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魔蝕のレゾンデートル  作者: 古里古
第一章
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第24話 残香


 ジンはなかなか帰ってこない。追いかけようにも、もうどこにいるか分からない。

 動くことも出来ず一人床に寝そべっていると、取っ手の軋む音が聞こえ、ノックもなしに部屋の扉が開いた。


「ジン!?」


 扉を見上げると、綺麗な黒髪が見えた。


「あ、マリアか……」


「住んでるんだ、当たり前だろう」


 マリアはスタスタと部屋の奥に行き、迷いなく棚から紅茶のパッケージを取り出した。


「……開けたか?」


 マリアの指は紙袋を指していた。ジンと一緒に中身を見てしまった紙袋だ。心当たりにドキリとしてしまう。


「ご、こめん! で、でも何も取ってないから……」


「構わん。中身の位置がズレてたんで、聞いただけだ」


 マリアはすぐそばのケトルに水を入れて温め始めると、ティーカップを取り出し椅子に腰かける。


 お湯が湧くまで一言も話さないつもりなのか、室内にはケトルの稼働音しか響いていない。

 沈黙に耐えられなくなり、カナメは口を開いた。


「ね、ねぇ……その紅茶、すごくいい匂いするよね。バラとリンゴって、お洒落だなーって思って」


「これか?」


 マリアはパッケージをから一つティーバッグを取り出す。

 それだけで、ほんのりと甘い香りが漂ってきた。


「匂いだけだ。味はほとんどしない」


「そ、そうなんだ……」


 会話はそこで終わってしまった。

 言葉を探している間にお湯が湧き、彼女は慣れた手つきで紅茶を作っていく。

 味がほとんどしないという感想が信じられないほど、甘い香りが漂ってきた。


「こ、紅茶好きなんだね?」


「別に、そういうわけではない」


 予想外の回答に驚き、マリアと紅茶を交互に見る。


「でも、よく飲んでるように見えるけど……」


「香りのために飲んでるようなものだ」


 マリアは砂糖もミルクも入れず、ティーバッグをカップに浮かせている。

 

 やがて頃合が来たのか、ティーバッグを取り除くと、彼女は何故かカップの持ち手は持たず、両手の指先でカップの側面を撫で始めた。

 数秒ゆっくりと指先を温めるように動かしたあと、マリアはようやくカップを口につける。


 彼女の動作にはひとつも物音が存在しなかった。優雅。それ以外に言葉が見つからない。


 こちらの視線に気づいているのかいないのか、彼女の目は全くこちらを見ていない。

 その視線はただ、ティーカップだけに注がれている。


 やがて飲み終えたのか、マリアはカップを置くと、ようやくこちらを見た。


 気づけばまた部屋は、甘い香りで満たされていた。


「……あまり口出しすべきことではないが」


 甘い空気に似合わぬほど鋭く、静かな声がこちらを向いた。

 そして彼女は淡々と続ける。


「貴様ら二人は、どうやら足並みが揃っていない。この先、生き延びるのは無理だろうな」


「……えっ」


 どういうことかといいかけた瞬間、部屋を出ていったジンのことを思い出す。

 確かに自分は、ジンのことを全然理解出来ていない。それは痛いほど分かった。


「……もしかして、ジンと何か話したの? ねぇ、ジンは、なんて言ってた?」


 マリアは再びティーカップにお湯を注ぎ、二杯目の紅茶を作り始める。ティーバッグをカップの中で揺らしながら、彼女は答えた。


「……昨日までの貴様らと、今、現に取り残されている貴様を見れば、誰でもそう推察する」


 何も言えなかった。

 本当は、否定したかった。けれど、否定しようとすればするほど、胸の奥が締め付けられるようだった。「自分たちは仲良しだ」と、胸を張って言えない今の自分が悔しい。


「……俺、どうしたら、いいのかな」


 そう声を絞り出すことで精一杯だった。


「赤の他人に聞くな」


 返ってきたのは、無関心の声。

 彼女を見ると、またカップで指を温めながら飲み始めている。


 確かに赤の他人に聞くような話ではないのかもしれない。それでも、誰かに聞かずにはいられなかった。

 

「実はさ……さっき、ジンが怒って出てっちゃったんだ。俺、そんなに怒ってたこと……わかってなくてさ…」


 マリアに話しかけたつもりだった。

 しかし、返事は愚か相槌も返ってこない。

 聞いてないとわかっていても、本当は聞いて欲しくて、つい言葉が漏れてしまう。


「……あの、答えなくても、いいんだけど…」


 彼女は微かに瞼を動かしただけで、もうこちらを見向きもしない。


「ジンに、“わからずや”とか、“俺居る意味あんのかよ”とかって、言われちゃったんだ。でもその時は、なんで怒られたか分からなくて、さっきまでずっと考えてたんだ」


 ジンの震えた腕、悲鳴のような叫びと、力強く閉められた扉の音を思い返す。

 きっとあれは、自分の弱さに甘えて今まで見ようとしてこなかった、ジンの本当のSOSだったのかもしれない。


「……俺、それを言われるまで、ジンを理解してないこと自体、気づいてもいなかった……」


 頭の中で、ジンの怒りの声を反芻する。

 言葉にすることで、モヤモヤしていた感情が、少しずつ形を成していく気がした。

 

「……俺さ、実は能力に気づいたの、数日前なんだ。弱虫な俺を、ジンは最初から助けてくれてた……ジンがいないと俺、本当に何も出来なくて……そんな自分が嫌で仕方なかった」


 自分の気持ちを整理するみたいに、言葉が次々と零れ落ちる。聞かれているかどうかなんて、もはや関係なかった。


「……だからかな。マリアに頼られた時、つい嬉しくなっちゃって、力になりたいって気持ちばかりが前に出ちゃって……俺も変われるかもって……勘違いしちゃったんだと思う」


 ジンの顔と……“俺の話なんかこれっぽっちも聞かなくなってよ”という叫びを思い出す。

  

 声が震え出した。


「……そうだね。……マリアに拘ってたのも、全部自分の為で……ジンのこと……何も考えてなかった……」


 自分の言葉に、突き刺された。

 

 ──なんだ、全部、自分が悪いんじゃないか。


「ジンに、謝りたい。どこにいるの?」


「知らんな」


 マリアは鋭く切り捨てる。仕方がない、自分の足で探しに行かないと。

 体を持ち上げようと力を入れた瞬間、マリアの声が体を押さえつけた。


「まだ奴の荷物があるだろ、どうせ戻ってくる。奴の気配は私でも察知出来ん。動かん方が確実だ」


 ハッとして、残されたジンの荷物を見る。

 ファスナーが開きっぱなしで、リュックから服が飛び出している。


 ジンは、戻ってくるだろうか。


 答えを出すのが怖くて……考えるのをやめた。

 

 結局自分は、ここから動けないままだ。



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