第29話 綻ぶ命の交わるところ
あれだけ強かった香りも穏やかになり、カナメとジンはようやく軽食を食べ始めた。
窓を開けていたにも関わらず、香りが落ち着くまで予想以上に時間がかかってしまった。
午前には起きていたはずのに、いつの間にかしっかり午後だ。買ってきた軽食では全く物足りない。
マリアはカナメたちを一切見ることなく、窓の外を眺めていた。──いや、あれは窓から
外の空気を吸ってるようだ。
香りが穏やかになったと言っても、やはり普段と比べたらまだ強かったのだろうか……。
カナメは申し訳なくなり肩を竦めた。
軽食も食べ終え少し休む。
すると、背後からマリアの冷たい声が飛んできた。
「……で、貴様らはいつまで留まるつもりなんだ?終わったなら早く旅立て」
「あー……」「そ、そうだよね! ごめん!」
二人は慌てて荷物をリュックに詰めていく。
最初は居心地が悪いと思っていたこの部屋の空気にも慣れ、今やすっかり寛いでしまっていた。
──よくよく考えれば、女性の一人部屋で男二人が寛いでるのはおかしいか。
二人は支度を終えると、リュックを背負い立ち上がる。
本当はマリアも来てくれたら嬉しいと思っていた。結局、一晩考えたマリアの返事も聞いていない。
けれど、彼女は全く動く様子がない。
きっとそれが答えなのだろう。
「……世話になったな」
意外にも、ジンにお礼を越されてしまった。
続けてカナメも頭を下げる。
「泊めてくれてありがとう、助かったよ。またどこかで会えたらいいね」
マリアに背を向け、ドアノブに手をかける。
不思議と名残惜しさを感じながら、扉を開けようとした。
──その瞬間、背後からの声に呼び止められた。
「おい」
「え?」
背を向けた一瞬で、マリアは立ち上がっていた。
ずっと無機質でしか無かったその目が、今は真っ直ぐこちらを見据えているのが分かった。
「どうしたの、マリア?」
「やはり、改めて、頼みたいと思ってな……」
マリアは少し息を吐いた。彼女の口が熱を持つのを、初めて見た。
「お前たちに、同行させて欲しい」
「……ええっ!?」
もう来ないとばかり思っていたから変な声が出てしまった。
横でジンが少しだけ眉をひそめている。
「……今度こそ、理由、聞かせてもらえるんだろうな?」
「そうだな。貴様らの痴話喧嘩を聞いておいて、私の話をしないのは……フェアではないな」
彼女の周りはもう、凍りついてはいない。
「……最初に私を襲撃し、家族を殺したのは……近所の顔見知りだった。しかも、助けに来たと見せかけ、油断させてな。そこから何とか生き延びた後も、女一人を狙う輩は多かった。それで戦いに辟易していたし、それ以上に──私は“人を信じる”ということを、しないようにしていた」
「か、顔見知り……」
さらっと告げられる衝撃の事実に、カナメは絶句した。しかし、彼女は言葉を止めない。
それは、彼女の口から初めて聞く、彼女自身の想いだった。
「だが、お前たちを見ていたら、“誰かを信じてみるのもいいか”……と思ってしまったんだ。きっとここで別れたら、そんな能力者にはもう二度と出会えない」
とっくに空気は柔らかいというのに、彼女の言葉はそれよりも、静かに落ちていく。
「勿論、嫌なら構わないが……駄目だろうか」
とても静かで、抑揚のない──真っ直ぐな声だった。
「ど、どうする? ジン、いいかな……?」
一番反対していたジンの顔色を伺う。一存で決めたくなかった。
しかし、そんな彼から出たのは、意外な一言だった。
「いいんじゃねーの? もう敵だとは思ってねーよ。……あんたは、良い奴だった」
ジンの言葉を聞くとマリアは「三分外で待て」と言って、二人を部屋から追い出す。
流石に三分は無いだろうと思いながら待っていると、本当に三分後、ぴったり扉が開いた。正直、さすがにそこまで正確にされるとは思わなかった。
現れたマリアは、コンパクトながらかなり機能的なリュックを背負っていた。恐らく三人の中で一番旅支度が整っている気がする。
聞いてみると、いつでも町から離れて行けるよう、ある程度の支度はしていたらしい。
マリアはホテルの鍵を返却し、もう帰らないとスタッフたちに告げて回った。
布団を持ってきてくれたあの女性スタッフはわんわん泣きながら、門出の祝いをこれでもかというほど叫び散らし、マリアを抱き締める。
マリアは困惑して抱き返すことはなかったが、体が離れた後で「世話になった」と頭を下げていた。
後ろでジンが「あいつにも礼儀とかあるんだな」とか言ってた。失礼。でもごめん、俺もちょっと思った。
二人だけの逃避行はたった数日で終わりを告げ、これからは三人になる。
人数が多いからか、ちょっとだけ、空気が温かくなった気がした。




