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魔蝕のレゾンデートル  作者: 古里古
第一章
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第1話 昼下がり、地獄は町に


 絡まる足を無理矢理前に運ぶ。

 空気が喉を通らず息ができない。

 背後からどんどん死が迫っている。


 堤防沿いの道には、錆びたコンテナや落書きだらけの壁。

 いつもならただの退屈な風景。

 だが今は、逃げ場を塞ぐ障害物にしか見えなかった。


 昼下がりの町だった。

 カナメは、「なにか」に追われていた。


 人間ではあった。

 しかし、目は血走り、顔面は蒼白。

 こちらを追ってきているのに、まるで自分が追われているかのように、恐怖に歪んだ顔。

 

 この世のものなのかと一瞬疑ってしまう、まるで悪魔のような形相だった。


 何度も撒いたはずなのに、振り返るとすぐに背後に現れる。

 胃から込み上げるものを堪えながら、とにかく走った。


 苦しみに気を取られた一瞬、僅かな段差に足を取られ、カナメの体は前に投げ出された。


 もう、終わりだ。


「く、くるなぁぁぁぁぁ!!!」


 突進してくる男に向かって、とっさに腕を突き出す。

 もはや本能だった。


 その瞬間。


 目の前に光が集まり、空間が歪む。

 そして、巨大な盾が壁のようにそびえ立った。


 刹那。聞こえたのは鈍い音。

 やがて、不気味なほどの静寂が空気を包み込んだ。


「……え?」


 途端に鼓動が呼吸よりも喧しい。


 この腕を下ろせば、この壁は消える。

 だが、その先は見てはならない。

 直感がそう告げていた。


 しかし、むせ返るほどの恐怖に耐え兼ねた彼は、この場から逃げ出すべく、震える腕に力を込めるのをやめた。

 

 盾はゆっくりと光となり、霧散していく。


 生ぬるい空気がざらりと肌を撫でた。

 息が止まる。喉の奥に“音”だけが残った

  

 そして──そこにあったのは。


  

 頭の潰れた塊と。

 それを浮かべる深紅の海。

  

 なんだ。これは。


 おれがやったのか。


 おれが。

 


 ……おれが。


 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 カナメは喉が焼け切れるほどの叫び声を上げ、その場から走り去った。




──────。

 

 カナメはただ夢中で逃げていた。 しかし、どこまで走ってもこびり付いた血の匂いが迫りくる。先程の光景が恐怖となって鎌首をもたげる。その度に吐きそうなほどの嫌悪感が、理屈もなく彼の体を突き動かした。


 そのとき。

 横から強い衝撃を感じた。

 視界が揺れ、押し出したはずの脚は空回り、カナメの体はようやく動きを止めた。


「おい! 落ち着け!!」


 男の声に抱き止められていた。 だがそれは皮肉にも、逃げ場を失ったカナメの恐怖をいたずらに押し上げただけだった。


「嫌だ離して! 離してッ!!」


「落ち着けって! 何があったんだ!?」 

 

 その声に呼び起こされるように、肉と骨のひしゃげた鈍い音が蘇る。


「ひっ──!!」


 喉が引き攣り、遅れて現実がじわじわと脳裏に侵食した。


「……俺……人を……殺した……」


 その言葉を吐いた瞬間、世界が遠ざかるように感じた。音も、光も、触れている腕の感覚さえ、全部が薄れていく。


 そして胸の奥で、何かがひび割れた。


 心は、体を支えるのをやめて──全てが闇に沈んだ。

 

 

 昼下がりの町だった。

 

 その静けさの奥で、世界はもう、地獄の扉を開け始めていた。



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