きないだろうなとぼんやりしていると、マリアの寝袋がガサゴソ動き出した。
それを眺めていると、マリアが髪をかき上げながら、ゆっくりと上半身を持ち上げた。
「あ、おはようマリア。だいぶ早起きだね」
マリアは一度伸びをすると、顔だけカナメに向けた。
いつもなら完全無欠を思わせる彼女も、流石に寝起きはそうではないらしい。意外にも、小さく欠伸をしていた。
「そちらこそだいぶ早いな。というより、眠れなかったんだろ」
「え……っ、あ、うん……」
「だろうな。明るい内には街に着く。今日は宿を見つけ次第、すぐに体を休めるか」
マリアは手際よく寝袋を畳み始める。
人一人入っていた寝袋が、みるみるうちに片手で掴めるほどの収納袋に収まっていく。手品でも見てる気分だ。
マリアの手は止まることを知らないまま、声だけがこちらに向いた。
「朝の支度にはどうしても時間がかかるから、だいぶ早く起きたつもりだったんだがな。もう暫く待たせるぞ」
しかし、既にカナメは、もう何時間も夜明けを待っていた。支度を待つくらい、なんてことはない。
「全然大丈夫、気にしないで」
むしろ、マリアの作業が気になってじっと眺めてしまう。
彼女はエアーマットのバルブを開けて、雑に折り畳んだかと思うと、次は体重を掛けて、マットがペラペラになるまで空気を抜いていく。
そして今度は、マリアの手で綺麗に小さく丸められ、あっという間に収納袋に収まってしまった。
手際が良すぎて、驚き以外の感情が湧いてこない。
「そ、そんなテキパキ出来ちゃうなんて、慣れてるんだね?」
「いつ野宿してもいいように、練習しただけだ」
意外な答えに思考が止まり、一瞬遅れて笑いが漏れてしまった。
「へぇ……マリアも練習とかするんだ?」
「全知全能じゃないんだ。知らないものは知らない」
「えっ、そうなんだ……意外……」
マリアが全知全能だと思ってたわけじゃない。
だけど、知らないことを素直に認めるその姿勢が意外だった。しかもサラッと。
そうこう話している間にも、マリアの動きは止まらない。
今度はシートで髪を拭いた後、ブラシで梳かしたりと身支度を整えて始めた。……シートで髪を拭く……?
「……ジロジロ見るな。こういうシャンプーだ」
「あ、ごめ……え?……シャ、シャンプー?」
びっくりして聞き返してしまった。
要は、ボディーシートのシャンプー版と思えばいいのだろうか……?
昨日から知らない便利グッズの連続で、未来にタイムスリップしてきたような錯覚さえ覚えそうだ。素直に現代の文明に感心してしまう。
そんな未知の世界の刺激に、カナメの目はすっかり覚めてしまった。もし今後旅支度を整える機会がきたら何を揃えようか、ついつい考えてしまう。
気がつくと、朝日は少しずつ強まってきていた。そして白い空が青く塗り替えられる頃、ようやく支度を終えたマリアが凛と立ち上がった。
「待たせた。その寝てるのを起こしてくれ」
「え?あ、うん。わかった…」
急な指示に慌ててジンを揺さぶる。
幸いジンは、眠りは浅かったのか今日はすぐに起きてくれた。
「……今、何時……?」
「分かんないけど、もう朝だよ。でも次の街着いたら宿とってすぐ休もうだって」
「……あいよ……」
ジンは瞼を擦りながら、その場に座り込む。目が開くまでもう少しかかりそうだ。
「なんか俺、外の方が寝れたかも……。煩くないし」
「え、そうなの?」
「人の出す音が苦手でさ……。逆に水とか風の音なら、結構休める気がする……」
寝れたと言いつつ重そうに体を起こし、ジンは瞼を閉じたまま立ち上がった。
「早く終わりにして宿行こうぜ。眠すぎ……」
「そうだな。まずお前の目が覚めてからだ」
マリアはすたすたとジンに近寄ると、足元の新聞紙とレインコートを回収して水気を切り始めた。
レインコートはタオルでふき取って折り畳んだものの、新聞紙が思ったより水気を吸っていたようだ。諦めた顔でリュックからビニール袋を取り出し、濡れた新聞紙を詰めている。
それを見たカナメは慌てて自分が折り畳んだ新聞紙を返そうとマリアの元に持っていく。しかし、彼女に軽く突き返されてしまった。
「すぐ乾きそうなら持っておけ。何かと便利だ。私のは次の街で補充する」
「あ、ありがとう……」
手元の新聞紙をよく見ると、確かに湿気っているとは言え、少し外気に晒せば乾きそうだ。風で飛んでいかないように、一旦リュックの下に挟むことにした。
一方、新聞紙を回収されたジンは未だに目が開かないまま立っている。
「……大丈夫? 起きてる?」
「んーー……。最近あんま寝れねえし、寝たら寝たで起きれねえし……。悪いな……」
……そういえば、ちゃんと眠ったジンなんて全然見てないかもしれない。なんなら、マリアの部屋に泊めてもらった内の一日以外、ずっと眠れてないって言ってる気がする。
──これが、ジンの言っていた、魔物による体の変化の影響なのだろうか。
確かに辛そうだな、と思う。
マリアはそんなジンへ、相変わらず感情の薄い声で話しかけた。
「……出来れば力の確認は早めに終わらせて、すぐ次の街に行きたいところだが、まだ無理そうだな」
「あ、いや、無理じゃねえ。始まれば起きるから……」
すかさず反応をするジン。目が開いていないだけで、ちゃんと話は聞いているらしい。
「そうか。では簡単でいいから、手合わせ形式でやるぞ。こういうのは、実戦で見るのが一番手っ取り早い。いいな?」
そう言うとマリアはジンを指差す。しかしジンの反応は無い。
見えてるのか心配になり、ジンの肩を叩くと、「あ、俺か」と言いながらゆっくり前に出る。
やはり目は閉じているらしい。
こんな状態で本当に大丈夫なのだろうか。
しかし、すぐにそんな心配は杞憂だったと思い知る。
急にジンとマリアを纏う空気が、熱を帯びヒリついたのだ。少しだけ肌が痛い。
魔物の力が吹き出したのだと、本能で理解する。
唐突すぎる空気の温度差に、カナメは思わず後ずさりしてしまった。
ジンは先程までの掠れ声が嘘のような、ハッキリとした声を発する。
「手合わせでいいんだよな? 自慢じゃねえけど、俺一度しか戦ったことないんだ。慣れてないから、加減とか多分出来ねえよ。普通に蹴っちまうかも」
「構わない。むしろお前がどう動くのかを見せてもらいたい」
「ならいいけどよ。ほんとに蹴っても恨むなよ」
マリアが右手を突き出し、ジンは体勢を低く構えた。
これから始まる試合の行方なんて全く想像できないまま、ゴング代わりとでも言うように、冷たい風が一つ、二人の間を駆け抜けていった。




