第2話 束の魔の休息
顔に差す光が、瞼を無理やりこじ開けた。
「……ん……?」
霞む視界の向こうに、木目の天井が広がっている。
「……あれ……?」
鉛のように重い上体を持ち上げる。乾いた木の匂いと、背を包む布団の感触が現実を突きつけてきた。
「お、気づいたかカナメ!」
驚いて、声のする方へ勢いよく振り向いた。
よく見知った──親友ジンの安心したような笑みが、視界に飛び込んできた。
確かジンは、一、二年ぐらい前、成人したぐらいの時期に地元を飛び出してしまった。顔を合わせるのは、それ以来になる。
──あれ?
「……待って……?一人暮らしするからって、引っ越したんじゃ……」
「ん?あ、あぁ。ちょっと前に戻ってきてたんだよ。久しぶりだな」
「……そ、そうなんだ……久しぶり……」
突然の再会に驚いて上手く言葉が出なかったが、親友の顔を前に、心の底ではどこか安堵していた。
彼は昔から明るくて頼りになる、気の知れた幼馴染だ。
……でも、そんなジンがどうして、今目の前にいるのだろう。
「……ジン、ここは……?」
「俺ん家だよ。頭、大丈夫か?」
ジンは心配そうにカナメの肩に手を置き、軽く揺さぶった。
「ジンの家……? なんで……?」
「なんでって、それはこっちのセリフだよ。お前、めちゃくちゃ叫びながら突っ込んできたんだ。捕まえたら気絶したから、家まで運んで来たんだ」
──叫びながら……。
その一言が脳裏を裂いた瞬間、血の匂いが蘇る。目の前にひしゃげた肉片が浮かび上がり、喉を突く胃の味がせり上がる。
抗う間もなく胃が逆流し、涙と涎が一緒に溢れた。
「おい! 袋!」
ジンが慌ててレジ袋を突き出す。カナメは息をする余裕もなく、酸っぱい液体を吐き出した。
「……っ、大丈夫か!?」
吐き終えたカナメは肩を震わせ、掠れた呼吸だけを漏らす。ジンは背中をさすり続け、顔を覗き込む。
「あー、無理そうだな……水取ってくる!」
ジンは台所へ駆け、すぐに戻ってくるとコップを差し出した。
「ほら、ゆっくり飲め」
カナメは震える手で受け取り、冷たい水を少しずつ流し込む。喉を潤すたびに、わずかに震えが鎮まっていった。
ほどなくして呼吸が整い、土気色だった顔にようやく血色が戻り始めた。
「……落ち着いたか?」
ジンが軽く肩を叩く。カナメは小さく頷き、長い息を吐いた。
「よし。今日は泊まってけ。さすがに一人は危ねぇ」
カナメは目を伏せたまま、もう一度頷いた。
*
──静寂に包まれた部屋の中、ジンは、静かな寝息を聞いていた。
カナメは疲れ果てたのか、とっくに眠りに落ちている。
さっき目を覚ましたばかりなのにまた寝てしまうなんて、相当酷い目に遭ったのだろう。
ジンはその音をしばらく聞いてから、カナメにそっと布団を掛け直し、部屋を後にした。
ジンは台所で冷蔵庫を開け、貧相な中身に舌打ちする。賞味期限が一日切れた肉と卵一つじゃ何も作れない。
まだ夕方だが、夜中に腹を空かせた時のことを考えていた、その時。
ふと、脳裏に魔物──グルザの低い声が割り込んだ。
《──あの青年は能力者だ》
ジンは顔をしかめ、冷蔵庫を乱暴に閉めた。
「……やっぱりかよ」
カナメに近づいた時、僅かに、"能力者である気配"を感じ取ってはいた。
勘違いだと思いたかったが、現実は容赦がない。
苛立ちを押し込めるように椅子にどさりと腰を下ろす。床に重さが響いた。
《……出来ないとは言わせないぞ》
「馬鹿言え。そんなもん、呑めるかよ」
ジンは拳を固く握り、爪が食い込む。
「やるわけねぇだろ……カナメを殺すなんて」




