第27話 仮初の絆、最初の交差
紅茶で温まった喉が完全に冷めきった頃、ようやくジンの口元が動き始めた。
「……まず、悪かった。酷い態度、取ったな……」
突然の謝罪につい驚いてしまった。
ジンが悪いなんて全く思ってない。
むしろ俺が──
「……俺の方こそ、ジンに嫌な思いさせて……」
「いいから! 謝らないで聞いてくれ……」
「あ……っ」
ジンは、焦りを押し殺したような声で言葉を遮った。つい反射的に口を開かないよう、カナメはしっかりと口を噤む。
「……カナメの言う通り、ちゃんと説明しないと分からないよなって思って……」
そこまで言って、ジンは黙ってしまった。
呼吸の音が少し荒い。
言葉の先を探しているのがわかった。
今日だけで、ジンの知らない顔をいくつも見たと思う。今だって、見えなくても歯を食い縛っているのがわかる。そこまで辛くなるほどジンが苦しんでたなんて、思ってもみなかった。
……本当にジンのこと、何も知らなかったんだな。
「一体どこから話したらいいのか、上手く言えねえんだけど……そうだな……」
ジンは声を震わせながらもようやく顔を上げたが、目を合わせてはくれなかった。
「……きっと、こんなこと聞いたら幻滅すると思うけど……この際、カナメに隠し事出来るなんて思わないからさ、全部……喋っちまうけど……」
だが、ジンは言葉をかき消すように、激しく首を横に振る。
「……ごめん、やっぱりこれだけ先に確認させてくれ……」
言葉の途中で声が掠れ、視線が床を彷徨う。
「……まだ、カナメは、俺の事……友達って思ってくれてるのか……だけ……」
答えを聞くのを恐れてか、ジンは顎を引くと、瞼を閉じてしまった。
だけど、そんな質問の答えなんて、迷うわけがなかった。
「当たり前だよ……。だから、ジンのこと待ってたんだよ」
即答したことに驚いたのか、ジンは見開いた目でこちらを見たまま固まってしまった。
信じられないとでも言うように、動揺を隠せないその瞳は床とカナメを往復している。
「もしかして、信じてない?」
「あっ、いや……そういう訳じゃないんだ。でもほら、カナメに叩いたり怒鳴ったり……すげぇガキみてえな事してたから……見放されたかもって、思っちまって……」
「もう……。そのぐらいでジンを嫌いになるわけないよ」
すると、ようやくジンの表情が少しだけ和らいだ。と言っても、まだどこか落ち着かず、眉も下がっている。ほんの一瞬、頬が僅かに緩んだだけだ。
それがハリボテの、力の無い笑みだということは分かりきっていた。それでもカナメにとっては、久しぶりの笑顔のように思えた。
しかし、その作られた表情ですらすぐに形を失い、ジンは再び床に目をやった。
「本当に……悪かったな……」
ジンの口から漏れたのは、今まで聞いた事のない、絞り出したような、か細い声だった。
何か言おうとしては、その言葉を飲み込むように、何度も喉が動いている。落ち着こうと繰り返し吐いている息は、小刻みに震えている。
遮ってはいけない……ジンの言葉を、静かに待った。
やがてジンはゆっくり、けれど力強く拳を握りしめ、ようやく言葉を発した。
「……俺さ、前も言ったけど……グルザに憑依されてからずっと、自分が人間じゃないような気がして……苦しくて……」
途切れ途切れの告白。
きっと、言葉を選んでいるのでは無い。喉でつっかえて、声にならないのだろう。
一言喋るたびに、苦しそうに肩が上下している。
「……前、カナメに話したときは“大丈夫”とか、“気にしないようにする”とか言ったけど……そんなの……自分を騙したくて吐いた嘘で……本当は、最初から、ずっと……」
……ジンの声が、息を失った。
その口元はずっと動いているのに、そこから出てくるのは無音の訴えばかりだった。
──でも、ジンの言いたいことが、少し分かった気がした。
以前、“化け物”という言葉に参って眠れなかったジンを思い出す。あの時は全速力で能力者から逃げてきた後だったし、疲れてるせいでたまたま気になっているだけかと思っていた。
「普段は大丈夫」という言葉を、鵜呑みにしていた。だけど本当は、全くそうじゃなかったんだ。ずっと、ずっと。
「ごめん、ジン……」
後悔の波に押し出された言葉が、口をついで出てしまった。ジンは俯いたままふるふると首を振り、再び口を開いた。
「……きっと、分かって貰えないと思うけど……憑依された日から全部がうるさくなって……音にも、自分の変化にも耐えられなくて……人に会うのすら、避けてたんだ」
話すのが苦しいって目に見えているのに、喉を詰まらせながらも、ジンは言葉を止めない。
力強さは微塵もない声なのに、ケジメをつけたいという固い意志を、強く感じた。
「……でも、この間久しぶりにカナメの顔見たら、やっぱり独りになりたくないって思って……カナメと友達でいられる内は、“まだ自分は人間なんだ”って、誤魔化そうとしてた…」
何言ってるんだよ……。ずっと、友達に決まってるだろ……。
喉から出かかった言葉を、慌てて飲み込んだ。
ジンがたびたび訊いてきていた、「まだ友達でいてくれるか」という質問が頭をよぎる。
自分にとっては、当たり前の、何ともない質問でしか無かった。けれど、ジンにとっては、そんな簡単な話ではなかったのだろう。
本当に自分は何も考えていなかったという事実に、どれだけ自分本位な人間だったのかを思い知り、ほとほと嫌になる。
「ごめん、ジン。俺、全然わかっ──」
「カナメが頼ってくれてる内は、俺も何とか頑張ろうって思えてた。でも、マリアに会ってから、カナメはマリアのことばかりで……俺ってやっぱり独りなんだってなって……自分の存在意義が途端に分からなくなっちまったんだ」
──突然の告白に、声も、思考も、止まってしまった。
それはジンの、ただの吐露でしか無い……そのはずなのに、言葉全てが急に刃になって、心臓に突き刺さった。
悪意でも敵意でもない。そんなことはわかっている。
ジンの顔を見たって、苦しそうな表情こそすれ、こちらに感情をぶつけているわけではないことぐらい、一目瞭然だった。
それでも、喉が締め付けられ、全身が寒気に撫でられた気がした。
──自分のせいだ、と思ってしまった。
それが正解なのかも分からない。
声に苦しさを滲ませているのも、誰のことも責めていないのも分かるのに、それ以上は何も分からない。ただジンの声だけを追うことしかできなかった。
「笑っちまうだろ? 自分から独りでいようとした癖に、もう俺なんかじゃカナメの力になれないって思った瞬間、一気に何もかもわかんなくなっちまってよ。所詮俺は、その程度の、ちっせえ男なんだよ」
ジンの顔には、自嘲で塗り固められた、空虚な笑みが張り付いていた。
「……俺の言いてえことは、これで終わりだ。でも、勘違いしないで欲しいんだ、カナメが悪いんじゃない。……カナメから“必要だ”と思われてなきゃ耐えられなかった……俺自身が、悪かったんだ」
それが本心なのか、心配をかけさせまいという、ジンの優しい嘘なのか……それすらも分からない。疑ってるわけじゃない。ただ、もう自分の直感が、信じられなくなっていた。
だって、そんなの──ジン自身のせいでも何でもないじゃないか。
胸の奥で、何かが弾けた音がした。
喉元に、熱が込上げる。
「……違うよ。俺だって……俺だってジンを、追い詰めてた」
伝えなければいけない。
謝らなければいけない。
「ジンに言われて、気付いたんだ。強いジンに助けて貰ってばかりの、一人じゃ何も出来ない自分が嫌だった……。だからマリアに会った時に“俺でも力になれるのかも”って思って……自分のことしか考えてなかったんだ……!」
「カナメ……?」
「俺の方こそ、ジンのこと見向きもしないで、ずっと傷つけてた。……だから、ごめん……」
もしかしたら、説得力の欠けらも無いかもしれない。頭を下げることしか出来ない自分が、もどかしく、腹立たしい。
すると、少しの沈黙の後、ジンから「ハハッ」と軽い笑い声が聞こえてきた。
「なんだ、俺たち、同じようなことで悩んでたのかよ。だったらもっと早く言っちまえば良かったぜ」
「え……?」
「俺たち、だっせえな?」
ジンは困ったように、けれど、少しだけ吹っ切れた顔で笑った。
「……へへ、ほんとだね。こんなに付き合い長いのにね」
「まったくだよ」
氷のようにピンと張り詰めていた空気が、一瞬で和らいだのがわかった。
震えていた声も、体も、今はその面影もない。
そこにいたのは、いつも通り、昔ながらの親友同士だった。
ジンの悩みが全部理解できたのかは、正直分からない。けれど、少し、向かい合うことはできたと思う。
考えないといけないことは沢山ある。
だけど今はただ、懐かしい空気に浸っていたかった。
その静けさの中で、ようやく息をつけた気がした。




