第16話 人と氷の温度感
紅茶の香りがする──。
甘い香りの目覚ましで、カナメは重たい体をゆっくりと起こした。
床で寝たからか、さすがに少し体が硬い。
隣に目を向けると、まだジンが寝息を立てていた。
「随分と遅いお目覚めだな」
「えっ」
突き刺すような冷たい声に慌てて振り返る。
椅子に腰かけたマリアがティーカップを片手に、無表情のままこちらを見ていた。
相変わらず彼女の周りの空気は冷えきっていて、普段通りなのか怒っているのか、それすらも読めない。
「もう昼だぞ。貴様らは遠慮というものを知らんのか」
「えっ、昼!?」
驚き室内の時計を探す。
その瞬間、脇目をかするように硬い箱が飛んできた。
「うわ危なっ!」
デジタル時計だ。
拾い上げ、恐る恐る時間を見る。
「……ほんとにお昼過ぎてる……」
「危機感の欠片もない奴らめ」
「す、すみません……」
思わず肩が縮こまってしまう。一人ではマリアの視線に耐えきれず、ジンを揺さぶって起こした。
「おう、おはよ……」
「ジ、ジン……お、お昼すぎてる……」
「はっ!?」
ジンは身を翻すように飛び起き、カナメの差し出す時計を見た。
「やっべ、寝すぎた」
ジンは眠たげに目を擦ると、ようやく目の前のマリアの姿に気付いた。
「……んだよ、ジロジロ見んなよ」
「ほぅ、これだけ寝かせてやったと言うのに。貴様らは二人揃って、遠慮のみならず恩も礼儀も知らないようだ」
「ちょ、ちょっとジン……変なこと言わないでよ……」
部屋の空気が一気に冷え込んだ気がした。何故か体が震える。
正直まともにマリアを見たくない。
だが、ジンはそうでもないようで、何かと食ってかかっている。やめて欲しい。
「んで、昨日の話の続きがしたいんだけど」
ジンは目を擦りながら、ちらりとマリアを見た。その目に宿った警戒の色は、昨日から消えていない。
「ああ。考えといてくれたか?」
「今起きたばかりだろうが」
ジンは腕を組んでマリアは睨みつけたが、彼女は物怖じひとつせずただジンを見下ろす。
「ま、すぐに決めろとは言わん。期待もしていない」
「はぁ? ……んだよそれ」
ジンは不服そうに眉をひそめた。無言のままマリアから目を離さない。
沈黙の時間だけが過ぎ、息苦しさを覚える。
やがてジンは「はぁ」と息を吐き出すと、すっと立ち上がった。
「お前みたいな何考えてんのかわかんねぇ女、恐ろしくて連れて行けねえよ。泊めてもらったことには感謝するけど、それとこれとは別だ」
急な回答に驚きジンを見上げていると、突然腕を引っ張り上げられ、立ち上がってしまった。
そのままジンは振り返りもせずに部屋を出ていく。
カナメは一度マリアに向かって頭を下げると、慌ててジンを追いかけて行った。
*
──ホテルから少し歩いたところにある、昨日と同じ小さな飲食店。
割とリーズナブルだったので、カナメとジンは今日の昼食もここで摂ることにした。
口いっぱいに食べ物を運ぶジンの顔をつい見やる。
先程まで浮かんでいた眉間の皺は、もうすっかり無くなっていた。
「ねぇ、ジン。聞いてもいい?」
パスタをフォークで巻取りながら、カナメは口を開いた。
「どうした?」
「さっき、どうして断ったのかなって。マリアのこと」
ジンは肉を頬張り、「はぁ」とカナメを見る。肉で膨れた頬が、彼の不機嫌さを表していた。
「さっき言った通りだよ。何考えてるかさっぱり分かんねえ。それに、本来は見ず知らずの能力者なんて敵同士だぞ。仲間になりたくたって信用出来ないんじゃ、命かけられねえよ」
「そ、そうだよね……」
カナメのフォークはパスタを巻取り終えてもなお、皿の上で回っている。
「カナメ。もしかして、本気で一緒に行こうと思ってたか?」
「えっいや……本気じゃないけど……」
フォークが空を回っていたことに気づき、パスタはようやくカナメの喉を通って行った。
「身の上聞かされちゃったら……可哀想だなって思って……」
その言葉にジンは少しムッとしたのか、一度手に持っていたものを置いた。
「可哀想なのは分かるけど、だからって味方になってくれるとは限らないだろ? “家族が死んだ”って言ってんのに表情一つ変わんねえような、奴、普通信じられるか?」
「……まぁ、うん。ジンの言う通り、だよね……」
カナメの心には、何か引っかかっていた。
これからもマリアは独りで戦い続ける、それをわかっていて背を向けてもいいものなのか。何か、彼女の力になれないだろうか。
──なんて、自分にも向き合えていないのに、そんなこと言う資格もないか。
右腕に目を落とし、気持ちに蓋をする。
「ま、アイツならわざわざ俺らについてこなくたって大丈夫だろ。なんか強そうだし」
いつの間にかジンの皿の肉はなくなっていた。カナメも慌ててパスタを平らげる。
「そうだよね。確かに、強そうだったもんね。そっか、そもそも俺たちが心配する必要なんてないよね」
「そういう事だ。もう少し休んだら、早くこの町から出ちまおうぜ。もうあの女には会いたくねえからな」
ジンはレシートを手元に引き寄せると、一瞬だけ眉間に皺が寄った。だってそのお肉、ちょっといい値段したもんね。
*
──店を出て歩いていたカナメは、ピタリと足を止めた。
「最後に一回だけ……マリアに会っても、いいかな…?」
「おい、本気で言ってんのか?」
もうすぐ町を出るところまで来て、どうしても胸のつっかえがカナメの後ろ髪を引っ張った。
「ごめん。でも、一回、ほんの少しでいいから……」
ジンは訝しげにカナメを見つめる。けれど、軽く頭を振って深呼吸し、いつもの表情に戻った。
「……理由を教えてくれ。じゃなきゃ納得できない」
カナメは拳を強く握りしめた。ジンがマリアを警戒しているのもよくわかっている。それでもやっぱり、出来ることをしたいという自分の気持ちを、押し殺したくはなかった。
「見ず知らずの能力者が敵になるっていうのは、マリアも同じだよね。生き延びるためなら、同行したいなんて言わずに、最初から俺たちを始末すればよかったと思う……」
「……と言うと?」
「多分、俺たちを信用してくれたから同行しようって思ってくれたんじゃないかな……。どうして辛い身の上話までして、一緒に来ようとしたのか……ちゃんと、話を聞きたいんだ」
自分勝手なことを言っているのはわかっている。
ジンは一瞬だけ嫌そうな顔をした後考え込み、やがてため息と一緒にやれやれと頭を搔いた。
「分かったよ。でも俺は、正直気が進まない。だから俺は何も言わないし、何かまずいと思ったらその場でお前を抱えて逃げる。いいか?」
「……ありがとう! もちろんだよ!」
カナメは胸を撫で下ろすと、マリアの住むホテルへ視線を向ける。
あの冷えきった部屋を思うと少しだけ身震いしそうになる。だが、それ以上に、彼女を信じてみたかった。




