第28話 空回りの香り付け
ジンは肩の力が抜けた途端、風に当たりたくなって立ち上がった。
ずっと緊張で窮屈だった空気に晒されていたからだろう。
今度はちゃんと、一息ついたらすぐに帰ってくるつもりだ。カナメには悪いが、もう少しだけ待ってもらうことにした。
部屋から出て扉を閉めると、すぐ横に立っていたマリアに目を向けた。
「もういいのか?」
こちらから声をかけるより先に、壁に寄りかかっていたマリアが口を開いた。
「……悪かったな、全部聞かせて」
「問題ない」
部屋に入る時、すれ違いざまにマリアには「廊下で待ってて欲しい」と伝えていた。
正直言うと、カナメと理性的に話せる自信がなかった。だからマリアに、万が一の時の防波堤を頼むしか無かったのだ。
長い話だったと思う。
けれど、マリアは本当に最後まで待ってくれていた。
結果的には、手を出すことも取り乱すこともなかったが、きっと、後ろに誰か居るという安心感に助けられたのかもしれない。
素直に「ありがとうな」と頭を下げた。
そして、ふと思い返す。
「……そういえば今だけじゃなくて、公園にカナメを来させないでくれって頼みも、守ってくれてたんだな。お陰で、整理がついた」
「敢えて守らない意味も無い」
その言葉に、温かさがあった訳じゃない。だが、無機質でもなかった。
「頭を冷ますなら早く行ってこい。あいつと二人きりだと、やたらと話しかけてきてかなわん」
「そうなのかよ。……すぐ帰ってくるわ」
ジンは振り返らず、外へと歩き出す。
扉が閉まるその一瞬、背中にマリアの視線を受けた気がした。
*
──ジンは風に当たりたいと言って出ていってしまった。カナメも追いかけようとしたが、部屋で大人しく待っていることにした。
本当は早く一緒に軽食を食べたかったが、彼の「すぐ帰ってくる」という言葉を信じた。
ジンのいない部屋で寝そべろうとした瞬間、不意にマリアが部屋に入って来て、体が飛び跳ねてしまった。
ほとんど入れ替わりと言っても差し支えない程の時間差だった。嫌な予感がよぎる。
「……ねぇ、もしかして……聞いてた?」
恥ずかしくなり、マリアに聞く。
いや、恐らく聞くまでもないのだろう。それでも確認せずにはいられなかった。
「痴話喧嘩なんか聞いて、なんの得になる」
「痴話喧嘩って……っ!」
カナメの反応を無視しながら、マリアは当然のようにティーバッグを手を伸ばしている。それより先の言葉はない。
不服に思いながら、カナメはちゃっかり紅茶をおかわりすることにした。好みの味ではないけれど、感情を喉に流し込んでリセットしたかった。
どうせならと思い立ち、カナメは二つ目の紙コップを取り出す。
「あ、ジンの分も貰っていい?」
「勝手にしろ」
「ありがとう!」
カナメは二つの紅茶を作り始めた。
もう少し甘くなればいいなと思い、気持ち長めに蒸らす。
マリアが飲んでいるのも含めると三人分の紅茶の香りがする。いくら甘いと言っても、さすがに強く感じた。
「おい、いくら濃く作っても、香りが強くなるだけで甘くはならんぞ。やりすぎだ」
「え、甘くならないんだ……」
マリアは一度だけ視線をカナメに向けると、無言で紅茶を飲み続けた。
甘くしようとしてたのも見透かされたし、香りが強いと思ったのは三人分あるからじゃなくて、蒸らしすぎたかららしい。
「ごめん、あんまり飲む機会なくて……」
試しに濃くしすぎてしまった紅茶を飲んでみる。が、すぐにコップから口を離してしまった。
「渋っ!」
すると頭目掛けて何か小さく固いものが飛んできた。
「痛!」
「そいつでも入れとけ。それと、そんな渋い物を人に出すな、両方とも貴様が飲み干せ」
飛んできたものを拾ってみると、ポーションミルクだった。
カナメは申し訳なさそうに二つの紅茶にミルクを入れていく。
もう一度コップに口をつけると、渋みが和らぎ少しマシになった。かろうじてではあるものの、今度はちゃんと飲み干せた。
「ありがとう、助かったよ!」
「こんな匂いになるまでやるとは、貴様は紅茶に向いていない」
味ばかり気にして、香りなんて全然考えてなかった。確かに向いてないのかもしれない。
しかし、やりすぎた紅茶の香りにむせかえりそうだ。
少ししか開かない窓を開けて換気をしてみるが、一向に香りが取れる気配がない。
ジンが帰ってくるまでには香りが抜けてるといいな、と言うささやかな願いも虚しく、ノックもなくドアが開いた。
「うわっ!? おい、なんだこの匂い……!?」
ジンは部屋の外で足を止め、扉を全開にした。
すかさずマリアが制止する。
「……流石に他の部屋に迷惑だ、扉は閉めとけ」
「マジかよ……」
ジンはゲンナリとした顔を隠そうともせず、渋々部屋に入ってきた。
ほんとごめん……。




