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閑話② ベルナール男爵家の食卓 〜ジュリアン視点〜

(語り:ジュリアン・ベルナール)


リリアが屋敷から消えて、三週間が経った。


朝食の席に着いた俺の前で、母上はにこやかに、メイドにジャムを取らせていた。


「やはり、屋敷の空気が違うわね。あの卑しい子がいなくなって」


「……そうですか」


「あなたも、いずれは婚約者を迎えるのでしょう? あの子のような汚点が屋敷にいたら、まともな縁談が壊れてしまうもの」


母上の言葉は、全て正しかった。


ベルナール男爵家は、決して裕福な家ではない。

父上は政治には興味がなく、領地経営にも疎い。

家を支えているのは、母上の実家からの援助と、嫡子である俺の、これからの婚姻政略だ。


そのためには、屋敷から「妾腹の娘たち」を排除しておくことは、当然の判断だった。


俺は、それを、合理的な判断として、下した。


それなのに——


なぜ、今朝の紅茶は、こんなに、苦いのだろうか。


「ジュリアン、リアナはどう?」


「……まだ、寝込んでいます」


「あら、まだ? 困ったわね。あの子も、あまり長くはなさそうね」


母上は、紅茶を、ひと啜りした。


「いっそ、神殿に引き取らせるのも、手かしらね。死ぬ前に」


——母上。

——あなたは、本当に、リアナの命など、何とも思っていないのですね。


俺は、心の中で、吐き捨てた。


そして、すぐに、自分自身を、嘲笑した。


——お前も、同じだろう。

——お前も、リリアを、売った。



その夜。


俺は、屋敷の三階の、自分の私室の窓から、月を、見上げていた。


リリアが、最後に、俺に言った言葉が、頭から、離れなかった。


——『お兄様より、長生きすると思いますから』


冗談、として言ったのではないのは、明らかだった。

あの五歳児の目には、はっきりと、生への意志が、灯っていた。


俺は、十二歳。

ベルナール男爵家の嫡子。

これから、婚姻政略のための駒として、生きていく。

家のため、母上のため、領民のため、自分のため。


——その全部が、本当に、俺自身のものなのだろうか?


——リリアは、五歳で、自分の人生を、自分で選んだ。

——「私が売られます。リアナはここに置いてください」と。


——俺は、十二歳で、何ひとつ、選んでいない。


ふと、俺は、机の引き出しを、開けた。


中には、一通の手紙の、書きかけが、入っていた。

俺は、それを、誰にも見られないように、隠していた。


『モンフォール侯爵様。

当家から先日売り渡したリリア・ベルナールについて、近況をお伺いしたく——』


そこまで書いて、俺は、ペンを止めた。


——なぜ、俺は、こんな手紙を、書こうとしているのだろう。


リリアは、もう、家の問題ではない。

売却済みの、過去の存在だ。

近況を確認する必要など、どこにもない。


それなのに——


俺は、書きかけの手紙を、もう一度、机の引き出しに、しまった。


——馬鹿な。


俺は、自分自身に、向かって、呟いた。


——馬鹿な。


——だが、リリア。


——お前は、本当に、あの侯爵家で、生き延びるつもりなのか?


——お前は、本当に、いつか、リアナを迎えに、戻ってくるつもりなのか?


月明かりの下で、俺は、たぶん、生まれて初めて——

誰かの「生」を、心から、願っていた。


それが、自分が捨てた、妹の命だということに、俺自身、まだ、気づいていなかった。


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